7) 日本の赤絵。
① 色絵の顔料(色絵彩料)に付いて。
赤絵は白磁の上に、赤やその他の色絵彩料を筆で塗り、更に低温度(800℃程度)で焼き
付ける方法です。色絵の彩料は、全て鉱物(金属)を使用しています。更に、その色彩は窯の
雰囲気(酸化焔、還元焔)によって発色が異なります。使う金属の種類は以下の様になって
いますが、筆で塗り易い様に色々細工(粒子の細かさ、添加物など)がされています。
) 金色は純金を使います。
) 銀色は銀を使います。
) 赤色は酸化第二鉄(弁柄)又は金属銅(釉裏紅)を使います。
) 紫色は二酸化マンガン又はコバルトを使います。
) 緑色は酸化銅です。
) 黄色はルチール又は鉄です。
) 茶色は酸化第一鉄です。
) 黒色は、酸化第一鉄、マンガン、コバルト+緑釉です。
) ピンク色は、二酸化マンガン又は金を使います。
② 我が国での磁胎赤絵は、正保年間(1644~1648年)の1450年頃、西肥前の有田郷で、初代
酒井田柿右衛(喜三右衛門、~1666年)窯で焼成され、赤絵の技術が完成したと言うのが
通説です。伊万里の陶商の東島徳左衛門が、長崎に滞在する中国人から情報を得、更に彼らの
協力で、柿右衛門窯で成功します。この技術は瞬く間に各地に伝わります。
) 同時期に北陸の九谷でも古九谷赤絵が完成し、京都の京窯でも赤絵(錦手)が完成します
) 赤絵磁器が急速に発展し、大量に作られる切っ掛けは、1659年頃にオランダ東インド会社
(VOC)の大量買付けです。東インド会社により、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿や邸宅を飾る為
ヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。特に「柿右衛門様式」と呼ばれる色絵
磁器は有田の色絵の流行様式になります。
③ 柿右衛門様式について
)柔らかく温かみのある乳白色の白磁器の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な
構図が特徴です。この技法を濁手(にごして)と呼びます。
) 絵柄は主に大和絵的な花鳥図などを題材とし、暖色系の色彩で描かれた非対称の構図
が特徴です。図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的な物が
いくつかありますが、時代とともに変化し、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの
絵画の影響が入って行きます。
) 乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同様な色絵を施した
物も多く作られています。これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。
) 「柿右衛門様式」の作品はドイツのマイセン窯などで、模倣品が作られます。
更に、中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られ、ヨーロッパ
に輸出されていました。
) 「柿右衛門様式」は有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷
様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。
) 柿右衛門の名前は代々受け継がれ、各々の柿右衛門は技術を磨きながら赤絵を作り続けて
います。
a) 四代(1640~1679年)までの間が初期柿右衛門とされ、作風も余り変化が無い様です。
b) 六代目(1690~1735年)は、中興の祖と呼ばれ高い技能を有していました。
c) 七代目以降濁手の技法が中断します。
d) 十二代と十三代(1906~1982年)は1947年頃から濁手の復活をめざし、1953年に初めて
濁手の作品を発表します。
e) 尚、濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択され、1971年には重要無形
文化財に指定されています。尚、現在は十四代目で、近年は写生を基にした現代的な画風
が多いそうです。
④ 西洋への輸出品。
以下次回に続きます。
① 色絵の顔料(色絵彩料)に付いて。
赤絵は白磁の上に、赤やその他の色絵彩料を筆で塗り、更に低温度(800℃程度)で焼き
付ける方法です。色絵の彩料は、全て鉱物(金属)を使用しています。更に、その色彩は窯の
雰囲気(酸化焔、還元焔)によって発色が異なります。使う金属の種類は以下の様になって
いますが、筆で塗り易い様に色々細工(粒子の細かさ、添加物など)がされています。
) 金色は純金を使います。
) 銀色は銀を使います。
) 赤色は酸化第二鉄(弁柄)又は金属銅(釉裏紅)を使います。
) 紫色は二酸化マンガン又はコバルトを使います。
) 緑色は酸化銅です。
) 黄色はルチール又は鉄です。
) 茶色は酸化第一鉄です。
) 黒色は、酸化第一鉄、マンガン、コバルト+緑釉です。
) ピンク色は、二酸化マンガン又は金を使います。
② 我が国での磁胎赤絵は、正保年間(1644~1648年)の1450年頃、西肥前の有田郷で、初代
酒井田柿右衛(喜三右衛門、~1666年)窯で焼成され、赤絵の技術が完成したと言うのが
通説です。伊万里の陶商の東島徳左衛門が、長崎に滞在する中国人から情報を得、更に彼らの
協力で、柿右衛門窯で成功します。この技術は瞬く間に各地に伝わります。
) 同時期に北陸の九谷でも古九谷赤絵が完成し、京都の京窯でも赤絵(錦手)が完成します
) 赤絵磁器が急速に発展し、大量に作られる切っ掛けは、1659年頃にオランダ東インド会社
(VOC)の大量買付けです。東インド会社により、ヨーロッパの王侯貴族の宮殿や邸宅を飾る為
ヨーロッパ等の国々へ大量に運ばれていきました。特に「柿右衛門様式」と呼ばれる色絵
磁器は有田の色絵の流行様式になります。
③ 柿右衛門様式について
)柔らかく温かみのある乳白色の白磁器の上に、余白を十分に残した明るく繊細で絵画的な
構図が特徴です。この技法を濁手(にごして)と呼びます。
) 絵柄は主に大和絵的な花鳥図などを題材とし、暖色系の色彩で描かれた非対称の構図
が特徴です。図柄には「岩梅に鳥」「もみじに鹿」「竹に虎」「粟に鶉」など典型的な物が
いくつかありますが、時代とともに変化し、やがて狩野派、土佐派、四条派、琳派などの
絵画の影響が入って行きます。
) 乳白色の素地だけでなく青味を帯びた白磁や染付を用いた素地にも、同様な色絵を施した
物も多く作られています。これらも含め「柿右衛門様式」と呼ばれています。
) 「柿右衛門様式」の作品はドイツのマイセン窯などで、模倣品が作られます。
更に、中国の景徳鎮窯にも影響を与え(景徳鎮伊万里)、同様の作品が作られ、ヨーロッパ
に輸出されていました。
) 「柿右衛門様式」は有田焼でも、緻密な作風の鍋島様式や寒色系で余白の少ない古九谷
様式と異なり、柔らかく暖かな雰囲気を感じさせます。
) 柿右衛門の名前は代々受け継がれ、各々の柿右衛門は技術を磨きながら赤絵を作り続けて
います。
a) 四代(1640~1679年)までの間が初期柿右衛門とされ、作風も余り変化が無い様です。
b) 六代目(1690~1735年)は、中興の祖と呼ばれ高い技能を有していました。
c) 七代目以降濁手の技法が中断します。
d) 十二代と十三代(1906~1982年)は1947年頃から濁手の復活をめざし、1953年に初めて
濁手の作品を発表します。
e) 尚、濁手の製作技術は1955年に国の選択無形文化財に選択され、1971年には重要無形
文化財に指定されています。尚、現在は十四代目で、近年は写生を基にした現代的な画風
が多いそうです。
④ 西洋への輸出品。
以下次回に続きます。