おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

タワーリング・インフェルノ

2019-10-22 13:42:45 | 映画
「タワーリング・インフェルノ」 1974 アメリカ


監督 ジョン・ギラーミン
   アーウィン・アレン
出演 スティーヴ・マックィーン
   ポール・ニューマン
   ウィリアム・ホールデン
   フェイ・ダナウェイ
   フレッド・アステア
   O・J・シンプソン
   リチャード・チェンバレン
   スーザン・ブレイクリー
   ロバート・ヴォーン
   ロバート・ワグナー
   ジェニファー・ジョーンズ

ストーリー
サンフランシスコの空にそびえ立つ138階建ての世界一高い超高層ビル“グラス・タワー”が落成の日を迎えた。
設計者のダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)とオーナーのジム・ダンカン(ウィリアム・ホールデン)は、屋上に立って眼下にひろがる市の光景を見下ろしていた。
工事主任のギディングス(ノーマン・バートン)と打合わせをすませたロバーツは婚約者のスーザン・フランクリン(フェイ・ダナウェイ)と久しぶりに二人だけの時間をもったのだが、惨事はその時すでに始まっていた。
81階にある物置室の配線盤のヒューズが火を発し、絶縁体の破片が発動機のマットをくすぶらせ始めたのだ。
保安主任ハリー・ジャーニガン(O・J・シンプソン)の緊急報告を受けたロバーツは配線工事が自分の設計通りに行われていないのに憤然として、落成式の一時中止をダンカン企業の広報部長ダン・ビグロー(ロバート・ワグナー)に申し入れたが、ダンカンは拒絶した。
ロバーツはダンカンの義理の息子であるロジャー・シモンズ(リチャード・チェンバレン)に会い、ビルの配線工事を担当した彼の配慮不足を責めたが、あとの祭りだった。
一方、火災の発生をまだ知らない“グラス・タワー”の借間人たちは落成式パーティの準備に浮き足立っていた。
オフィス用、住宅用に作られたこのビルには、株専門のサギ師ハーリー・クレイボーン(フレッド・アステア)、富豪未亡人リゾレット・ミューラー(ジェニファー・ジョーンス)などすでにさまざまな人が住みついた。
外部からの招待客として上院議員ゲイリー・パーカー(ロバート・ヴォーン)などがいた。
だが81階の物置室から出火した火は拡がり、ロバーツは消防署に急報した。
連絡を受けた消火隊は隊長のマイケル・オハラハン(スティーヴ・マックィーン)の統率のもと、ほどなくビルに到着しダンカンに緊急避難を令じた。


寸評
パニック映画としては「ポセイドン・アドベンチャー」とこの「タワーリング・インフェルノ」が双璧ではないかと思う。
「ポセイドン・アドベンチャー」ほどのドラマ性はないが、救出劇、鎮火作業激を極めてストレートに描いている。
アメリカ映画が得意としてきた王道を真正面から描いた作品と言える。
それを示すかのような映画の入りで、始まるとすぐにヘリコプターの飛行が映し出される。
海辺を飛び、山超え、丘越え、霧のサンフランシスコに飛来していく。
その間少しケバいタイトルが表示され、この映画を消防士たちに捧げるとのテロップも入る。
やがてヘリコプターに乗っている主人公のひとりであるポール・ニューマンのアップになり物語が始まる。
すぐに手抜き工事による発火が起こり、その原因を引き起こした人物が描かれてこの映画の悪役が決定する。
パーティに参加している人たちは火災の発生を知らないが、観客である我々は知っている。
登場人物たちがエピソードを交えて紹介されていくが、これから2時間半の長丁場をどうやって引っ張っていくのかと思うほど早い時期での事故発生なのだ。

火災が次々と延焼拡大し、それに従って救出手段がどんどん変っていく。
内部エレベーター、展望エレベーター、屋上に救助ヘリ、隣のビルへワイヤーで吊るす救命籠、ヘリでエレベーターを吊り下げる、極めつけは・・・という風に変化していくテンポがいい。
主役二人はかっこいいが、特にマックイーンが黙々と消火することに邁進する一点集中ぶりにしびれてしまう。
このストレート感がこの映画の持ち味だ。
地味だが忘れがたい存在なのがバーテンダーで、彼は非常時でも平常心で仕事をこなし子供の面倒もみる。
死を覚悟し、自分は詐欺師であると告白しようとする老詐欺師に、「全て嘘だと知っていたわ」と許す未亡人。
鎮火後、老詐欺師は未亡人を探すが彼女は転落死しており、助かった猫を渡される。
アメリカ人てこういうエピソードが好きだと思うので、これもまた王道を行っているのだと感じる。

火災を消し止め、疲れた様子で石段に座るニューマンにマックイーンが声をかける。
「今日の死者は200人を切ったが、今にもっと大きなビルで1万人以上の死者がでる」
当時は予言だったのだろうが、それがテロという火災事故とは別な原因によるものとはいえ、9.11という現実が我々に突きつけられてしまったことは悲しいことだ。
超高層ビルはバベルの塔だ。 人間の思い上がりの象徴でもある。
そこに予想だにしなかった事が起きると、巨大ビルだけに滞在している人数も人数だけに、その被害は計り知れないものがあることは想像に難くない。
日本でも絶対安全なはずの原発が事故を発生させたのだ。
テロリストの航空機による自爆テロが原発に対して行われることなどは予想していない状況下にある。
公開当時は現実には起こりえないパニック映画として楽しめた映画だったが、今見ると40年後の現在を予言していたような映画だったのだという気がする。

話しが終わりかけたとき、ひょっこり無傷であらわれる保安主任のO・J・シンプソンは一体どこでなにをしていたのかなあ?


