2回目の白馬岳である。今回は、猿倉荘から大雪渓を登り、白馬岳を往復した。前回は、秋に登り、紅葉が見事だったが、雪渓はあまりなかった。今回、雪渓がかなり残っていたので、雪渓歩きを楽しむことが出来た。白馬大雪渓は、全長3.5km、標高差600mある日本では最大規模の雪渓。白馬岳(2,932m)と杓子岳(2,812m )により形成される谷にあり、両山の東方に位置する。夏の間でも万年雪が眠り、真夏でも天然の冷蔵庫のように涼しい。遠くの雪渓にカモシカが歩いているのが見えた。どんどん上がっていった。一匹だけである。猿は群れるが、カモシカは単独行動であると聞いたことがある。山頂近くの白馬山荘までの登りが、体がばててきたせいか、とてもつらく、時間をかけて登る。小屋から剣岳や槍穂などの展望はかすんでいた。雲も多かった。頂上に向かう途中にも花が咲いていて、ツクモグサもあった。山頂に到着。しばらく展望を眺める。2932mである。さすがに冷える。戻ってきて、白馬山荘は、800人収容が出来るという話だったが、まだシーズンではなかったため、少なかった。部屋は我々3人が、個室を使えた。あんなに人が登っていたのに、宿泊する人が少ないのは日帰りが多かったのかな。下りで、ライチョウに会えた。まだ半分白かった。頂上近くにもライチョウをみたのだが、白さは残っていなかった。この辺は雪渓がまだ残っているから、毛の白い部分も残っていたのかな。近づいても逃げなかったので、写真を撮った。雪渓を歩いているときは天然のクーラーが効いているように、涼しかった。雪渓を過ぎると、ムッとする暑さを感じた。下りで足が痛くなり、歩くペースが落ちてしまい、私だけ遅れることなる。帰りの車でも途中、カモシカと遭遇する。帰りは、八方の湯に浸かり、汗を流して、帰路に着く。
子どもたちと陣馬山に登る。藤野駅から一ノ尾尾根を登り、下りは、一ノ尾尾根から和田のバス停の方に下りた。藤野駅で、トイレに入っている間に、バスが発車したので、藤野駅から歩くことにした。陣馬山登山口の標石から右側に入り、すぐに分岐があり、右へ行くと栃谷尾根、奈良子尾根へ、左へ行くと一ノ尾根。今回は一ノ尾尾根を登ることにする。登山口から山頂までは約5km。登っていくと、和田からの道が合流する和田第1合流点があり、さらに少し登ると和田第2合流点で、ベンチがある。最後に急坂を登り、丸太の階段を登って、山頂に着く。薄着の子はどんどん前へ進んでいく。歩き始めた時は、暑くて服を一枚ずつ脱いで行ったが、高度が上がってくると、寒くなる。途中、杉の木がたくさんあり、花粉症の症状もひどくなり、くしゃみの連発である。山頂まで歩いていると段々雲が多くなり、富士山は見えない。北側方向の生藤山や奥多摩の山は見える。昼は清水茶屋で、食べる。寒かったので、暖かいうどんやそばが美味しい。下りは、和田第二合流地点から、和田バス停の方に下っていく。子どもたちは元気が良くてどんどん進んでいく。今回はストックをもっていなくて、下りでは膝が痛くなる。やはりストックは必要だったと思う。それでも下りは和田のバス停までなので、距離的には短いのでよかった。和田バス停に着くと、たくさんの人がいた。陣馬から下りてくる人は少なかったので、生藤山の方から下りてくる人も多いと思われた。車道を出て、和田の集落を歩き、県立陣馬自然公園センターがあり、ここが和田のバス停になっている。バスに乗り、藤野駅まで乗る。帰りは高尾駅まで戻り、フロッピーで汗を流す。
