4) 須恵器を作る環境。
② 窯は半地下式の窖窯(あながま)が使われています。(前回の続きです。)
) 窯の構造。
) 燃料に付いて。
燃料は薪が使われていますが、須恵器を焼き始めの頃は、広葉樹林帯の樫(かし)や椎
(しい)の木で焼成していた様です。現在では、攻焚き(せめたき)で脂を多く含む、赤松を
使います。但し、生産場所によって現地の風土、地理的条件の違いにより薪の種類も違い
ますので、地域差が存在します。
a) 生産量に伴い、燃料の消費量が増え、周囲の自然林は荒廃して行きます。
当時は植林の発想はありませんので、燃料を求めて新たな場所に窯を作る場合もあった
様です。
・ 尚、荒廃した場所でも、杉や赤松などが自然再生される事が解かると、赤松を使う様に
成り、一部植林もされていたかも知れません。
b) 一度の焼成で1,500~2,000束の薪が必要との事です。
復元した須恵器の窖窯では、三昼夜の窯焚きで、約2000束の薪を使用したとの事で、
大量の樹木が伐採され、古い書物には燃料の争奪戦の記載もある様です。
) 焼成方法に付いて。
須恵器は還元焔で焼成して、あの独特の青味掛かった灰色になります。更に、青い色調は
胎土をガラス質に近い硬さにする働きもあります。
但し、窯焚き当初から還元焔にすると、温度上昇が鈍く燃料の無駄が多いです。
a) 最初に空気を十分送る、酸化焔で窯の温度を高めます。
b) 攻焚きの段階で、薪を大量に投入して密閉状態にし、窯内を還元状態にします。
c) 不十分な還元の場合には、表面は青色ですが、割れた断面を見ると、芯の部分に赤味
が見えます。 窯跡近くから失敗して捨てた灰原(かいばら)と呼ばれる場所が見られる
場所もあります。
) 窯の使用年限に付いて。
a) 6世紀中頃の窯は、何度も補修を繰り返し長期間使用続けられています。
20回以上補修が繰り返された窯もあります。壁は塗り替えられ、窯底には砂などを入れて
補修しています。
b) 7世紀以降に成ると、補修するより隣に新たな窯を築く事が多くなります。
これは、窯の改良とも関係があります。即ち窯の傾斜の変化や焚口を広げる事、煙道を
煙突状に作る事などす。中でも、窯の中に分焔柱(ぶんえんちゅう)と見られる棒(径が
10~15cm)が焼成部の各所に取り付けられ、窯の長さも短くなります。
平安時代末期に成ると、分焔柱も太くなり、天井と底の間を結ぶ物へと発展します。
これらの改良は火勢を強め、火の回りを調整する処置と考えられています。
c) 窯の改良は床面の傾斜角度や、大甕を据える為床面に浅い窪みを持つ窯も現れます。
後日述べる灰釉陶器の焼成には、1240℃以上の温度が要求される為、更に工夫を凝らす
事に成ります。
③ 轆轤に付いて。
以下次回に続きます。
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