貴の備忘録

気の向くまま、興味のあることを書いて置く場所。

同窓会

2009-05-25 23:14:50 | GPz1100
GPzミーティング黎明期のメンバで長らく参加が途絶えていた方々と熱海で宴会をしませんか?というお誘いを受けたので、週末にGPzとそれにまつわる面々を堪能してきた。
まぁ、笑細は毒舌氏にお任せするとして、備忘録らしくダラダラと長文を綴っておく。



天候に最後まで悩まされたが、年1回の晴れ舞台に出ると言うことでGPzを出すことにした。
御ベンツ様の先導でエンジンが絶好調であることを確認しつつ、運動会の日焼けに悩むパパモードから単車乗りモードへ頭を切り替えることが出来た。
熱海までは藤沢、新湘南、西湘、真鶴道路とバイパスを乗り継いで約1時間の移動である。

早めに集合して熱海の温泉を堪能するとの事だったが、ビジホの狭いロビーで待ち受けていたのは0次会も宴たけなわな面々であった。なにやら3時から呑み続けているらしい。
いつもの様に先行逃げ切りを計る毒舌氏は既に全開疾走中。GPz葬の葬儀委員長を買って出ていた。

主賓のいまだに1100乗りのY氏、かつて750乗りで今はハーレー乗りのK氏は共に16年振りの再会だったが、あまり変わってない。
両氏は50の大台(正確にはK氏は目前)だが、単車乗りは老けるということに縁が無いのだろうか?
Y氏は変わらぬノリと軽口で毒舌を難なく切り返していき、K氏は渋みと重みが増している。
一気に時間が巻き戻ったような感覚に見舞われながら、差し出されたビールを頂戴した。

カメラマン氏の到着を待ち、汗を流してから熱海の夜へ繰り出した。
参加メンバは主役のY氏、K氏と幹事のポーラ氏、毒舌氏、山口から遠路はるばるZX12Rで参上した偽自衛官氏、カメラマン氏、グッズ屋氏、グッズ製作請負氏、左官屋氏の各位であった。

ここからは笑い過ぎ、呑み過ぎで記憶も途切れ途切れ。
アルコール性アルツを回避するため、チャンポンを避け生ビールを通したのだが、藁藁の発泡酒では効き目が薄かったらしい。 orz・・・
毒舌全開、破壊行為有りの宴会が繰り広げられたが、上手く伝える筆力がないのが情けない限り。
触法行為は無かったはずである。

いつものように二日酔いの憂鬱と共に目覚めた。これはお約束。バファリンを忘れたのが痛恨の極みだ。
残念ながらY氏とグッズ製作請負氏はホテルでお別れとなり、残る電車勢はレンタカーを借りて西伊豆へ小アジ寿司を食べに行くことになった。
天気予報は悪い方に外れ、10:00頃に出発する時には酷い降りに変わっている。
これもお約束の出来事。想定の範囲内だ。



K氏のハーレーは1200のスポーツスターで、キャブとマフラーを弄ってあるとのこと。
ライムの750も個性的だったが、スポスタ姿も実に良く似合っていて格好良い。
エンジンから車体まで笑ってしまうくらい盛大に振動しており、当然乗り手のK氏も振動しているが、実は寒さで体の振動は倍増していたようだ。
ハーレー乗りはカッパを着ないとのことで、K氏もカッパ無しのずぶ濡れなのである。
GPz乗りも拘りを持った奴が多いのだが、ハーレー乗りは肉体的にも相当な覚悟が必要なようだ。
歳取ってGPzを降りたら安直にハーレーかと思っていたが、私には縁がないのかも知れない。



山越えし、修善寺を経て西伊豆スカイラインの展望台で休憩。雨でペースが上がらず12:00前になっていた。
ここでK氏とはお別れ。所用が無くてもカッパ無しでは限界だっただろう。
今のご時世、客商売で熱でも出したら大変な事になる。

フルウェットの西伊豆スカイラインでは前に付いていけず忸怩たるものがあったが、無事コレ名馬と言い聞かせながら一つ一つ慎重に曲がっていく。これが実力であり、自分で決めたことでも有る。

西伊豆海岸に出ると路面はドライになっており、13:00過ぎに宇久須の小アジ寿司屋さんに到着。



毒舌氏、カメラマン氏両氏絶賛の小アジ寿司とカサゴの味噌汁を味わう。
学生の頃は西伊豆に通っていたので、そんなの名物だったっけ?と思ったのは確かだが、なるほど旨い。



ブロガー気取りで写真を撮っておいた。
しつこく残る頭痛を感じながら、まったり思い出話に花が咲く。



熱海に戻るレンタカー組とはここでお別れとなり、帰りを急ぐ偽自衛官氏に促されながら15:00過ぎに沼津へ出発した。
路面はほぼドライ。
四輪が切れると、毒舌氏が自身の毒舌に負けないキレの良さで倒しこんで、素っ飛んでいく。
そりゃ4,000kmでタイヤがちびるわなと、得心しつつ後に続く。

長い付き合いで始めて見る膝を付き出し腰も落とし加減で走る偽自衛官氏の後ろで、グッズ屋氏が右から左から突き倒して遊んでいる。
私はその後ろから、”お約束とはいえ、相も変わらずチョロチョロと・・・どっちかにせいや!”と心中叫びながら続く。ドライならまだ行ける。
ペースを掴み余裕が出来た頃、後ろをチョロチョロしている左官屋氏を前に出す。
左官屋氏は時折オーバーレブの煙を吐きながらのZX-12Rを追っかけ回し始めた。そんなにぶち回したら、エンジン短命やろと・・・。

右の課題を心の隅に置きつつ、最後尾から後追いを楽しんだ。
理屈では分かっていて、倒し込みでリヤブレーキを残す意識が強過ぎて右足荷重が抜けていない。
これがために向きが変わらず、無駄なパーシャル時間が長くなる。
分かっちゃ居るけど、染みついたクセは抜けない。
そんな走りに没頭した時間もつかの間、再び雨が降り始めて気持ちが一気に切れてしまい、置いて行かれてしまった・・・。



沼津へ入ってカッパを着るともう渋滞が始まっていた。
油温計が107度を示してしまい、裏道を先導すれば良かった! と後悔しながら東名坂のスタンドへ。
沼津御用邸からR1までなら、国道を避けて市内を突っ切れば渋滞など皆無に等しい。
ここで、西と東に東名組4人が別れ、私は箱根越えで帰る。
名残は尽きぬが、再会を約し17:30頃散会した。レンタカー組も無事に返却したとのこと。

帰路は雨も小やみ、行楽車両もほとんどおらず快調そのもの。
心配だった霧もごく一部で、ウェット路面の感触を確認しながらの帰路だった。
帰着は19:30で総走行距離は260kmほど。燃費は沼津までの200kmで15km/Lに届かず、かなり悪い。
電装系が時折怪しげな挙動を示し余計な神経を使ったが、笑い疲れ、呑み疲れ、そして走りも堪能した2日間であった。



素晴らしい一時を企画してくれた幹事役のポーラ氏を始め、主賓のお二人と集まった旧友達。
”本当に有り難うございました。また機会があったら宜しくお願いします”というのが、今の気持ちだ。

そもそも22年前、空冷GPz好きってどんな奴らなんだろう?と、冷たい雨が降る飯田に集まったことに端を発す。
まさか、22年後にその面々と懐かしき伊豆を駆け抜けるなんて夢にも思わなかったことだ。
人の縁って本当に不思議なものだ。

この画像は、今回参加フル面子が揃ったであろう2回目である。

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