退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「平成のデタラメと昭和の長女」について

2016-06-30 02:24:52 | Weblog
くもりのち雨。今日も冷たい湿気。

「早起き」して名駅にでかける。

妹ふたりと昼食にそばなど。
適当に店を選んだところ予想通りうまからず。

そばのくせに梅干しと豆腐を絡めた「タレ」につけて食べる。
出汁も大したものではなく。

その後母親も加わってちょいと「おされな喫茶店」へ。
アイスコーヒーもサンドイッチもどうってことはないまま。

いずれも結構な値段を取るのだから意味がよくわからない。
平日にもかかわらず人が多すぎるのにもウンザリ。

人々の舌の感覚が狂っているのか、もはや味などどうでもいいのか。
「デタラメ」が通用しているようで何ともはや。

基本は「村人をだますこと」にあるよう。
「普通においしい店」に関する情報はもっとまともでないと困る。

向田和子編著「向田邦子の青春」を見て読む。

文庫になった向田邦子の作品はほぼ全部読んだはず。
妹による姉の描写は「同じ血」を感じさせていい感じ。

教科書にも載った「字のない葉書」のせつなさをあらためて思い出す。
妹たちの服を一晩で作ってしまう「スーパーウーマンぶり」とは異なり。

モデル並みのポーズを作ったさまざまな写真にふむふむ。
自分の見せ方もよくわかっていた模様。

こんな素敵な人が思いがけない事故で亡くなってしまうのだからこの世は残酷。
おそらく世界の各地でこの種の「現実」が毎日のように繰り返されているのだろう。

「昭和のしっかりものの長女」を知りたい向きは是非。
そしてこういう「モデル」があることを知っておきたいもの。

センスの基本が実は「ものまね」にあったりすることも同様に。
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「懐かしい人々」について

2016-06-29 02:02:13 | Weblog
くもり。冷たい湿気のある日。

「高平哲郎スラップスティック選集⑤あなたの想い出 ぼくの、そしてみんなの」を読む。

著者と付き合いがあり亡くなった人々の想い出があれこれ。
たこ八郎、成田三樹夫、久保田二郎、林家三平、川谷拓三、小坂一也、淀川長治、

トニー谷、八木正生、勝新太郎、野口久光、三木のり平、色川武大、美空ひばり、
中上健次、植草甚一、上月晃、渋谷森久、景山民夫、日野元彦、松田優作、由利徹、小野二郎、

赤塚不二夫、桑名正博、室田日出男、谷啓、横澤彪、石井好子、青島幸男、立川談志、
内藤陳、高倉健、宮川泰、久世光彦、朝倉摂、坂上二郎、原田芳雄、土居甫、斎藤晴彦。

このメンバーの中で唯一知らなかったのは渋谷森久。
ブログに紹介があったので載せておく。

著者の義兄が小野二郎であることを迂闊にも初めて知った次第。
なるほどそういうつながりがあったのねと思うことしきり。

個人的には「今夜は最高」が懐かしい。
番組の最終回など関連するものも追っていただきたいところ。

タモリはもちろん皆さんお若いこと。
TVで酒を飲みタバコを吸ってもOKだった時代があったことを知っておこう。

この種のノリを知っていると昨今はいけませんな。
単にこちらがジジイになっただけということもあるけれど。

もっとも大した「武勇伝」もなく
平穏無事に暮らしてきたのが悪いとはいえ。

明日から久方ぶりの連休。

どうやら「早起き」しなくちゃならなくなったようでいささかめんどくさい。
こういう場合に限っていつまでも起きていたりする悪癖もあり。

いつものように眠くなったら寝る。
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「女子の生き難さと男子の鈍感さ」について