年末年始の食い過ぎ、飲み過ぎで体重がどんどん増えてきたので、少し歩きたいのと富士山を見たくなり、権現山に登った。秦野駅からあっという間に登ってしまったので、もう少し歩こうと思い、弘法山の方にも足を延ばした。権現山と弘法山は、今回で3回目であるが、過去2回はあいにくの天気で富士山が見えなかった。ここからの富士山の眺めはよいと聞いていたので、天気の良い日に是非登ってみたいと思っていた。今回は澄み渡った空で富士山がくっきりと見えた。まだ、正月休みだったので、結構人が登っていた。子ども連れの親子もいたが、年配の親子連れらしき人も登っていた。弘法山を下っていくと鶴巻温泉駅と東海大学前駅との分岐の標識があり、東海大学駅前方向の道はまだ歩いていないと思い、歩き出した。この道は「野仏と温泉のみち」といわれているようである。東海大学前の道を下っていくと、途中に幾つか地蔵が建っていた。下りはやはり、膝が痛くなり、ペースが落ちる。途中で、鶴巻温泉駅方向の標識があり、あれと思ったが、うろうろして、近くの人に聞くと、鶴巻温泉に行くには山を越えないとならないので、東海大学前駅の方が良いといわれ、そちらの方向に歩き、東海大学前駅に到着。今回は用事があったので、温泉は入らないで、帰宅した。
11月中旬に、職場の職員7名で茅ヶ岳に登る。前日はロッジ山旅に宿泊。当初、八ヶ岳の権現岳に登ろうとしていたが、当日の朝、ロッジ山旅の長沢さんから冬型の気圧配置で、八ヶ岳は雲の中で天気が悪いといわれ、茅ヶ岳なら晴れているとのこと。急遽登る山を変更して、茅ヶ岳に登ることにした。天気が良くて、変更をして正解だった。紅葉は、下の方では、まだ見えたが、上では終わっていて、晩秋の茅ヶ岳を登った。ロッジ山旅を朝7時半過ぎに出て、長坂インターから高速に乗り、韮崎インターで下りて、深田公園の駐車場から登り始める。最初は緩やかな坂道を歩く。途中に女岩があるが、落石が多いため、今回はロープが張ってあり、立ち入り禁止になっていた。女岩から上ぐらいから落葉しており、登山道にたくさん落ちており、滑りやすく歩きにくかった。女岩から急登になり、きつくはなってきたが、見晴らしの良い場所で休憩をして、眺めを楽しむ。富士山が見え、金峰山の五丈岩もよく見え、金峰山の左側に瑞牆山も望めた。作家であり登山家でもあった深田久弥氏は、昭和39年に「日本百名山」を発表。昭和46年3月21日、山岳会の仲間と茅ヶ岳に登っていた氏は、頂上まであとわずかの地点で、脳出血で亡くなった。亡くなった地で合掌。山頂からも富士山や奥秩父方面の山は展望が良かった。南アルプスも見え、地蔵岳のオベリスクも見えた。下りは尾根道を歩く。結構急であるので、膝に負担がかかり、膝が痛くなってきたので、途中でサポーターをつける。足が固定されて、少し歩きやすくなった。下に下りてくると、逆光の光の加減で、ススキが白く輝いていた。帰りは高速道路の釈迦堂パーキングに寄り、釈迦堂遺跡博物館を見学して、勝沼インターで降りて、ほったらかし温泉で汗を流す。
9月に、天狗岳から硫黄岳に登った。天狗岳は2度目である。前回は西天狗岳を歩いていなくて、今回は西天狗岳を登ることが出来た。一泊二日の行程である。一日目は、唐沢鉱泉から西尾根を通って、西天狗岳、東天狗岳を経て、山びこ荘に泊まる。二日目は、小屋に荷物を置いて、硫黄岳を往復した。東天狗岳に再度登り、黒百合ヒュッテ経由で、唐沢鉱泉の駐車場の方に戻る。今回は山仲間3人で登る。
八ヶ岳の縦走路から外れた西天狗岳は2646mの二等三角点をもつものの、避けられがちでもある。今回は西天狗岳を一つの目標として歩くことが出来た。宿泊する小屋は、夏沢峠にある「山びこ荘」である。客は我々3人と、若い夫婦とアルバイト経験のある男性の合わせて6人である。山びこ荘は、天然記念物のヤマネや大きな目を持つモモンガの棲家にもなっていた。夜行性なので、夜と早朝にひまわりの種を食べにやってくる。小屋で一緒になった若い夫婦は2度目の宿泊で、ヤマネとモモンガが目当てで泊まりに来たようである。