あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

自我には正義も良心も思想も通用しない(自我その41)

2019-02-24 14:48:36 | 思想
我々は、いついかなる時でも、ある構造体の下で、自我を持って生きている。そして、その構造体と自我が、他の人から認められ高く評価されることを目標として生きている。自我とは、自らが所属する構造体における自らのポジションである。たとえば、日本という構造体に所属する人には、日本人という自我がある。恋愛関係という構造体に所属する男女には、恋人という自我がある。家族という構造体に所属する人には、父、母、息子、娘という自我がある。グループという構造体に所属する人には、仲間・友人という自我がある。さて、我々は、自ら自我をもって生きていると思っている。確かに、我々には、常に自我が存在する。しかし、主体的に持っているのではない。持たされているのである。そして、誰しも、自我を拒否できない。自我を拒否すれば、人間として、自分の生き方がわからず、誰にも相手にされず、社会生活を営めなくなる。つまり、我々は、いついかなる時でも、自我によって動かされて生きている。そして、人間の幸不幸は、この自我によって引き起こされる。しかし、自我によって引き起こされた幸福は説く者はいても、不幸もまた自我によって引き起こされていることを指摘する者はいない。それでは、なぜ、自我が不幸を引き起こすのか。それは、自我には正義も良心も思想も通用しないからである。なぜならば、自我は深層心理によって動かされているからである。日本という構造体に所属する人には日本人という自我があるのと同様に、中国、韓国、北朝鮮という構造体に所属する人には、中国人、韓国人、朝鮮人という自我がある。しかも、明治以来の戦争において、中国、韓国、北朝鮮は日本に侵略された歴史があるから、彼らは日本や日本人をライバル視している。それゆえに、領土問題などで国同士の意見が異なると、過激な抗議行動を取る。かてて加えて、安倍晋三首相を中心とする、アメリカに積極的に隷属している、似非右翼は、先の戦争を正当化しているから、両者の自我が衝突して、収拾のめどが付かない。自我には正義も良心も思想も通用しないのである。恋愛関係という構造体を形成している男女は恋人という自我を持っているが、一方が別れを告げたらどうなるだろうか。振られた人は、必ず、苦悩する。なぜならば、相手から恋人という自我を認めてもらえなくなったからである。振られた人は、相手を憎み軽蔑し、相手を下に見ることによって、その苦悩から逃れようとする。それでも、苦しみから解放されない者は、ストーカーに走る。もちろん、その人は、自分のやっている行為が悪いことだとわかっているが、心の底から湧き上がってくる思いを止めることができないのである。表層心理でわかっていても、深層心理の思いが強ければ、止めることができないのである。家族という構造体を形成している父という自我を持っている者が、娘から嫌われたらどうなるだろうか。必ず、苦悩する。なぜならば、家庭では、常に、娘から父という自我を認めてもらいたいと思って暮らしているからである。正常な父は、いろいろと考え、努力して、娘に気に入られようとする。異常な父は、暴力によって、娘に父と認めさせ、父という自我を満足させようとする。心の底から湧き上がってくる怒りや憎しみがそのようにさせるのである。たとえ、表層心理で悪いとわかっていても、深層心理の思いが強ければ、止めることができないのである。それが、千葉県野田市で起きた、父の娘への暴行死の悲劇である。グループという構造体を形成している人は仲間・友人という自我を持っているが、グループのメンバーの一人に嫌いな人がいて、いやがらせをしていたらどうなるだろうか。他のメンバーも加担するだろう。仲間・友人と認めてもらい、自我を守りたいからである。それがいじめである。そして、学校も教育委員会もいじめの加害生徒の母親たちもいじめの事実を認めないのも、校長、教師、教育委員、母の自我を守るためである。つまり、自我には正義も良心も思想も通用せず、自我は深層心理によって動かされているのである。「なぜ悪いとわかっているのにやめないのだ。」と注意する者は多い。しかし、彼らは。自我とそれを動かす深層心理の存在に気付いていない。自我のあり方、そして、それに伴う深層心理のあり方を変えない限り、人間の不幸はとどまることはないだろう。

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