2016-06-28 03:00:09 | Weblog
くもりのち雨。深夜に降ったり止んだり。

濱口桂一郎「働く女子の運命」を読む。

どうしようもない日本の男たちの女子に対する差別を
法律や歴史から描いた作品。

よくも悪くも欧米は「ジョブ型社会=スキルに対応する賃金を払うシステム」であり
わが国は「メンバーシップ型社会=仕事をしながらスキルを身につけるシステム」。

もちろん欧米にも女性差別はあるものの
「スキル」さえあれば文句は言えないという「公平さ」は担保されているとか。

一方わが国は「企業が求めることを何でもこなす全人格的判断」がなされると。
そうした「男並み」に働けない女子は自動的に「出世」から排除される仕組み。

そもそも男は「何でもこなす=社畜」でしかない人生を反省することもないまま
スキルがなくても無条件で優遇されるのだから何ともはや。

すでに学校時代に女子の平均は男子を上回る事実があるというのに。
かくも現実を無視できるのはむしろ不思議。

繰り返すが「長時間労働=頑張っている」という精神主義でなく
「効率よく働き成果を出す」という実質主義を選びたいもの。

なぜ「働きながらその他のこともできる環境」を確保するのがかくも難しいのか。
その種の「豊かさ」がいつまでたっても求められない「貧しさ」を知ろう。

それと同時に「女は家庭」という「昭和幻想」の嘘にもいい加減気付かないと。
「母性本能」や「子育ての『常識』」についても同様。

敢えてそうしたいと思う女子がいるのは結構。
ただそうでない女子たちがいつまでたっても楽になれない現状は問題。

これまた繰り返せばそれもすべて「男子の鈍感さ」に端を発するもの。
性別に関係なく「スキル」のある者が「適所」にいればいいだけだというのに。

この「シンプル」が現実にならないもどかしさよ。
「女子力」が問われることはあっても「男子力」は話題にもならない「事実」を思い出したい。

自らの「へタレさ加減」を絶えず問われたらどうなるのだろう。
たいていの男子はきっと泣いて終わるはずなのだけれど。
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「そういうご縁と麻薬としてのカタルシス」について

2016-06-27 01:18:43 | Weblog
晴れ。歩くと暑い。

昨夜は老舗バー。

客は自分を含め二組だけだとのこと。
BSのビートルズ特番をBGVにマスターとあれこれ話す。

クインビーと似てきたのか。
どうもその種の「ご縁」に恵まれている模様。

そもそもマスターが高齢であることを思えば
クインビー並みの長いお付き合いができるかどうかは微妙。

珍しく何も借りずいつもより早めに帰宅。
そういうことかと何となく納得する。

樋田敦子「女性と子どもの貧困」を読む。

ここでも基本はどうやら「人間関係の貧困」にありそう。
それは他人だけでなく家族も含む。

見えにくくなっている貧困あるいはDVによる影響。
突然の身内の死や望まない妊娠がもたらすもの。

「自己責任」だけでは片づけられない問題がさまざまに。
「赤ちゃんポスト」が「リアル」だと感じられない人々は「道徳」を説き。

麻薬のように「カタルシス」のみを求めるのはなぜか。
「小さな『世界の終わり』」がいつのまにか大きなうねりとなって。

現実がフィクションのような展開を見せるならば
むしろフィクションを現実にする動きが必要か。

「なんでもあり」というのが「原理」だとして
その「可能性」をもっと追いかける方がいいのかもしれない。

今後は「先が見えない」のが「普通」なのだから
いたずらに「束の間の安定」を求めるのはむしろマイナスなのだと知りたいもの。
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「結局は人付き合いであること」について