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2 コメント

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「タワーリング・インフェルノ」について (風早真希)
2023-07-28 08:36:50
映画的緊張感に満ちたパニック映画の一つの頂点を示した作品が「タワーリング・インフェルノ」だと思います。

この映画「タワーリング・インフェルノ」は、「ポセイドン・アドベンチャー」を製作し、大ヒットさせた大物プロデューサーのアーウィン・アレンが、メジャーであるワーナー・ブラザースと20世紀フォックスの史上初の共同製作、分担配給を実現させると共に、当時のハリウッドの大スターであった、スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンの本格的な夢の競演を実現させた事でも有名になった作品です。

原作は似たような題材のリチャード・マーチン・スターン著の「ザ・タワー」とフランク・M・ロビンソンとトーマス・N・スコーティア共著の「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」の2作が、それぞれワーナーとフォックスの両社で取り上げられていたのを、同じく「ポセイドン・アドベンチャー」で脚色を担当したスターリング・シリファントが1本のシナリオにまとめて映画化されたという経緯があります。

映画化作品は、どちらかというと「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」の方にウエイトが置かれているように思いますが、この原作の二人は、もともと有名なSF作家なのですが、この小説では舞台を未来から現実に目を戻して、実際に起こる可能性が十分にある、"災害の恐怖"を直視しているのは、非常に深い意味があるような気がします。

この映画が製作された1970年代は、日本で"パニック映画"と言われ、現地アメリカで"ディザスタームービー"と言われた、このジャンルの映画が次々に製作されるようになりましたが、1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」がその大きな決定打となり、続くこの映画でその頂点に達した感がありました。

これら一連のパニック映画は、1960年代の経済繁栄と精神的な頽廃への人間的な反省を呼び覚ます警鐘としての意味を持っていたように思います。

そして、この映画は、災害に立ち向かう冒険物のスペクタクル映画として、「ポセイドン・アドベンチャー」と酷似していて、消防隊長オハラハンを演じるスティーヴ・マックィーンは、「ポセイドン・アドベンチャー」の勇敢な神父ジーン・ハックマンを彷彿とさせる、アメリカ的なヒーロー像として描かれていると思います。

「ポセイドン・アドベンチャー」は、転覆した巨大な豪華客船での"水"との戦いでしたが、この映画は、超高層ビルでの"火"との戦いです。
そして、この映画の最大の主役は、最初から最後まで"火"そのものです。

消防隊長のオハラハンも、ポール・ニューマン演じる、この超高層ビルの設計家ロバーツも、その妻フェイ・ダナウェイも、そして、この超高層ビルの建設を請け負った建設業者のウィリアム・ホールデン、その他のフレッド・アステア、ジェニファー・ジョーンズ、ロバート・ヴォーンなどの豪華な配役も、この燃えさかる"火"に圧倒される脇役にすぎないのです。

考えてみれば、この原作の「ザ・グラス・インフェルノ(ガラスの地獄)」においても、"火"は生まれたばかりのか弱い赤ん坊から、少年、そして青壮年へと育っていき、やがて燃え尽きるという擬人的な手法で書かれています。

サンフランシスコの空をついて聳え立つ、138階建ての地上520m(東京タワーの約1.5倍)のグラス・ビル。
良心的に設計されたこの建物も、建設業者が資材を値切ってリベートを取った配電関係の手抜き工事が原因となって、81階の配電盤から出た火花が、対策の手遅れのため、勢いを増して天をも焦がす大火災へと拡大していく過程を、ジョン・ギラーミン監督は、映画的緊張感に満ちた大スペクタクルの連続でたたみかけていきます。

その緊迫感は、有毒ガス、保安完成検査、貯水タンク等々の、現実的にはおかしな問題点を、我々観る者に気付かせないうまさで進行していきます。

また、撮影技法的には、俯瞰とロングのショットが実に効果的に使用されているなと思います。

そして、この映画の中で最も印象に残ったのは、映画のラストで、消防隊長オハラハンと設計家ロバーツが交わすセリフのやりとり。

オハラハン「確実に消化出来るのは7階までなのに、君ら建築屋は高さを競い合う」
ロバーツ「人が生きて働ける建物を作る気でいたのに----。費用を削るなら何故、高さを削らないのだ」

ロバーツ「この残骸を修復しないで、ここにこのまま残しておくべきかも知れない。人類の思い上がりの象徴として----」
オハラハン「今にこのような火災で一ぺんに一万人も死ぬ事になるだろう。だが、俺は火と戦い続ける。だが今に誰かが聞きにくる。ビルの建て方をな」

つまり、建物について最も詳しいのは、"火"を消す側であり、それを建てる側ではないという、アイロニーに満ちた辛辣な言葉で締めくくられているのです。

そして、映画の冒頭のタイトルには、「この作品を、全世界の消防士に捧げる」と謳っているのです。

尚、この映画は1974年度の第47回アカデミー賞の最優秀撮影賞、最優秀編集賞、最優秀歌曲賞を「We May Never Love Like This Again」が受賞し、同年のゴールデン・グローブ賞の最優秀助演男優賞(フレッド・アステア)を受賞し、1975年の英国アカデミー賞の最優秀助演男優賞・最優秀作曲賞(ジョン・ウィリアムズ)を受賞しています。
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現実はもっと恐ろしい (館長)
2023-07-29 09:02:32
消防士の奮闘は9.11の貿易センタービルでも見られましたが、とんでもない悲劇を生んでいます。
現実に起きたことは映画の世界を超えていました。
消防士たちに敬意を表したいです。
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