退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「漢語に酔うことあるいは忘れられたと思われる『起源』」について

2019-03-08 03:51:37 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

松浦友久・植木久行編訳「杜牧詩選」を半分くらい読む。

「懐古のうた」「詠史のうた」「行旅のうた」「郷思のうた」
「閨情のうた」「贈答のうた」「飲酒のうた」まで。

劈頭には有名な「江南の春」。
「千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず」。

「漢江」の「南去北來人自老 夕陽長途釣船歸」。

南へ北へと往き来する旅のなかで人はいつしか老いてゆく。
夕陽の光だけは長くどこまでも家路につく釣り船を照らし続ける。

あるいは「入商山」の「流水舊聲人舊耳 此廻鳴咽不堪聞」。

流れる水は昔と変わらず聞く人の耳も同じであるのに。
今回は水音が悲しくむせび泣いて聞くに忍びない。

「憶遊朱坡四韻」の「戴望天盆(盆を戴いて天を望む)」は
「二つの事が両立しがたいことのたとえ」だと。

「青塚」の「夜夜孤魂月下愁」もいい感じ。
「歎花」の「花狼藉」の「花々が地面に散乱する」というのも同様に。

「有寄」では「美人何處在 明月萬山頭」。
ちなみに「美人」とは「善き友」のことなのでお間違えのないように。

杜牧の詩は落ち着いた雰囲気がいい。
あれこれを嘆きつつ「悲憤慷慨」までいかないあたりが好ましく。

これまた明日読了予定。

例えば「細腰」と書いただけで「魅力的な女子の姿」を描ける簡潔の美よ。
西洋のいたずらな長さをあらためて思うことしきり。

当分の間「惑溺」するつもり。

さて。

わが国のカタカナは結構な外国語に満ちているのに
その意味を知らずに使っていることが少なくなく。

「ドンマイ=Don't mind」はあまりに有名だけれどそれ以外にもたくさん。
ゴルフの「エクスプロージョンショット」の「エクスプロージョン」は「爆発」。

あるいはサッカーの「インジャリータイム」の「インジャリー」は「ケガ」。
バスケットの「インテンショナルファウル」の「インテンショナル」は「故意」。

「バレー」とテニスの「ボレー」が同じ「volley」だったり。
「velocity=速度」だから物理では「v」で表され。

「ホールケーキ」の「ホール」は「whole」で「全部」。
服の「ワンピース」は「上下一続きの布」。

「手術」を「オペ」と言うのは「operation」から。
昔は「患者」のことをドイツ語で「クランケ」と言ったもの。

化学の周期表を覚える「水兵リーベぼくの船」の「リーベ」は英語では「love」。
「愛するもしくは恋人」を表す言葉であった過去など。

今や「死語」となった「アベック」は「avec」でフランス語。
「サボる」が「sabotage=サボタージュ」由来なのも今は忘れられているか。

恥ずかしげもなく関係方面には「圧倒的に初歩的なこと」を書いたのは
「本気で知らない人々」が増えているから。

繰り返すが「partition=パーティション=仕切り」はなぜか「パーテーション」に。
「富士フイルム」が「フィルム」と言えなかったのに同じ。

そういう「時代」があったし今でもある。
なぜそれぞれの言葉が使われたのかを思えば愉しからずや。
コメント
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