2016-06-25 02:53:49 | Weblog
雨。深夜にやや激しくなる。

立岩真也「自閉症連続体の時代」を読む。

発達障害、ADHD、アスペルガー症候群、高機能自閉症。
それらにあたる症状を持つ人々の在り様とそれ以外の人々との関係について。

「正解」がどこにもない問題をていねいに「腑分け」している印象。
もっとも現代はその種の「問題」で満ち溢れていはするのだけれど。

何事かに「白黒」つける前に「グレーゾーン」を調べることは重要。
「判断」の前にあれこれ「検討」してみようというのは自然なことだろう。

ただし。

そこで踏み止まるためには「相当な体力」が必要で
人はついつい何らかの「結論」を出してしまう。

なぜか。

「答えが出ない状態」は気持ち悪く
よくも悪くも「答えがでること」は気持ちいいから。

何だか過去のわが国が「真珠湾攻撃」をした理由に似ているような。
「机上演習」では明らかに負けることがわかっていたにもかかわらず。

イギリスがEUを離脱することになった原因も実はそのあたりにありそう。
「気分あるいはプライド」が「現実」をねじ曲げることを覚えておきたいもの。

世界中で「そうした人々の数」は増えている模様。
どうにも困った事態ではある。

「気分やプライド」を優先させる原因が主に経済的不安であるとしたら
それを担保しなければならない。

途上国の現状を思えば先進国は「最低限」を決めるのがいいかも。
その上で足りない部分は経済とは別のかたちで埋め合わせることも同時に。

「人間関係資本」が確保されていれば人は案外「貧困」に耐えられたりする。
どうやらそこが一番のネックと見たが如何。
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「味わいふたつ」について

2016-06-24 01:48:33 | Weblog
『くもり。夜に少しだけ降る。

「高峰秀子かく語りき」読了。

河野一郎、細川隆元、若尾文子、市川昆、梅原龍三郎、杉村春子、陳舜臣、井上靖、
森繁久彌、円地文子、小田島雄志、吉行淳之介、沢村貞子、石井好子、外山滋比古、

加藤唐九郎、色川大吉、田中一光、村田吉弘、池部良、
川本三郎、出久根達郎、井上ひさし、沢木耕太郎。

わかる人には錚々たる面々。
「文化資源としての人」を大切に。

繰り返すがこの種の「類は友を呼ぶ」が各地でありますように。
「貧しい現在」からするとあまりに「眩しい過去」よ。

この「好ましい交流」は結局のところ
高峰秀子というキャラクターのなせる業なのを忘れずに。

「伝法な口調」の裏にある繊細さと気遣い。
その種の「複雑さ」をわれわれは失って久しい。』と書いて昨日は寝る。

快晴。真夏の日差し。

小塚昌彦「ぼくのつくった書体の話」を読む。

先日NHKで書体デザインの番組を観てちょいと気になり借りたもの。
さまざまなタイプによってこんなに表情が変わることをあらためて実感する。

原版を彫刻していた時代からコンピューターでそれが可能になる時代まで。
「明朝体」がそもそも宋の時代のものだというのも初めて。

許慎の「説文解字」を元に漢字の分類を見直す作業など。
文字にも「重心」があって下げた方が落ち着いて見える模様。

縦線横線トメやハライ、点を「エレメント」として
それらを理論的に整理するのにふむふむ。

「偏旁冠脚」という言葉も書かれてみればなるほど。
「へん・つくり・かんむり・あし」という要素をまとめると確かに。

毎日何気なく接している活字の裏側にこんな世界があったとは。
「見えすぎていると見えないもの」を実感として理解した次第。

「味わい」というものをきちんと見分けられる目を持ちたいものではある。
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「高峰秀子」について

2016-06-22 02:07:31 | Weblog
晴れ。朝はまだ降っていたのか。

「高峰秀子かく語りき」を読み始める。

長谷川一夫、灰田勝彦、旗一兵、志賀直哉、谷崎潤一郎、中原淳一、宇野重吉、徳川夢声、
谷口千吉、猪熊弦一郎夫妻、木下惠介、鶴田浩二、亀井勝一郎、越路吹雪。

田中絹代、池島信平、扇谷正造、笹本駿二、津村秀夫、山田五十鈴、茅誠司、猪谷千春、
永井道雄、ドナルド・キーン、深沢七郎、松山善三、獅子文六、菊田一夫、森光子まで。

