立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

紅橋開発区に事務所開設の頃(2)・・・JingShangの上海

2007年12月04日 | JingShang君からの上海レポート
 太陽広場という、オフィス兼アパートがあります。その太陽広場を北側の公園から撮った写真です。2棟同じような形の高層ビルがあり、その下は繋がった低層ビルで、低層はオフィス、高層はアパートです。
 私は、この太陽広場の右の棟(西塔と呼んでいました)の2LDKの部屋に4年間済みました。部屋は、香港の会社が買い取ってアパートとして貸し出したもので(当時はオフィスが不足していたので、アパート部分までオフィスにしていた会社もありました)、部屋代は5000ドル/月で、半年分前払いするなら、4500ドル/月でした。当時は外国人が借りられるアパートが少なく、こんな相場でした。
 上海はまだましで、北京では、7000ドル、8000ドルの時代だったので、この家賃でも、会社は簡単に認めてくれた時代でした。

 私は、この大家さんの部屋への入居第1号で、家具、家電は完備という説明でしたが、実は全く何も無く、一定の金を渡すから、自分で買いなさいということでした。仲介してくれた不動産屋の営業が上海人の女の子でしたので、彼女と一緒に家具屋とか家電売り場や、寝具売り場とかを回り、適当に買いましたが、今から振り返ると懐かしい思い出です。

 太陽広場は、日本人が比較的集中したアパートで、小生の友人でも、その後ここに住んだ人は何人もいます。小生のいた頃も、取引先も何人もおられました。今は、大分分散が進んでいますが、今でも日本人は大勢住んでいると思います。家賃は大分下がっているでしょうが。

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紅橋開発区に事務所開設の頃(1)・・・JingShangの上海

2007年12月04日 | JingShang君からの上海レポート
 虹橋は、上海の西郊、内環状高架の外側で、1980年代末に開発が始まったところです。開発当初は、内環状高架(勿論当時は高架道路はなく、高架の下を走る中山西路だけでしたが)の外側は、殆ど農地で、虹橋空港の付近は水田でした。その虹橋の内環状高架のすぐ外側に作ったのが、開発区でした。

 私は、1996年から2000年までの4年間、ここにあるオフィスビルで勤務し、ここにあるアパートに住みました。事務所は私が設営したので、オフィス探し、アパート探しから自分でやりました。
 当時は、外国の会社が使えるオフィスが少なく、アパートやホテルの部屋をつぶしてオフィスにしている会社もあり、丁度建設中のオフィスビルを見つけましたが、完成が遅れ、私のアパートを仮事務所にした時期がありました。朝、食事した食卓を事務机にして1ケ月執務しました。通勤時間ゼロですが、夜になっても家に帰ることがないので、四六時中仕事をしているような気分でした。当時は、メールがないので、FAXが通信手段でした。

 左手の高層ビル(青とベージュの縦のストライプになっているビル)が仲盛ビルで、私が設営した事務所はここにありました。このビルは仙霞路と延安西路の交差点に面しています。その右手のベージュのビルは全館、交通銀行です。本来アパートとして設計されたようですが(実はこの写真では隠れていますが、もう1棟双子のビルがあり、これはアパートです)、全館交通銀行が買い取ったのか、借り上げたのかわかりませんが、交通銀行のオフィスになっています。

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未完成の完成・・・前山寺の三重塔

2007年12月04日 | Zenblog
 これも信州塩田平にある、前山寺(ゼンサンジ)の三重塔です。重要文化財ですが、未完成品なのです。二・三層に扉も窓もなく、また廻縁も勾欄もなくて横板壁が張りつめてあるだけで未完成なのです。しかし、見て不自然さが感じられず、安定と調和がみごとにとれています。こぶりな塔ですが、魅力的でした。
 休憩所に寄ったら、仲の良さそうな二人のおばあさんが野菜を並べて売っていました。つい話しかけたら、「大根おろし向き」の小さい形の変わった大根と、「塩ゆでしたらおいしいよ」という豆を買うことになってしまいました。

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塩田平の鎌倉武士現る・・・中禅寺薬師堂

2007年12月04日 | Zenblog
 信州・塩田平の鎌倉時代の武士たちは、多分百姓もやりながら千曲川に接した塩田平の地を支配下に、せっせと勢力を広げていたのでしょう。その辺の雰囲気は、江戸時代の労働から離れた武士たちとはおよそ違ったものだったと思います。そういう土着的な素朴さと力強さは、およそ平安時代の京風の雅とも縁がないものだったでしょう。
 この中禅寺薬師堂はこぢんまりした「方三間の阿弥陀堂」はかやぶき屋根で、そういう雰囲気を十分に感じさせてくれます。この辺にいた中世武士たちの、素朴で健康な生活を想像できました。約800年前の長野県では最古の建物とありましたが、今にもそのあたりから鎌倉武士が現れそうな気分にさせてくれました。

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妙高山の雪化粧

2007年12月04日 | Zenblog
 上信越道の妙高SAから雪でちょうどいい状態に化粧をした妙高山を眺めました。いつもその姿・形の良さには感心しながら、走るのですが、このときはさらに雪化粧が何とも言えず美しく感じられました。北の日本海から吹く風によって、雲が吹き流されているのも悪くありません。ただ気温はかなり下がっていて震えました。
 「妙高」山という名が、言い得て妙と感じられる山です。

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