2時間寝坊したせいで春日大社へ行く時間が無くなってしまったので、そそくさと近鉄奈良駅に戻って学園前に向かった。
前回訪問から7年、大きく変わる訳もないし某主催から情報も入るが、奈良に来た以上顔を出すべきだろうと思フ。
どのバスに乗りゃ良いんだ問題は案内所で解決して中登美団地に安着。
パトカーにマークされた訳じゃなく、この交差点でフルバンクにチャレンジしてペダルが引っ掛かって大転倒した因縁の地だからである。
前と同じ様に通学路を通って登美ヶ丘小学校へ向かった。宅地化が更に進み、建て替えられた家も増えていたが、学校からの風景は変わってなかった。
ここに通ったのは5年で入学式も卒業式もここではない。でも自分にとっての小学校はここしかない。
転勤で広島に引っ越すと告げられたとき、寮制が有った東大寺学園中学へ進学して奈良へ戻る事を条件に引っ越しを受け入れた。
これは両親にとって一大事で、広島で利便性が高い市内中心のマンションを止め、不便だが自然豊かな郊外の戸建を選んだのも、団地で飼えなかった子猫を早々に貰ってきたり、子猫が連れ去れたらすぐに犬の話をまとめたのはそれがキッカケだったようだ。
団地住まいは良き思い出だが、集合住宅である以上我慢を強いられる事も有る訳で、嫁さんの希望を押し切って戸建にしたのもそれが原因だ。
今、この団地はペット禁止で公園で散歩をさせることは出来ない。綺麗に掃除と剪定が行き届いているが、出会うのは買い物に向かう老人で公園には人がいない。
犬の散歩コミュニティーが形成され、朝っぱらから人が絶えない我が近所の公園とは全く異なる。
昔はこの団地にもベランダに鳥籠が普通にあったし、それもインコだの文鳥みたいな大人しいのじゃなく縁日のヒヨコが成長したのとかも居た。野良猫はそこら中に居たし野犬におびえたりもした。
モラルは今の方が遙かに高いとは言え、生物としての人間が暮らす環境としてはどっちが好いんだろうか?と考えながら散策を終えた。
親父は尼崎まで通勤していたが、満員電車を乗り換えて行くのが大変でせめて難波までは着座出来る特急を使うことが多かったという。今は1本で行けるがこの駅にこの行き先は違和感が大きい。
日曜夕方の難波方面は奈良観光帰りでほぼ満員で、親父を見習って特急を奢ってみた。昔と同じ配色が懐かしくも嬉しい。
僅か30分だが、一般車両とは一線を画す落ち着いた車内から大阪の夕景を眺めてから帰途についた。
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