天才子役としてデビュー後家族を支えるためにスター女優となったものの
プライベートのない生活に嫌気がさしている雰囲気が満々。

脚本家松山善三との結婚でようやくひと息つけた印象。
本書はいちおう明日読み終える予定。

木下惠介「カルメン純情す」(’52)を観る。

「カルメン故郷に帰る」(’51)の続編。
ストリッパーながら芸術を信じる高峰秀子の恋の行方や如何にという内容。

冒頭から始まる斜めのカメラとその動きが今となっては邪魔な感じ。
ディゾルブやアイリスイン・アウトの工夫も何だか。

髭を生やした三好栄子の怪演と東山千栄子の「原爆オバサン」、
村瀬幸子の勘定高い母親がなかなか(父親斎藤達雄は案外魅力なし)。

若原雅夫、須賀不二男、増田順二の「芸術家トリオ」のいやらしさにふむふむ。
淡島千景のアプレぶりもいかにも。

「アカ」の磯野秋雄に捨てられた小林トシ子は乳飲み子を抱え前半は泣いてばかり。
アパートの管理人日守新一の「淡々としたクドさ」よ。

カルメンに惹かれた食堂のオヤジ坂本武を痛めつける妻の高松栄子、
ストリップの相方にマチャアキの父堺駿二、手切れ金を要求する愛人は後の裕次郎夫人北原三枝。

劇場のマネージャー多々良純の顔が若く召使の竹田法一は頭をやられた元軍人。
小林トシ子を赤線にスカウトする望月優子は「日本の悲劇」(’53)の母親とは大違い。

インチキ芸術のBGMはおそらく黛敏郎作曲だろう。
当時の「再軍備反対」の動きも盛り込まれているものの。

現代の目からするとそれぞれの俳優を観る作品か。
この「風刺」は今も続く新聞の政治マンガレベル。
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「映画学あるいは怠惰な夜」について

2016-06-21 03:10:24 | Weblog
くもりときどき晴れ。やや蒸す。

加藤幹郎「映画ジャンル論 ハリウッド映画史の多様なる芸術主義」を読む。

①西部劇②道化喜劇映画③スワッシュバックラー映画④ミュージカル映画⑤ファミリー・メロドラマ
⑥ギャング映画⑦スクリューボール・コメディ⑧恐怖映画⑨戦争映画⑩フィルム・ノワール

「スワッシュバックラー」は「向こう見ずな剣士」で
「スクリューボール」は「変人」ということでよろしく。

著者によればハリウッド映画はこの十種に分類できるという。
それぞれの副題も書いておこう。

①荒野と文明の緩衝地帯②災厄を克服する超人たち③荒唐無稽な政治アクション④地上の楽園
⑤理想が現実を凌駕するとき⑥アメリカン・ドリームの隘路⑦常軌を逸したすばらしい女性たち

⑧おぞましさのスペクタクル⑨現代史と映画史の課題⑩都会の憂鬱。
とりあえず未見の作品も含めてふむふむという感じ。

詳細にわたる分析には頭が下がるものの興味深いかと言われると微妙。
もっとも「そういう見方があるのか」という参考には十分になる内容。

この「映画学」はいかにも「硬派」なので
基本が「軟派」な自分にとってはもう少し面白味がほしいところ。

淀川長治、双葉十三郎、小林信彦、和田誠、蓮實重彦、山田宏一、山根貞男。
それらの人々との「接触」に比べるとついつい。

さて。

と書いて気付いたら少し眠っていた。
もう少し飲んで寝直す予定。
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「純粋より気軽であることあるいは呪縛」について

