あるニヒリストの思考

日々の思いを綴る

深層心理の敏感な人は、自我は苦悩し、他者は苦しめる。(自我その299)

2020-01-16 20:42:11 | 思想
人間には、深層心理の敏感な人と鈍感な人がいる。深層心理とは、一般に、無意識と呼ばれ、人間の心の奥底に存在し、自らは意識していない心の思考である。深層心理に対するものとして、表層心理が存在する。表層心理とは、人間の意識しての思考であり、表層心理の思考結果が意志という行動の指針になるのである。だから、人間は、表層心理で、つまり、自ら意識して、自らの意志で、直接的に、深層心理に働き掛けることはできない。人間は、表層心理で、意識して思考するのは、常に、深層心理が思考の後であり、しかも、表層心理で思考する対象は深層心理が生み出した思考の結果についてに限定されているのである。人間は、まず、深層心理が、ある気分の下で、構造体の中で、自我を主体に立てて、快感原則に基づいて思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出すのである。気分とは長期的な心理状態である。感情とは瞬間的な心理状態である。深層心理は、常に、ある気分の中にあり、その気分は、瞬間的な感情の後や時間的な経過で、変化する。構造体とは、人間の組織・集合体である。自我とは、人間が、構造体の中で、ポジションを得て、それを自己のあり方として、その務めを果たすように生きているあり方である。構造体と自我には、さまざまなものがあるが、具体例を挙げると、次のようになる。家族という構造体には父・母・息子・娘などの自我がある。学校という構造体には、校長・教諭・生徒などの自我がある。会社という構造体には、社長・課長・社員などの自我がある。店という構造体には、店長・店員・客などの自我がある。仲間という構造体には、友人という自我がある。カップルという構造体には、恋人という自我がある。日本という構造体には、総理大臣・国会議員・官僚・国民(日本人という庶民)という自我がある。都道府県という構造体には、都知事・道知事・府知事・県知事、都会議員・道会議員・府会議員・県会議員、都民・道民・府民・県民という自我がある。市という構造体には、市長・市会議員・市民という自我がある。町という構造体には、町長・町会議員・町民という自我がある。快感原則とは、フロイトの用語であり、快楽を求め、不快を避けて生きようという欲望である。だから、深層心理は、快楽を求め、不快を避けて生きようとして、思考するのである。だから、深層心理には、良心も悪心も存在しない。道徳観や社会規約も存在しない。ひたすら、快楽を求め、不快を避けようと思考する。だから、もしも、人間が、正直に、自らの欲望の全てを話してしまえば、どのように親密な人間関係でも壊れてしまうだろう。このように、フランスの心理学者のラカンが「無意識は言葉によって構造化されている。」と言っているように、深層心理は、快感原則に基づいて、言語を使って論理的に思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出しているのである。そして、次に、人間は、表層心理が、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、自我を主体に立てて、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令について許諾するか拒否するかを意識して思考するのである。これが広義の理性である。現実原則も、フロイトの用語で、長期的な展望に立って、自我に利益をもたらせようとする欲望である。さて、深層心理の傾向は、一般に、性格と言われている。一般に、深層心理の敏感な人は短気な性格の人だと言われて嫌われ、深層心理の鈍感な人は気の長い性格の人だと言われて好まれている。なぜならば、深層心理の敏感な人、すなわち、短気な性格の人は感情の起伏が激しく、急に黙って内にこもって何もしなくなったり、突然その場から逃げ出したり、激しく相手に毒づいたり、いきなり相手に殴り掛かったりするからである。しかし、乱暴を働く人を心が強い人だと誤解している人が多い。そうではなく、乱暴な人は心が弱く、すなわち、深層心理が敏感なために、心が傷付きやすく、その傷付いた心を早く回復させるために乱暴を働くのである。しかし、短気な性格、気の長い性格は、先天的なもので、本人にはどうしようもできない。一生変わることはない。なぜならば、性格は深層心理の範疇にあり、表層心理の意志ではどうすることもできないのである。だから、人間は、自らの性格を変えることができないのである。