退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「春はほのぼの」について

2012-03-31 04:36:47 | Weblog
晴れ。夜を思ってハーフコートは着る。

陽気に誘われ仕事前に散歩。
地下鉄で5区間、距離にして6㎞ほどを歩く。

曲がりくねった道は楽しいのだけれど
それ以外はほぼ「郊外の風景」で味気ない。

さすがに疲れを感じて立ち寄った喫茶店が「昔ながらの雰囲気」でグッド。

壁にはアート・ブレイキーやオスカー・ピーターソンのアルバム、
「CAFES DO BRASIL」と書かれた麻袋やオランダの風景画なども。

メニューも結構豊富なよう。
静かにジャズピアノが流れる中、何も加えずに飲めるアイスコーヒーを飲む。

ベック「危険社会」は抱えていたものの煙草を吹かしながらついついボーッとする。
そばにいた4人組のおばちゃんたちの会話は声も内容も耳にやさしく。

帰りのレジで「常連カード(10回通うとコーヒー一杯サービス)」をもらう。
もごもご言っているうちに渡されてしまった。

当然の事ながらドトールよりずっと居心地はいい。
通うことにしようかどうか少し迷う。

本を読む環境としても最適な店であることは確か。
ただしドトールの「貧しい現実」を身近に感じられるところも捨てがたく。

敢えて「二者択一」はせずいつも通り「気分次第」にしておこう。

明日明後日と久方ぶりの連休。
母親から二階の部屋の掃除を言い渡される。

ようやく足の方も回復してきた模様。
「ホコリでは死なない」と言ってはいるのだが聞く耳は持っていない。

TVで「フィギュア」と「世界卓球」を観て興奮することしきり。
こちらからすればいずれも「妥当な結果」ではあり。

春らしい一日を過ごす。
要は「ほのぼの」。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「危険な世渡り」について

2012-03-30 04:10:32 | Weblog
晴れ。暖かな日。

ウルリヒ・ベック「危険社会」を途中まで読む。

原発絡みだけの内容かと思っていたらあにはからんや。
かなり「壮大な射程」を持った本だということをあらためて知る。

インタビュー本も借りてきたので
こちらを読了したら引き続き読む予定。

ウェーバー、ジンメル、テンニース、ゾンバルト、ハーバーマス、ルーマン、ベック、
少し下がったところにバウマンなどドイツ社会学の「世界」は刺激に満ちていて興味深い。

もう少し若い時期にあれこれしっかりと読むべきだったと痛切に思うものの
そう思えるだけまだマシだと「都合のいい解釈」をしておくことにする。

それはそれとして。

わが家の近くには運河があり仕事に出かける道の途中にあるのだけれど
今日はヒッチコックの映画「鳥」以上の「光景」を目にした。

まだ続くかと思うほど鳥たちが空を横切る姿にいくぶん戦慄を覚える一方
彼ら彼女らが水面でくわえた小魚の銀色がキラキラするのに思わず見とれる始末。

出来ればうららかな日差しの下でずっと眺めていたい気分にもなり。
もっとも足は勝手に歩みを進めるのみで。

映画絡みで言えば
森崎東「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」の冒頭に出てくる橋のそばでの出来事。

「原発ジプシー」が出てくる唯一の作品で
今年亡くなった原田芳雄が出ていたはず。

「あんたのそばにおるぅ」と叫ぶ倍賞美津子も魅力的で
彼女は確か「知り合いの名前」を数えたりしていたが「太陽」のようなおなごだった。

マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」を元にしたタイトルからすると
「共産」とは「生きているうちが花なのよ死んだらそれまでよ」という意味になるのか。

なるほど「正しい」。
たとえそれが「食い物」にされて生きることだとしても。

もちろんそうならないのが「理想」であることは忘れずに。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「貧困の極み」について

