わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸79(船木道忠、研児2)

2012-03-25 21:48:51 | 現代陶芸と工芸家達
前回に続き船木道忠氏の話を続けます。

 ②  船木道忠氏の陶芸

  ) スリップウエアの再現 

     スリップとは、化粧土の事で、化粧土が乾かない内に、表面を鳥の羽や藁束、櫛、指などで

     引き撫でしたりして化粧土を動かし、文様を付ける技法を、スリップウエアと言います。

     英国で発達した技法でしたが、陶磁器の技法発達や大量生産品の普及と共に、廃れたて

     しまいます。

    a) 1920年 渡英したリーチと濱田庄司は、彼らの窯の近くでスリップウェアの破片を見つけ、

      更に現存するスリップウェアを収集し、1924年に濱田氏が日本に持ち帰えります。

    b) 1913年 リーチや富本憲吉は東京の丸善書店で「古風な英国陶器」(チャールズ・ロマックス著)の

      本の中で、初めてスリップウェアの存在を知ります。その予備知識が有った為、収集した

      物と思われます。

    c) スリップウエアは、英国のガレナ釉(鉛の硫化物)で施釉されている事が解かると、ガレナ釉を

      再現する為、布志名焼の黄釉が参考にされます。

      リーチは、好んで布志名の船木家に滞在し、後に船木道忠によって、その技法が解明

      される事になります。

      20世紀になると、この技法を使う陶芸家やメーカーも多くなって行きます。

2) 船木研児(ふなき けんじ): 1927年(昭和2) ~

  ① 経歴

   ) 島根県布志名で、船木道忠氏の長男として生まれます。

   ) 1944年 島根師範学校に入学するが、母の急死と敗戦により、学業を中退し父を助ける為、

      家業の工房で、轆轤技術を学びます。 

   ) 1950年 栃木県益子を訪れ、濱田庄司氏に師事します。同年日本民藝館賞を受けます。

      1952年 現代日本陶芸展(朝日新聞社主催)に出品します。

   ) 1967年より、渡英しリーチ父子を訪れ、研修を受けます。

      又、北欧諸国、仏、伊などを旅行し、陶磁器の視察を行っています。

 ② 船木研児氏の陶芸 

  ) 研児氏の作品も基本的には、父の道忠氏と同様に、黄釉とスリップウエアの技法を使った作品が

    多いです。違いとしては、道忠氏が抽象的文様なのに対し、具象的な絵柄を使用している点です。

    鳥の絵や鹿、魚、蛸、人物などの文様が多く見られます。

   ) 作品としては、「黄釉スリップ楕円鉢」(1950)、「黄釉蓋物」(1951)、「泥描黄釉蛸文大鉢」

      (1956)、「泥描黄釉鹿絵大鉢」(1956)、「鉄鉛釉押文蓋壺」(1963)、「鉄釉土瓶」(1967)、

     「白釉指掻文二彩大皿」(1975)、「淡鉄釉鳩絵大鉢」(1981)、「三彩釉線彫大鉢」(1981)、

     などがあります。その中の数点は日本民藝館や倉敷民藝館で、展示されています。

   ) その他の実用品として、「淡黄釉紅茶碗」、酒盃、湯呑、小皿などの作品があり、

     人物や、鹿、鳥、魚などを描いた陶板も作っています。

次回(佐久間 藤太郎氏)に続きます。

 
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