もしも、性格に変化があったとすれば、それは、人間が、表層心理で意識して意志によって変わえたのではなく、深層心理自らが自らの事情で変わったのである。だから、人間が、表層心理でできることは、自らの深層心理の傾向を意識し、現実と大きな葛藤を生じないように、現実的に対処していくことである。これが、「自らを知る」ということである。アスペルガー症候群に属する人などのように、先天的に、深層心理が極端に敏感な人は、社会生活を営む上において、困難を極めるのは当然のことなどである。しかし、彼らも、「自らを知る」ことによって、表層心理で、自らの深層心理の傾向を意識し、現実と大きな葛藤を生じないように、現実的に対処していくことしか無いのである。さて、このように、人間は、いつ、いかなる時でも、ある気分を持して、構造体の中で、自我として生きている。人間は、常に、まず、深層心理が、ある気分の下で、構造体の中で、自我を主体に立てて、快感原則に基づいて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出しているのである。だから、人間は、意識する意識しないにかかわらず、無意識のうちに、深層心理が、常に、快楽を求め不快を避けて生きようとしているのである。さて、それでは、深層心理は、どのような志向性(観点・視点)や趣向性(好み)を用いて、快感原則を満たそうとしているか。それは、自我の対他化、対象(他者・物・事柄)の対自化、自我と他者の共感化という志向性である。第一の志向性や趣向性である自我の対他化は、深層心理は、自我が他者に認められることによって、喜び・満足感という快楽を得ようとすることである。自我の対他化とは、言い換えると、他者から好評価・高評価を受けたいと思いつつ、自我に対する他者の思いを探ることである。他者に認めてほしい、評価してほしい、好きになってほしい、愛してほしい、信頼してほしいという思いで、自我に対する他者の思いを探ることである。自我が、他者から、認められれば、評価されれば、好かれれば、愛されれば、信頼されれば、喜びや満足感という快楽が得られるのである。少女がアイドルになりたいのは、大衆に好かれたいからである。しかし、深層心理の敏感な少女ほど、アイドルになろうという欲望は強く、なれなかったならば、その挫折感は、深層心理の鈍感な人よりも大きいのである。自我の対他化は、ラカンの「人は他者の欲望を欲望する。」(人間は、他者の思いに自らの思いを同化させようとする。人間は、他者から評価されたいと思う。人間は、他者の期待に応えたいと思う。)という言葉に集約されている。第二の志向性や趣向性である対象の対自化は、深層心理は、他者や物や事柄という対象を自我で支配することによって、喜び・満足感という快楽を得ようとすることである。対象の対自化とは、言い換えると、他者という対象を自我の志向性や趣向性で命令して動かすこと、物という対象を自我の志向性や趣向性で利用すること、事柄という対象を自我の志向性や趣向性で捉えることなのである。すなわち、他者の対自化とは、自我の力を発揮し、他者たちを思うように動かし、他者たちのリーダーとなることなのである。その目標達成のために、日々、他者の狙いや目標や目的などの思いを探りながら、他者に接している。物の対自化とは、自分の目的のために、対象の物を利用することである。事柄の対自化とは、自分の志向性で(観点・視点)や趣向性(好み)で、事柄を捉え、理解し、支配下に置くことである。深層心理な敏感な教諭ほど、校長になって学校を支配したいという欲望は強く、深層心理の敏感な会社員ほど社長になって会社を支配したいという欲望は強く、校長や社長になれなかったならば、その挫折感は深層心理の鈍感な人より大きいのである。人間が神を創造したのは、この世に神が存在しなければ生きていけないと思ったからである。他者や物や事柄という対象の対自化は、「人は自我の欲望を対象に投影する」(人間は、自我の思いを他者に抱かせようとする。人間は、自我で他者を支配しようとする。人間は、自我で物を利用しようと考える。人間は、他者や物や事柄を、自我の志向性や趣向性で捉えようとする。人間は、実際には存在しないものを、自我の欲望によって創造する。)という言葉に集約されている。第三の志向性である自我と他者の共感化は、深層心理は、自我と他者を理解し合う・愛し合う・協力し合うことによって、喜び・満足感という快楽を得ようとすることである。自我と他者の共感化とは、言い換えると、自我の存在を確かにし、自我の存在を高めるために、他者と理解し合い、心を交流し、愛し合い、協力し合うのである。