わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)81 染付3(景徳鎮3)

2014-05-20 17:50:32 | 陶磁器と色彩
3) 中国明代(1368~1644年)の景徳鎮窯。 

 1368年、貧しい農民の生まれと伝えられている、漢民族の「朱元璋(洪武帝)」が、「元

 (モンゴル帝国)」を倒し、南京に「明王朝」を建国します。「元」の支配していた東アジアから

 ヨーロッパに掛けての広大な地域は「明」がそのまま引き継ぐ事になります。

 ① 龍泉窯、磁州窯、鈞窯(きんよう)は、元の滅亡と伴に衰退し、地方窯として存在する様に

  なります。一方景徳鎮窯は、中国国内の陶磁器の生産の中心を担い、発展を続けます。

 ② 官府専用の御器蔽(官窯)の設置。

   洪武帝(朱元璋)は、宮廷で使う陶磁器を製作させる為に、優れた陶工を集めて景徳鎮の

   珠山に御器蔽を設けます。

  ) 最高級の陶磁器を作る為、監督する役人を派遣し、品質の管理に当たらせます。

  ) 御器蔽で作られた陶磁器は、宮廷と官府でのみ使用され、一部貢物として外国に贈られ

     る以外は、海外に輸出する事もありませんでした。

     海外に輸出されていた陶磁器は、景徳鎮の市街地内や郊外の民窯や、官が管理しない処

     で作られた焼き物です。

  ) 陶磁器の底の裏側には、「宣徳官窯(1425~1435)」の中期以降、王朝銘を記した年款銘

     を付す事が義務付けられていました。

 ③ 青花磁器の様式。

  ) 洪武帝(1368~1398年)と永楽帝(1360~1424年。在位期間1402~1424年)の青花磁器。

   a)洪武時代には、青花と釉裏紅磁器が顕著な作品です。

    文様は植物文が中心で、牡丹、菊、松竹梅、芭蕉などです。周囲は唐草文が取り囲んだ図式

    で、形式化されたものでした。この時代の青花磁器は「元」の時代に比べコバルトの発色も

    黒ずんで悪く、透明感も欠けると言われています。これは、イスラムからの輸入が減り、

    コバルト顔料が欠乏した為と言われています。

   b) 釉裏紅は辰砂(しんしゃ)とも呼ばれ、コバルトの代わりに酸化銅を使う方法です。

     (尚、本物の辰砂は水銀の仲間で、銅ではありません。)

   c) 三代永楽帝は、各地に遠征し領土を拡大し、一大帝国を築きます。更に、南京から北京へ

     遷都します。 彼の時代に、景徳鎮は黄金期を向かえ、数々の名品が製作されています。

     又、「鄭和の大船団(大遠征)」などで積極的な貿易を行い、中央アジアや西アジアの

     交流が、活発化させる事になります。その為、コバルト顔料の輸入が増えます。

     特に「蘇麻離青(そまりせい)」と呼ばれる顔料は、マンガンが少なく、鉄分が多い為

     鮮やかな青に発色します。

   d) 鄭和(ていわ)の大船団(大遠征): 鄭和は明代の宦官(かんがん)で武将です。

     時の皇帝の永楽帝に抜擢され、1405年から29年間に前後7回に渡り、東南アジア、インド、

     アラビア半島などに遠征を行います。 大船62隻、乗組は2万7800名余りの大船団です。

     目的は中華王朝の威を世界に知らしめる事と、朝貢国を増やす事と言われています。

     中国からは景徳鎮の御器蔽の青花磁器などの、40cm以上の皿などの製品はこの時に

     中近東に運ばれた物です。海外からは珍宝の輸入や各地の情報収集がなされます。

     他に猛獣や大型獣と共にキリンが運ばれています。 又、この遠征により膨大な外貨の

     獲得がなされ、明の国力増強に繋がりました。

  ) 宣徳期の青花磁器。

以下次回に続きます。

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