2012-03-28 03:45:29 | Weblog
晴れ。昼は暖かだが夜はまだ冷える。

「なぜ世界の半分は飢えるのか」読了。

「穀物メジャー」と呼ばれる「多国籍企業」が
「自らの利益のための『最適行動』しかしない」という事実の単純さよ。

そのためなら「人は死んでもかまわない」し
「環境」がどうなろうとかまわないのだ。

いわゆる「国際機関」も何かしらの「利益」のために動くものであり
最近ならIAEA(国際原子力機関)はあくまで「原子力推進」であるということも忘れずに。

「低開発国」を「助ける」という名目で
たとえばアメリカは「食糧」を「武器」にして相手国を「思い通り」にしてきた「歴史」もある。

わが国の「被災地」でも同じようなことが起きている雰囲気はあり頭を抱えるよりない。
今日のニュースでは他人の年金をフイにした男が堂々としらばっくれていたり。

そうした動きに対して著者は「ゲリラ戦」の「宣戦布告」をした模様。
もっとも「状況」は現在において全く変わっていずむしろより悪くなっているのかもしれない。

時代はいちおう21世紀だけれど
なにやら「植民地時代」に戻っている趣きがある。

「野蛮な文明人たち」が「未開人たち」をいいようにあしらって。
これでは「暗黒の中世」と何も変わりがない。

この様子を「未来の人間たち」が「歴史」として知ったら
「われわれの祖先はつくづく愚かであったものだ」と嘆息することだろう。

アホくさ。
せめて身近な人間たちを何とか安楽に暮らせるようにしたいもの。

「まともな人間」を作らなければどうしようもない。
とはいえ母国語もきちんと理解できない子どもたちは増え続けている。

この「貧しさ」にしっかりと向き合う覚悟が必要らしい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「生き難さ」について

2012-03-27 04:05:36 | Weblog
晴れ。おだやか。

昨夜は午前中に図書館へ行きその後の「イベント」と飲み会に出て深夜に帰宅。
「一日仕事」のせいか疲れて寝てしまう。

香山リカ「働く女の胸のウチ」を読む。

文章が短く内容も軽いのであっという間に読み終える。
著者は「学級委員タイプ」で主張はわかるもののやや「偏り」があるかも。

とはいえ女子の「生き難さ」は承知しているので
「議論の相手」としては必要な人材。

スーザン・ジョージ「なぜ世界の半分は飢えるのか」を今頃途中まで読む。

32年前にすでにこうした論があったのだと思うと何やら感慨深い。
現在ではそれが「常識」になっているのだと思いたいところ。

「低開発国への援助」はほぼ「ヒモつき」であり
「多国籍企業」が人為的に「食糧不足」を作り出すあたりは変わりない模様。

「人口増加」は「先進国の方策」でどうにかなるものではなく
むしろその国の「経済的安定」が重要なのだという指摘は今も当てはまる。

現地のあれこれを「無視」した援助は
いたずらな「ムダ」を生み出すだけだということも忘れずに。

同様に現地の「エリート」を自分の国で「学習」させるのは
結局「わが陣営」に彼ら彼女らを取り込むためのものらしい。

要は「力を持つものたち」による「植民地支配」の実態は変わっていないということ。
レスター・ブラウンが批判的に取り上げられているのにも注目。

「帝国主義」はいまだに幅を利かせている。
「現在の生活」に満足する人々もそのあたりについては知っておくべきだろう。

特定の「ドームの内部」に居られる人々の数は少ない一方
彼らが手にしている「富の大きさ」とそれを維持するための数多くの「貧困」は今も生まれ続けている。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「淫靡と健全と義務」につて

2012-03-25 05:08:42 | Weblog
雨のちくもりのち晴れ。寒さはなし。

荻上チキ「セックスメディア30年史」を読む。

「性」に力点がありそうな感じがするかもしれないが
実は「新たな環境=道具」によっていかに物事が展開していくかという内容。

「エロ」の力は何と言っても根強いので
そこを中心に見ればいろんなことがわかるという仕組み。

もちろん「法規制」もそれらに大きく影響していて
むしろ「抜け穴養成機関」としての役割を果たしているようなところがなきにしもあらずだけれど。

興味深かったのはある世代まで「秘すれば花」であったものが
「普通の商品」として「技術革新」や「営業方針」によってあらたに流通すること。

ただしあまりに物事が「健全」になるというのは「退廃」の始まりでもあり
いわゆる「スーパーフラット」が無条件にいいのかと言われると微妙。

道は勾配があったり曲がりくねっていたりするからこそ「風景」として楽しい。
「先が見えないこと」による「ワクワク」もあるはずで。

「30年史」というのは80年代からということで
当時をリアルタイムで知っている部分もある者としては懐かしくもある。

明日というか今日は久方ぶりに仕事場での飲み会。
その前に「イベント」もあってさらにその前に図書館へも行かねばならず。

いたずらに忙しいのは好ましくないとして
このくらいのペースなら悪くもない。

そうした「ご縁」があるのはありがたいこと。
今宵は残りの酒を片付ける「義務」があってこんな時間になる。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「21世紀の『植民地支配』」について