人間は、仲間という構造体を作って、友人という他者と理解し合い、心を交流し、カップルという構造体を作って、恋人いう自我を形成しあって、愛し合い、労働組合という構造体に入って、協力し合うのである。年齢を問わず、人間は愛し合って、カップルや夫婦という構造体を作り、恋人や夫・妻という自我を持つが、相手が別れを告げ、カップルや夫婦という構造体が破壊され、恋人や夫・妻という自我を失うことの辛さから、深層心理の敏感な人ほど、ストーカーになって、相手に嫌がらせをしたり、付きまとったりするのである。また、敵と対峙するための「呉越同舟」(共通の敵がいたならば、仲が悪い者同士も仲良くすること)という現象も、自我と他者の共感化の志向性である。政治権力者は、敵対国を作って、大衆の支持を得ようとするのである。しかし、深層心理の敏感な政治権力者ほど、自分の考えに従わない大衆を激しく弾圧するのである。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するために、そして、構造体が存続・発展するために、自我の欲望を生み出す。それは、一つの自我が消滅すれば、新しい自我を獲得しなければならず、一つの構造体が消滅すれば、新しい構造体に所属しなければならないが、新しい自我の獲得にも新しい構造体の所属にも、何の保証も無く、不安だからである。自我あっての人間であり、自我なくして人間は存在できないのである。だから、人間にとって、構造体のために、自我が存在するのではない。自我のために、構造体が存在するのである。高校や会社が嫌でも行ってしまうのは、高校生や会社員という自我を失うのが恐いからである。しかし、深層心理の敏感な高校生や会社員ほど、登校や出勤することを渋る傾向が強いのである。それは、学校や会社という構造体で、同級生や上司という他者から、いじめられるや馬鹿にされるという悪評価・低評価を受けると、深層心理はの敏感な者ほど気になるからである。しかし、深層心理の敏感な高校生や会社員ほど、どんなに嫌でも、登校し出勤するのである。それは、深層心理の敏感な高校生ほど退学や転校を恐れ、深層心理の敏感な会社員ほど、鶴首されたり会社を変えることを恐れているからである。そして、深層心理の敏感な高校生や会社員ほど、退学になったり鶴首されたりすると立ち直りが遅いのである。このように、人間は、まず、深層心理が、ある気分の中で、構造体において、自我を主体に立てて、快感原則に基づいて、自我の対他化、他者・物・事柄という対象の対他化、自我と他者の共感化のいずれかの志向性や趣向性を働かせて、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出して、自我を行動させようとする。さらに、深層心理は、自我が存続・発展するように、構造体が存続・発展するように、思考し、感情と行動の指令という自我の欲望を生み出し、自我を行動させようとするのである。そして、次に、人間は、深層心理が生み出した自我の欲望を受けて、表層心理で、自我を主体に立てて、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した感情の中で、深層心理が出した行動の指令について許諾するか拒否するかを意識して思考するのである。これが広義の理性である。現実原則も、フロイトの用語で、長期的な展望に立って、自我に利益をもたらせようとする欲望である。表層心理が許諾すれば、人間は、深層心理が出した行動の指令のままに行動する。これが意志による行動となる。表層心理が拒否すれば、人間は、深層心理が出した行動の指令を意志で抑圧し、その後、表層心理が、意識して、別の行動を思考することになる。これが狭義の理性である。一般に、深層心理は、瞬間的に思考し、表層心理の思考は、長時間を要する。感情は、深層心理が生み出すから、瞬間的に湧き上がるのである。そして、表層心理が、深層心理の行動の指令を抑圧するのは、たいていの場合、他者から侮辱などの行為で悪評価・低評価を受け、深層心理が、傷心・怒りなどの感情を生み出し、相手を殴れなどの過激な行動を指令した時である。表層心理は、行動の指令の通りに行動すると、後で、他者から批判され、自分が不利になることを考慮し、行動の指令を抑圧するのである。しかし、その後、人間は、表層心理で、傷心・怒りという苦痛の感情の中で、傷心・怒りという苦痛の感情から解放されるための方法を考えなければならないことになる。この場合、人間は、表層心理で、傷心・怒りの感情の中で、深層心理が納得するような方策を考えなければならないから、苦悩の中での長時間の思考になることが多い。これが高じて、鬱病などの精神疾患に陥ることがある。しかし、人間は、表層心理で、深層心理の行動の指令を意志を使って抑圧しようとしても、深層心理が生み出した感情が強ければ、人間は、深層心理の行動の指令のままに行動することになる。この場合、傷心・怒りなどの感情が強いからであり、傷害事件などの犯罪に繋がることが多い。これが、所謂、感情的な行動である。さて、先に、深層心理の敏感な人、すなわち、短気な性格の人は感情の起伏が激しく、急に黙って内にこもって何もしなくなったり、突然その場から逃げ出したり、激しく相手に毒づいたり、いきなり相手に殴り掛かったりすることがあると述べたが、