2016-06-20 02:50:36 | Weblog
くもりのち雨。夜になって止む。

高橋源一郎×SEALDs「民主主義ってなんだ?」を読む。

副題は「まだこの国をあきらめないために」。
要は「常に『まともであること』を目指すのが民主主義」だと。

そのためには「おまかせ」ではなく
国民ひとりひとりが積極的に参加することが肝心。

もっと誰もが気楽にそれをすること。
そういう環境を「普通」にすることから始めればいい。

間違えたらまたそこからのスタート。
「終わりのない作業」だからそもそもやり続けるしかないだけと思えば。

木下惠介「野菊の如き君なりき」(’55)を観る。

前半がちょっとツライものの結局浦辺粂子に泣かされることになる模様。
田村高廣の存在に意味はあるのだろうか。

「回想」を示す丸い白枠が今となっては邪魔で仕方ない。
その一方「瞽女」の影を映したショットが印象的。

引き続き「善魔」(’51)を観る。

物語としてはほぼ破綻している三國連太郎のデビュー作。
その後彼は役名をそのまま芸名に。

小林よしのりなら「純粋くん」と言いそうな存在。
森雅之と淡島千景の「インテリ」ふたりが彼を「立派だ」と認めるのも意味不明。

敢えて好意的に解釈すれば朝鮮戦争当時の「世界の終わり感覚」が元なのかも。
再度の原爆投下と第三次世界大戦が「リアル」だった頃だから。

いずれの作品でも印象に残るのは小林トシ子。
「あとで読んで」と渡される手紙の「形式」も同様に。

「徹底的な純粋」が好まれるこれら2作の「リアリティー」は微妙。
「カタルシス」だけではどうにもならない現在からの視点ではあるけれど。

おそらく「過剰な『正しさ』」は「過剰な『誤り』」から引き出されるのだろう。
それぞれに人は「過去の履歴」にも縛られ。

「失敗」が確率を無視して記憶に残る「事実」を知れば
もっと気軽であることを「基本」だとしたいもの。

がしかし。

なかなかそうは出来ないのがどうやら「現実」だと知りつつ
残りの焼酎を飲んで寝る予定。
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「環境あるいは幼稚さと美学」について

2016-06-19 02:37:29 | Weblog
晴れ。30度超えの暑さ。

今宵は研修で老舗バーはお休み。

「宿題」の木下惠介のDVDをまだひとつも観ていないので
とりあえず明日は観ることにしたい。

吉村仁「強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論」を読む。

人類はなぜ狩猟・採集生活をやめて農業を始めたのか。
獲物がとれなくなって穀物を育てるよりなかったから。

海で生まれたはずの生命はなぜ陸に上がったのか。
海が「安心して暮らせる環境」ではなくなったから。

「そうせざるを得ない状況=環境の変化」と
それに対する適応能力こそが「進化」のカギであるというのがポイント。

ある環境への「過剰適応」は「安定した環境」においては役立つものの
「変化の激しい環境」においてはむしろ「絶滅」を招くことなど。

よくよく考えてみれば「当然の結論」か。
なぜこの考え方がその世界で「主流」にならなかったのかが素人には疑問。

おそらく無意識のうちに動物や植物に「人間のような『主体性』」を見ていたせいではないか。
われわれ人間も結局のところ「環境」には適応するしかない「無力さ」を見逃すために。

深夜マル激を観る。

Nコメでは「舛添問題」の背後にある官僚の政治家に対する優位と「権力闘争」について。
「セコさ」だけを見る「幼稚さ」から脱しようという掛け声。

本編は「18歳選挙権」に反対する精神科医斎藤環を迎え
「試行錯誤」あるいは「弱者」に対するサポートもないまま「義務」を押し付ける「村人性」について。

身近な若者たちの「幼児性」にあきれることが多い身としては大いにうなずく。
もっともそう言う自分が「子ども」だったりするので厄介。

「ひきこもり」の実情を聞くにつけ
そういえば結構当てはまる部分があるなと再確認。

「重ねた年は伊達じゃない」と思いたいところではあるけれど。
こればっかりはどうしようもない。

「ひきこもりが『クソ社会』に復帰する意味はあるのか」という宮台真司に笑う。
その「正しさ」は「現実と多数決」に必ず負ける類いのものなので。

もっともその種の「勝ち負け」などどうでもよく
それでも主張するのがある種の「美学」なのだと受け止めておく。
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