わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

国宝の焼き物 (茶碗2)

2010-09-27 21:39:55 | 国宝の焼き物
国宝の茶碗の話を、続けます。

3) 曜変天目茶碗の由来

  この茶碗は、国宝の3点と、重要文化財が1点有り、世界でこの4点しか。存在していません。

  何れも、同じ様な大きさですので、同一人物の作と、考えられています。
   
  (本家、中国の他、世界中どの国でも、この曜変天目茶碗は、存在が確認されていません。)

   (一説には、最高の曜変天目茶碗が、足利義正から、織田信長に渡り、信長が所有していたが、

    「本能寺の変」で、消失したと、言われていますが、その真偽は、定かではありません。)

 ① 静嘉堂文庫蔵  曜変天目茶碗 (通称、稲葉天目)

   曜変天目茶碗の中でも、最高の物とされている物です。

  ) 元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が乳母の、春日局に下賜し、局の孫の、稲葉家に

     伝わります。そのため、「稲葉天目」と呼ばれる様に成ります。

     その後、三菱財閥総帥の、岩崎小弥太が入手しますが、「天下の名器を、私如きが使うべき

     ではない」として、生涯使う事は、なかった言います。

    (尚、この茶碗は、実際に使用されていて、器の内側に、茶筅による、擦り傷が有ります。)

  ) 大きさ  高さ:6.8cm 口径:12.0cm 高台径:3.8cm

      中国、南宋時代(12~13世紀)の作ですが、作者は不祥です。

   ) 中国、福建省~徳川本家~稲葉美濃守正則(小田原藩)~稲葉正往~稲葉正知(淀藩)~

        小野哲郎~男爵岩崎小弥太~静嘉堂文庫美術館(東京・世田谷)

       尚、静嘉堂文庫美術館は、三菱財閥の、初代弥太郎の弟で、二代目の岩崎弥之助、4代目

       の小弥太の親子で、作った美術館です。

       弥太郎は、美術品の蒐集に目がなく、その「コレクション」は膨大で、その中に、

       大変貴重な美術品が、数多くありますが、この茶碗もその一つです。

  ②  藤田美術館蔵  曜変天目茶碗

   ) 水戸徳川家に、伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れています。 

      口縁には銀覆輪が有ります。

      覆輪(フクリン)とは、器の口縁に、金や銀の板を使い、覆いを施した物です。

       (塗りでは無く、板を加工し物です。)

      1918年に藤田財閥の、藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所に在ります。

   ) 大きさ  高さ:6.8cm 口径:12.3cm 高台径:3.8cm

   ) 中国南宋時代、福建省の建窯~徳川家康~水戸頼房より、代々の水戸徳川家~

      男爵藤田平太郎~藤田美術館(大坂) 

  ③  大徳寺龍光院蔵  曜変天目茶碗

    ) 堺の豪商、津田宗及から、大徳寺塔頭の、龍光院に伝わったものです。

      国宝とされる、三茶椀の曜変天目のうち、最も地味なものですが、幽玄な美しさを持つと

      されて、評価が高いです。通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀です。

    ) 大きさ  高さ:6.6cm 口径:12.1cm 高台径:3.8cm

    ) 中国南宋時代、福建省の建窯~堺の豪商、天王寺屋津田氏~津田宗及から、同家の菩提寺

       大通庵へ(寺宝となる)~江月和尚(宗及の子)~大徳寺龍光院(京都)

4) 復元の試み

 ) 1953年に発表された、小山富士夫と山崎一雄による論文、「曜目の研究」において、科

    学的に曜変天目の分析が、なされて以降、多くの陶芸家がその復元を試みます。

   近年、数人の陶芸家(安藤堅氏、林恭助氏など)が、国宝にかなり近い、天目を発表しています。

   当然その技法は、未公開に成っています。(尚、完全に復元に成功したと、見なす人もいます。) 
   
   単に釉の問題ではなく、胎土や、焼成方法に、秘密がある様です。

 ) この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは、議論がわかれています。

以下次回続きます。

 国宝曜変天目茶碗
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