小屋の灯はランプだけで、薪ストーブで暖を取りながら、談話をする。トイレが小屋から離れているのは不便であり、特に女性は不便を感じると思う。9時過ぎまでお酒を飲みながら談笑し、寝る体制に入ったが、小屋番さんと元アルバイト経験のある男性はそのまま話を続けている。翌朝、4時過ぎには、目が覚めて、起きだす。モモンガも小屋の中に入ってきていた。飛膜を広げるのもみえた。5時過ぎには、窓の外の餌場の方にも、またモモンガがやってきて、餌を食べていた。ムササビとモモンガは前後脚間の膜を広げて滑空する夜行性動物で、大きな違いは、モモンガは小さい。モモンガの顔には白門(白い帯)があるそうだ。夜行性なので、眼も大きい。モモンガの天敵はフクロウやテンなどであるという。ヤマネは滑空はしなくて、一族一種であるといわれる。朝、天候がよさそうなので、硫黄岳山頂に登ることにした。朝ごはんを食べて出発する。硫黄岳山頂は360度の展望で気持ちがよい。しかも誰もいなくて、貸切状態だった。下りは中山峠との分岐を黒百合平方面へ下る。岩場が延々と続き、膝を痛めないかと思いながら下る。だんだんガスがかかり、展望もなくなってきていた。岩場が続いたので、林道に出たら、膝ががくがくしだしたところで、唐沢鉱泉に到着。帰りは、「縄文の湯」に寄り、汗を流した。
八ヶ岳の縦走路から外れた西天狗岳は2646mの二等三角点をもつものの、避けられがちでもある。今回は西天狗岳を一つの目標として歩くことが出来た。宿泊する小屋は、夏沢峠にある「山びこ荘」である。客は我々3人と、若い夫婦とアルバイト経験のある男性の合わせて6人である。山びこ荘は、天然記念物のヤマネや大きな目を持つモモンガの棲家にもなっていた。夜行性なので、夜と早朝にひまわりの種を食べにやってくる。小屋で一緒になった若い夫婦は2度目の宿泊で、ヤマネとモモンガが目当てで泊まりに来たようである。小屋の灯はランプだけで、薪ストーブで暖を取りながら、談話をする。トイレが小屋から離れているのは不便であり、特に女性は不便を感じると思う。9時過ぎまでお酒を飲みながら談笑し、寝る体制に入ったが、小屋番さんと元アルバイト経験のある男性はそのまま話を続けている。翌朝、4時過ぎには、目が覚めて、起きだす。モモンガも小屋の中に入ってきていた。飛膜を広げるのもみえた。5時過ぎには、窓の外の餌場の方にも、またモモンガがやってきて、餌を食べていた。ムササビとモモンガは前後脚間の膜を広げて滑空する夜行性動物で、大きな違いは、モモンガは小さい。モモンガの顔には白門(白い帯)があるそうだ。夜行性なので、眼も大きい。モモンガの天敵はフクロウやテンなどであるという。ヤマネは滑空はしなくて、一族一種であるといわれる。朝、天候がよさそうなので、硫黄岳山頂に登ることにした。朝ごはんを食べて出発する。硫黄岳山頂は360度の展望で気持ちがよい。しかも誰もいなくて、貸切状態だった。下りは中山峠との分岐を黒百合平方面へ下る。岩場が延々と続き、膝を痛めないかと思いながら下る。だんだんガスがかかり、展望もなくなってきていた。岩場が続いたので、林道に出たら、膝ががくがくしだしたところで、唐沢鉱泉に到着。帰りは、「縄文の湯」に寄り、汗を流した。