いずれも、他者が困ることになる。急に黙って内にこもって何もしなくなったり、突然その場から逃げ出したりするのは、深層心理が、これ以上心が傷付くのを恐れたので、そのような行動の指令を出したのである。激しく相手に毒づいたり、いきなり相手に殴り掛かったりするのは、深層心理が深く心が傷付き、その傷付いた心を回復させようとして、そのような行動の指令を出したのである。また、ストーカーになって、相手に嫌がらせをしたり、付きまとったりするのも、深層心理が、カップルや夫婦という構造体が破壊され、恋人や夫・妻という自我を失うことの辛さから、心を回復させようとして、そのような行動の指令を出したのである。人間は、表層心理で、黙り込む・逃げ出す・毒づく・殴りかかるという深層心理の生み出した行動の指令のままに行動すれば、他者に迷惑を掛け、周囲の者たちから顰蹙を買い、自我が不利な立場に追い込まれるとわかっていても、深層心理が生み出した感情が強いので、そのように行動せざるを得ないのである。もしくは、深層心理が生み出した感情が強いので、人間は、表層心理で、深層心理の生み出した行動の指令を審議できず、そのまま行動したのである。それほど、深層心理の敏感な人の傷心の感情は強いのである。また、人間は、深層心理が出した行動の指令のままに、表層心理で意識せずに、行動することがある。一般に、無意識の行動と言い、習慣的な行動が多い。これが、ルーティンとなる。それは、表層心理が意識・意志の下で思考するまでもない、当然の行動だからである。人間が、本質的に保守的なのは、ルーティンを維持すれば、表層心理で思考する必要が無くて、安楽であり、もちろん、苦悩に陥ることもないからである。だから、ニーチェは、人間の生活も、「永劫回帰」(同じことを繰り返す)に当てはまると言ったのである。しかし、深層心理の敏感な人は、日常生活において、少しでも、自我の対他化・対象の対自化・自我と他者の共感化が上手く行かなければ、特に、自我の対他化が上手く行かなければ、深層心理が強い傷心・怒りという苦痛の感情を生み出し、それに伴った過激な行動の指令を生み出すので、日常生活がルーティンになりにくいのである。深層心理の敏感な人は、構造体の中で、他者からの評価に敏感に反応し、少しでも、の中で悪評価・低評価を受けると、深層心理は、快感原則に基づいて、傷心・怒りなどの感情を生み出し、内にこもれ・その場から逃げ出せ・相手に毒づけ・相手に殴り掛かかれという行動の指令を出すのである。もちろん、表層心理の人の中には、表層心理でそれを意識することなく、また、表層心理で抑圧しようとしても抑圧できずに、そのまま、深層心理が生み出した感情に引きずられて行動する人もいる。しかし、表層心理の敏感な人の中には、表層心理で、現実原則に基づいて、深層心理が生み出した傷心・怒りという感情に引きずられず、深層心理の行動の指令の通りに行動すれば、相手を侮辱したり殴ったりすると、後で、その相手から復讐されたり、周囲に人から顰蹙を買ったり、法的に罰せられたりして、自我が不利になることを考慮し、行動の指令を抑圧することに成功する人も存在するのである。しかし、その後、その人は、表層心理で、傷心・怒りの感情の中で、傷心・怒りの感情から解放されるための方法を考えなければならないことになる。人間は、表層心理で、傷心・怒りの感情の中で、自らの現実原則が納得し、深層心理の快感原則が納得するような方策を考えなければならないから、苦悩の中での長時間の思考になるのである。この時、人間は、自らの思考の力を最大限に発揮しなければならないのである。これが、理性である。そこで、ニーチェは、「人間は、安楽の時、自分自身から離れ、苦悩の時、自分自身に近づく。」と言うのである。安楽も苦痛も深層心理がもたらした感情である。しかし、人間は、安楽の時には、表層心理で、考えることをしない。反省する必要が無いからである。人間は、苦痛の時、表層心理で、苦悩の状態に陥って深く考えるのである。だから、深い思考は、深層心理の敏感な人にしか訪れないのである。ここに、深層心理の敏感な人の利点があるのである。