立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

土楼(1)・・・JungShang夫妻、福建省南部へ 

2007年12月18日 | JingShang君からの上海レポート
 福建省南部zhang州の土楼(tu lou)お話です。zhang州の都市部ではなく、zhang州に属する南靖県の村にあります。インターネットで採取した典型的な写真です。 土楼は、客家(ke jia=はっか)の人々の集合住宅です。円形(環状) で、 数層のもの が多いようですが、四角形など円形以外のもあります。このような土楼に多くの家族が住んでいます。

 15日、16日福建(fu jian)省の南部へ夫婦で行って来た報告です。
 福建省は「閩」(min)と簡称されます。南部は閩南(min nan)で閩南地方で話される言葉は閩南語と言われ、台湾でも多く使われてます。 台湾の多くの人々は閩南から来た人々の末裔です。閩南の主要都市は、 厦門、zhang(さんずい+章)州(zhang zhou)、泉州(quan zhou)です。今回は、その三都市に行きました。

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ここにも人間の営みの工夫が・・・「室山野用水路」

2007年12月18日 | Zenblog
 立山の山腹にある台地、雪が多く富山の平地や富山湾が一望に見渡せる東福寺野や谷を隔てた室山野(ムロヤマノ)などにも田んぼがあり、稲作が普通に行われているのです。「水はどこから来ているんだろう?」というのが、私の頭に引っかかっていた謎だったのです。

 昨日、やっとその謎が解けました。「歴史的土地改良施設案内」という看板というか表示があったのです。

 それによると、江戸時代後期に加賀藩の任命を受けた椎名道三(シイナドウサン)翁が前任者の工事を受け継ぎ二年余で1827年に用水路を完成させた「室山野用水路」があるから、標高が高くても260ヘクタール(260町歩)の水田耕作が可能になったのです。

 剱岳からの急流早月川の高低差を利用して取水しここまで水を引いたのです。人力で測量・掘削・トンネル工事と難事業を偲ばせる箇所が随所に残っているようです。 現在は、雪崩などによる水路の被害を防ぐ改良工事が7年前にやっと完成し、安定的にかんがいが行われるようにやっとなったようです。

 富山湾や富山平野を見渡す高台の美しい田園風景は、そういう工夫と努力の結果だったのです。昨日の記事の「古墳時代人や縄文人」がこのふもとに住み着いたことといい、そういう不断の営みの積み重ねがもたらしたものだということを思い知らされました。

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