5年ぶり2度目の富士山に登る。中学生一名、高校生一名、大人2名の4名である。8月末の土日である。ディズニーランドなみの混み具合であった。河口湖インターから下りてすぐの富士北麓駐車場に車を止めて、シャトルバスで富士スバルライン5合目まで行く。駐車場脇で、入山料1000円を払って、バッジをいただく。高山病にならないように、5合目でゆっくり過ごして、歩き始める。最初、平坦な道を歩いた後、緩やかな下りが泉ヶ滝まで続く。6合目まで比較的すんなり到着。ただ頂上と5合目を均等に5等分しているわけではないため、この調子ではない。6合目から上を見渡すと、7合目から8合目の小屋が見渡せた。宿泊する小屋「富士一館」に5時過ぎに到着。「富士一館」は、「元祖室」の姉妹小屋だったことに気付く。前回富士山に登った時に宿泊した小屋が「元祖室」だったのである。夕食はカレーライス。食事前に小屋の方からの説明があった。山頂に行くのに12時に出ると御来光を見るために皆、それぞれの小屋からでてきて、合流となるので、大渋滞になるといわれる。渋滞に巻き込まれないで、出るとしたら10時といわれる。しかし、10時では、早すぎるので、寒い頂上で長く時間を費やすことになる。それでは、どの時間が手頃かというと、午前2時ころであるといわれる。当然、山頂での御来光は無理であるが、渋滞には巻き込まれないし、途中で御来光は見えるといわれる。小屋は、寝るところで話をしてはいけない、飲食もダメと言われたので、小屋の歓談の楽しさが薄れてしまう。本当に人を詰め込んで過ごさせるのが富士山の小屋かなと思わせられる。富士山の小屋で快適に過ごそうとすること自体、無理かな。寝るしかないので、寝ることにしたが、なかなか寝付けない。狭い所に4人がギューギュー詰めで寝ることになったので、身動きもとりづらい。10時過ぎ頃になると、他の人たちもどんどん動き出して、登り始めている。我々もなかなか寝られないので、起きだして、準備を始める。しかし、外は雨が降り出している。しばらく様子を見て、待つ。同じく待っていた3人組と少し話をする。その中の一人は今回で3回目の富士登山、過去2回御来光を見ていないので、今回こそはと登ってきたという。我々は11時過ぎに雨が止んできたので、歩き出す。結局ディズニーランドなみに混んだ大渋滞の中を歩くことになる。今回の富士登山用に買ったサポーターを膝につける。小屋から出ると、人の列で大渋滞。岩場続きで遅々として進まない。時間がかかる。周りは外国人がおおくて、外国語が飛び交っていて、ここはどこの国かと思うぐらいである。団体も多く、合流するところではさらに動きが遅くなる。8合目までが長く、きつい。8合目の「江戸屋」は、吉田、河口湖、須走口が合流する小屋である。なかには、小さい子も登っていて、ぐずっていた。深夜のこの時間では、駄々をこねるのも仕方がない。登山道を外れて登って、抜かしている人もいて、注意を受けていた人もいた。渋滞で遅くなると、バスツアーの参加者が時間切れで頂上にたどりつけなくなるため、12時ころには登り始める人が多く、この時間帯では、渋滞になると小屋の方の話だった。八合目過ぎ頃から中学生が頭が痛いと言ったりしているので、小屋ごとに休憩を取りながら登る。こちらも睡眠不足でふらふらしながら登っていく。しかし、雲海が下に見えて、気持ちは昂る。登ってみなければ見えない光景である。ご来光の時間が近くなると、 山頂での拝観をあきらめた人たちが登山道の脇に腰を下ろして ご来光を待っている。山頂で御来光はむりであるので、我々も途中で見ることにして、御来光を待つことにした。御来光の出る時間は、ちょうど雲に隠れて見えなかった。それでも展望はあって、徐々に明るくなるにつれて、雲海の変化がみられた。やっと山頂に到着。日本一の山に登頂できたのである。今年の正月に富士山登頂を目標に掲げた人は目標を達成したことになる。展望はかすみながらもよく見えて、太平洋が見渡せる。相模湾や東京湾がみえて、富士山からそこまで見えるのだと感心をしていた。高校生は眠くなり、少し横になり、のんびり山頂で過ごす。下山は登山道とは別の道を下る。下山道はブルドーザーが通れるように整備されている道である。下りは足の負担が大きく、長いので、下るのにうんざりしている。まだのぼりの方が良いといって、最後は登りになるので、早く着きたいという。五合目に到着、完全にガスっていて、展望はないのだが、観光客などで人がいっぱいであった。シャトルバスで駐車場まで戻り、車で紅富士の湯に行き、汗を流す。疲れたが、満足して帰路に着く。