2012-03-23 04:01:42 | Weblog
晴れ。寒さはまた緩む。

堤未果「ルポ 貧困大国アメリカ」を今頃読む。

あくまで「利益を追求するだけの機械=大企業」に公共的な仕事をまかせると
いわゆる「普通の人々」は「貧困」に陥るのだという具体例があれこれ。

貨幣量を表す数字は単純だから人を「人扱い」しないことがむしろ奨励される。
あまりに「あっけない事実」には呆然とするよりない。

中でも「不法移民」であるヒスパニッシュ系の人々が
「貧困」から逃れるため軍のリクルートに応じるほかない境遇なのが「悲惨」。

いわゆる「移民問題」と「徴兵」を同時に「片付けられる」ので
ある種の人々にとっては「好都合」な模様。

教育予算が削られ学費が値上がりしたせいで
まともに「学歴」をつけても就職できず「貧困」に落ち込むしかない若者たちも同様に。

彼らに束の間「夢」を見させた挙句「カモ」にしたという意味で
「サブプライムローン」を代表とする「借金制度」の「罪深さ」がわかろうというもの。

そもそもまともに英語を理解しない「弱者」を
何のためらいもなく「餌食」にできる「神経」はかつての「植民地支配」を思わせる。

「国民皆保険」という制度がないと
一度病気になったら「貧困」に転落しなおかつ二度とそこから抜け出せないという「現実」もあり。

アメリカが「世界の実験場」であり彼らに「逆らえない」のがわが国だとすれば
その姿は「近未来のわれわれ」。

本書は4年前の作品なので
その後「現実」がどう動き今後どうなりそうなのかについては注意しておきたいところ。

たとえばTPP。

ただでさえ崩壊しつつある農業や医療はどうなるのか。
「賛成派」には是非ともそのあたりにつて納得できる説明をお願いしたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「生き物ふたつ」について

2012-03-22 04:08:42 | Weblog
晴れ。昼に吹いた風も夜には収まる。

仕事に出かける地下鉄の中でのこと。

手前の端席に座っていた横幅のある兄ちゃんが
駅に着く前にフラっと立ち上がり扉の前に立った後。

目を閉じた顔がピグモンに似ていなくもないおばちゃんが空いた席に座り。

彼女は花柄のバッグを提げていたのだけれどよく見るとそこから犬の顔が出ていた。
たしかこんなで犬好きなら必ず「かわいい」と言うタイプ。

周囲の人々はどうやら気付いてなかった模様。
やがて彼女の隣りに座っていたおばちゃんがおもむろに「あら、ワンちゃんいたのね」と話しかけた。

「ねこ鍋」ならぬ「イヌかばん」。
おとなしい犬らしく声はひとつも立てずにおばちゃんとともに電車を降りた次第。

「動物虐待」を懸念する向きには
おばちゃんは結局提げていたかばんを胸に抱いたことを報告しておく。

「ピグモンはやはりやさしいのだ」という結論でいいか。

さて。

知り合いの若いおなごに「座敷わらし」と呼びたくなる子がいる。

彼女はいつも口をもぐもぐさせていて少しだけ不満顔。
自分の事にしか興味がないかと思えば他人の噂に妙に敏感に反応する。

「今から『おばちゃん』やらなくてもこれからたっぷりできるだろう」と言うと
「うふふ」と微笑んですり足で去る。

ひそかに「歩くこけし」と呼んでもいるのだが
彼女の友人にそう話したら「それは言っちゃダメ」と釘を刺された覚えがある。

いずれにせよ「ほのぼのとしたキャラクター」。
「現実味」のなさそうな彼女が今後どう生きて行くのかには興味津々で。

活字を読まないとついついその種の「観察」に走るわが身も大差なし。
だって退屈なんだものと身体をくねらせると気持ち悪い。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「つまらない理由」について

2012-03-21 03:47:19 | Weblog
晴れ。昨日ほど冷えず。

春一番も吹かずじまいで桜の開花も遅れている模様。
この「異常気象」の原因はどこにあるのだろう。

ルーマン「宗教論」を読み返しているものの
調子のいい時しか内容が頭に入ってこない始末。

日曜に図書館へ行きそびれたのでそれもいいかと思いつつ
飽きたらあらたに本を買ったりしそうな気配も濃厚。

そういえばこのところずっとDVDを観ていない。
日曜のTVでやっていた「シャーロック・ホームズ」の監督はガイ・リッチーだった。

ロバート・ダウニー・Jrの主人公はいかにも「曲者」で
ジュード・ロウ演じるワトソンの結婚を邪魔するあたりはちょいと「ホモ」な世界も。

ただし「魔術」が「科学的」に暴かれるのはやや興ざめ。
なにしろ現代は「科学的」であることさえ相当にあいまいなのだから。

「政治的に正しい」のが「ポリティカリー・コレクト=PC」としてあるのなら
「科学的に正しい」ものが「サイエンティフィカリー・コレクト=SC」としてあってもよさそう。