中学生一人と高校生二人、大人三人の計6人で、乾徳山に登った。天気はあまり良くなくて、展望はほとんどなかったが、雨には降られず、乾徳山の岩場を楽しむことが出来た。徳和の駐車場に車を置いて、歩き出す。屏風のような髭剃岩に出た時に、初めて乾徳山に登った人は、さすがに最初、怖がっていた。天狗岩を登って山頂に到着。みんな達成感はあった。すでに山頂には多くの人たちが登っていた。山頂でお昼を食べることができて、満足感があった。下りは天狗岩を下らず、迂回路を回ったが、団体が登ってきていたので、天狗岩の登りは渋滞が出来ていた。また乾徳山に登ることが出来て、うれしかった。帰りはほったらかし温泉で汗を流す。
たけ小屋で花見のオフ会が開かれた。集まる場所は、高尾山と小仏城山の間にある一丁平である。高尾山口から稲荷山コースを歩き、高尾山頂を踏まずに、巻き道を使ってもみぢ台経由で向かった。前の週も景信山から高尾山を歩いているので、2週続けての高尾になる。高尾山口駅に9時近くに着き、歩き出す。ケーブルカー駅の周りから上を見ると、新緑が映えて、気持ちが良い。前週は桜が目立ったが、今回は、新緑が目立つようになってきた感じである。前日の雨で、道はぬかるんでいて、歩きにくかった。一丁平に10時40分頃に到着。集合時間は10時半から11時になっていた。幹事のぜいぜいさんが、8時半に高尾山口から歩くとなっていたので、もう着いていると思って、探し回ったが、いない。一丁平から高台にある展望台にも行ってみる。あちこちで宴会は開かれていたが、見当たらない。まだ到着をしていないのかなと思って、テーブルが一つだけ開いていたので、荷物を置いて、場所を確保しておいた。そして、どこかにたけ小屋の人がいないかなと探していたら、3人の人が誰かと待ち合わせをしているかのように立っていたので、声をかけた。そしたら、たけ小屋に集まりに来た人たちだった。くらさんとGPさんとTo-koさんだった。先週と比べたら、まだ人も少なかったので、まだわかりやすかった。自己紹介をしながら待っていると、ぜいぜいさんと山猫さん、たけさんが登場する。そこで確保しておいたテーブルに移動し、宴会が始まった。寒いだろうと予想はしていたが、おでんとホットワインは山猫さんが持ってくると書いてあったしで、ビールを持ってくる人は少ないだろうと思って、汗をかいた後の最初はやはり、ビールも飲みたいだろうと、特に、私はビールが飲みたいので、ビールを一ケース、リュックにいれて、つまみは、キムチやちくわにキュウリやカニカマを挟んだのをタッパに詰めて、持って行った。今回もたけさんが持ってきた三段重ねのお重が皆を驚かせていた。見事である。その後に、k林さんとU太くん、まきくまさん、アランチャさんが見えた。最初はビールで乾杯して、その後はホットワイン、熱燗を飲んで、つい飲み過ぎてしまう。最初、たくさんの飲み物が並び、私は焼酎も持って行ったのだが、十分足りるだろうと思って、持ち帰ることになると覚悟をしていたが、それでも時間がたつと、みんなが持ってきたワインや日本酒等がなくなり、焼酎も飲み始めた。飲んで話をしているうちに、あっという間に時間が過ぎ、今回はたけ小屋の鍋割山オフのように注意をしていただける方もいなかったが、周りに誰もいなくなって、そろそろ終わりましょうと声を出す方がいたので、切り上げることができた。下りも結局、高尾山頂には行かずに、ケーブルカー駅まで歩き、ケーブルカーで下山して、高尾山口から帰路に着く。久しぶりのオフ会で、楽しく過ごすことが出来た。参加されたみなさん、ありがとうございます。
連休がとれて、一日は山に登りたいと思い、この日は天気予報では、晴れマークだった。
行きやすい大山にしようと、朝、多摩川に出ると、富士山がよく見えて、奥多摩方向は澄み渡っている。しかし、丹沢方向は雲がかかっている。そこで、奥多摩にしようかとも頭にかすめたが、地図も持っていないので、やはり大山にした。前夜雪が降ったようで、伊勢原駅から大山行きのバスに乗り、終点で降りると、雪景色であった。大山寺の本堂はもともとは阿夫利神社下社にあったが、明治初年の廃仏毀釈によって破壊される。明治18年に全国の 信者たちの寄進によって再建された。大山は、古代の山岳信仰を母体に社寺を中心とする神仏混合の信仰拠点として形成され、近世は僧侶集団による運営がなされ、明治の神仏分離以降は神道組織と仏教組織がそれぞれ別々の運営を行い現在に至っている。大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。この日は、晴れ予報だったが、山の上は雲が多く、段々雪も降るようになってきた。下は晴れていた。実際、大山は関東平野に突き出すように延びている丹沢山地の東端にあり、相模湾からの吹き込む湿った空気があたる関係で一年中雨が降りやすいとのことであるらしい。頂上の登山口から登り始め、粉雪交じりの雪が降り始めて、富士見台に着くと、富士山は見えず。雪景色の道を歩くことになり、山頂は人が少なかった。ガスっていて、景色はあまり見えなかったが、東京方向のスカイツリーや相模湾、江の島などはかすみながらも肉眼では見えた。下りも同じ道をたどる。だんだん人がたくさん登ってきて、雪道も解け始めていて、ぬかるみ始めていた。途中、鹿の親子に出会う。下社に下りてきて、大山阿夫利神社下社「参集殿」で、きのこカレーを食べる。ご飯が三角に盛られていたので、大山を形作っているのかなと思った。テラス越しに雪が舞っていた。下りは、無理をしないで、ケーブルカーに乗ることにした。帰りは伊勢原駅から東海大学前駅まで電車で行き、「さざんか」に入って、汗を流し、帰路についた。
よく飲みに行く店の客で山の好きな人がいて、鍋割山に一緒に登って、鍋焼きうどんを食べましょうという話になって、日程を合わせて、登ることになった。大倉から塔ノ岳、鍋割山に登り、大倉に下りた。今まで何回か登っているコースである。階段が多い大倉尾根。同行した人は、段々ばて気味になる。先に行ってくれ、金冷シ(きんひやし)で待っているからといわれる。まだ膝はあまり痛くなかったので、先に登り、塔ノ岳山頂を目指す。花立山荘でもほとんど休憩しないで登っていく。山頂に到着。昼近くになっていたが、展望はよかった。しかし、一緒に登った方が金冷シで、待っているので、塔ノ岳で少し展望を楽しんだ後、そそくさと鍋割山(1,273m)を目指して、登ってきた道を引き返す。金冷シで合流して、塔ノ岳山頂から鍋割山頂までの約2.8kmの道のりを約一時間で到着。ブナの葉がすっかり落ちていたので、以前登った時より、展望が見渡せながら歩けた。鍋割山頂は日の光が強くなり、展望はもやってきていた。鍋割小屋は人がたくさん入っていて、鍋焼うどんをたくさんの方が注文していた。まずはビールで乾杯した後、鍋割うどんを食べる。温かくて美味しい。小屋の中で食べたので、汗が出るぐらいだった。下りは急な鍋割山稜を下った後、西山林道に出る。この林道が長くて、足の負担が大きくて、ペースがだんだん落ちる。結構時間がかかって、大倉に4時半頃に到着。バスに乗ったら、あたりは暗くなる。帰りは鶴巻温泉にある弘法の里湯で汗を流し、足をほぐして、帰路に着く。