もちろん一つの事についてもさまざまな「見解」はあると思われるので
いささかまとまりにくいのが問題か。

「まともな専門家」の数もどうやら少なそうなことではあるけれど
「検察審査会」のことを思えば「素人の浅墓さ」もなんだか。

とはいえNHKのマイケル・サンデルの番組のような「意見の交換」にはあまりに「刺激」がなく
「そこまで言って委員会」や「TVタックル」のいたずらな「刺激」も面白くなく。

そうか。TVを観すぎているのか。

ついつい「昭和なクセ」が出てしまうあたりの自分の「いいかげんさ」に納得することしきり。
とりあえず気を引き締めて明日を迎えることにする。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「覚えること」について

2012-03-20 03:45:14 | Weblog
晴れ。風に冷たさが戻る。

いかにもな「三寒四温」。
ただし全体として気象の「異常」は続いている。

ある種の人々はどういうわけか知らないが
目の前のことに集中できずついつい違うことを考えてしまう癖がある模様。

その結果当然のことながら
今身に付けようとしていることの「習得」が遅れることになる。

たとえばあなたは七の段の九九を覚えようとしている。
ところが以前やった六の段を覚えたかどうかが気になって仕方がない。

頭の片隅で六の段を思い返すと少し不安になりいっそうそちらの方へ注意が向く。
結局今覚えようとしている七の段がどうだったかもあいまいになるという具合。

ならばまずは六の段を「完璧」にすればいいと誰しも思うだろう。
ただしそこではさらに以前に覚えたはずの五の段が気になっている。

そうしてどんどん元をたどっていくとすべてが曖昧模糊としてきて
「一体自分は九九が覚えられるのだろうか」という不安がいたずらに高まる。

九九だけでなく覚えなければならないことは他にもたくさんあることを思うとうんざりして
「もう無理だ」と追い詰められた気持ちになったりもする。

さて。

ここで重要だとわかるのは
その人が「二度と忘れない記憶」を持ったと確認できるかどいうかということ。

「つまづきの石」がどこにあるのかと言えば
その人が「覚えた」と思って終わったことが「完璧=瞬時にいつでも答えられること」からは程遠いこと。

もちろん当人は「覚えたつもり」だが「事実」は異なる。
そしてどうやら彼ら彼女らは「そうしたかたち」でしか物を覚えたことがないらしいのだ。

「あいまいに覚えたこと」はさらなるあいまいさを生むばかり。
実は「覚える」という作業の「いいかげんさ」が「負のスパイラル」もたらすことに気付かないまま。

とりあえず「限定された範囲」で「記憶」を「完璧」にすること。
いたずらな「量の多さ」に焦る前に「出来ること」を地道に積み重ねよう。

「自分のツボ」を作って「ここなら任せろ」と思える「事実」を作りさえすれば
あとは着実にその「範囲」を広げるのみ。

その「シンプル」に気付けば案外物事は簡単になるはず。
少しでも思い当たるふしがあるならやってみてはいかが。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「家族な一日」について

2012-03-19 03:13:50 | Weblog
雨のちくもり。降ったりやんだり。

昨日は久方ぶりにソウルバーに行く。
マスターからランチを始める計画を聞く。

店の方はあれこれ大変そうなので心ある者は「クインビー」へ。
自分もできるだけ行くつもりなのでよろしく(ただし今のところほぼ月一回のペース)。

今日は彼岸の入りらしく午前中から墓参り。
母親および上の妹夫婦と出かける。

帰りに寿司屋で昼食。
ネタがよく味噌汁と卵の濃厚な茶碗蒸しも付く割りにお得な値段で納得。

その後ちょいとシャレた「ケーキとパンの店」へ行きガトーショコラとコーヒー。
「生チョコ使用」のショコラはくずれやすいが味はまずまず。

というわけでいつになく満腹になって帰宅。
途中で今週の食料も買って結局「半日仕事」になる。

どうやら妹の「うるささ」に閉口している様子の義理の弟(ただし年上)を慮って
「いい年した大人を子ども扱いするんじゃない」とクギをさしておく。

誰に対しても「まるで幼児扱い」なのは母親そっくり。
いわゆる「箸の上げ下ろし」まで細々と指示するタイプ。

基本的には「世話焼き」で悪い人間ではないけれど
ずっと一緒にいると「めんどくさい」だろう。

ちなみに義理の弟はそうしたことについて黙っている模様。
とはいえもちろん煩がっているのはある程度わかるので。

妹夫婦が帰った後で母親が
自分の姉の息子の子どもの写真を欲しがりメールの保存を手伝う。

生れたばかりの彼はそこそこ可愛い顔をしていた。
こちらはそこに「昔の彼の父親」を見たりして。

いやはや。

「血縁」は「あたたかい」が「めんどくさい」。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加