おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

いちご白書

2024-08-28 06:38:24 | 映画
「いちご白書」 1970年 アメリカ


監督 スチュアート・ハグマン
出演 ブルース・デイヴィソン キム・ダービー ボブ・バラバン
   ジェームズ・クーネン バッド・コート ジーニー・バーリン
   ダニー・ゴールドマン マーレイ・マクレオド
   マイケル・マーゴッタ ジェームズ・ココ

ストーリー
ボート部の練習に明け暮れる大学生のサイモンは、ベトコンには敬意を抱いているが政治には特に関心がなく、
それは同居する友人のチャーリーも同じ。
だが、サイモンの留守中にチャーリーが部屋に連れこんでセックスをしていた女子学生は、政治に関心をもち、ストライキに参加しろと二人に呼びかける。
多くの学生が大学が黒人の子供たちの公園を予備士官訓練所の本部にする計画であることに抗議してストライキを行い、学生が学長室を占拠している大学構内は解放区となっている。
人種差別丸出しの警官にことわりを入れて構内に入ったサイモンは何となく食料係にされた。
学長用の洗面所で遊んでいるサイモンの前に女子学生が現れた。
リンダと名乗る彼女も食料係で、脱出ルートを使って食料を手に入れて大学に戻った二人は大歓迎される。
サイモンは学長室からボート部の練習に通い、エリオットにストライキの武勇伝を話す。
エリオットもサイモンやリンダと公園での抗議活動に参加した。
公園を囲う柵を壊して警官たちと戦った学生たちはサイモンたちを含めて大量逮捕された。
警察に着くとサイモンの同室のチャーリーまで逮捕されていた。
気分が盛り上がるサイモンだったが、初犯なので家族に電話した後に解放された。
リンダはサイモンが決意をもって運動に参加しているのではないのに気づいたが、サイモンは迷っていた。
夜まで二人で過ごすが、リンダはサイモンに別れを告げてストライキの現場から去ることにした。
そして虚ろな日々を過ごしていたサイモンの前に、リンダが戻ってきてくれた。
建物にたてこもる学生たちに学長は、出てこないと警察が入る、君たちは逮捕され停学になるとメガホンで警告し、警察に加えて州兵も大学に到着した。


寸評
僕は描かれている彼らの時代の人間だし、本作をリアルタイムで見たのだが、当時も今も作品全体に甘さを感じてしまうのは、当時の学生運動はもっと激しかったという思いがあるからだろう。
当時、僕は大学生でサイモンと同じようにクラブ活動を謳歌していたのだが、一方では学生運動も激しさを増しており大学の本館は革マル派によって封鎖されていた。
僕は典型的なノンポリだったが、それでもデモ行進に参加したことはある。
封鎖をして改革を叫ぶ者たちに無条件で賛同する訳ではなかったが、それでも政府が検討していた法制度に反対する気持ちはあった学生だったので、当時の僕はサイモンという学生を自分たちの分身のように見ていた。
機動隊は大学構内には入ってこなかったが、大学外の道路では装甲車に乗って内部をうかがっていた。
ジュラルミンの盾でデモの進路を規制され、列を乱すと金具の入った靴で蹴とばされた。
当時の僕たちは国家権力の実行者として機動隊員を敵視していたと思う。

映画を見ていると、彼らが何を訴えて戦っているのかは分かるけれど運動の盛り上がりは感じ取れない。
彼らの様子は文化祭での大騒ぎのようにも見えるし、なんだかノンビリしているのには違和感があった。
多分僕はこの映画を学生運動が激しさを増す中での青春ラブストーリーとして見ていたのだと思う。
その視点で見れば、青春映画として評価は出来るし、ハッピーエンドではなく、むしろ敗北感を感じさせるラストシーンはニューシネマらしいと思ったものだ。
僕は、この映画に関してはボートを真上から捕らえたシーンとラストシーン、それに食料品店で食料を調達するエピソードだけが印象に残った状態で忘れ去っていた。
ところが後年、バンバンが唄った「『いちご白書』をもう一度」でこの映画を思い出すことになった。

いつか君と行った映画がまた来る  授業を抜け出して二人で出かけた
哀しい場面では涙ぐんでた  素直な横顔が今も恋しい
雨に破れかけた街角のポスターに  過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
君もみるだろうか「いちご白書」を  二人だけのメモリィー どこかでもう一度

この歌詞には当時の世相が感じ取れないし、僕には哀しい場面など思いつかない。
「いちご白書」という題名が歌詞にピッタリだった為だと思っている。
この映画はコロンビア大学での抗議行動がモデルとなっているが、映画の題名はコロンビア大学の学部長が「大学の運営についての学生の意見は、学生たちがイチゴの味が好きだと言うのと同じくらい重要さを持たないものだ」として見下したことによるとされている。
学部長のハーバート・A・ディーンは「大学のポリシーに対する学生の意見は重要であるものの、もし理にかなった説明がないものなら、自分にとってはイチゴが好きな学生が多数派か否か以上の意味を持たない」という意味だったと弁明しているが、何れにしても当時の学生運動はもしかするとその程度のもので、ある意味でファッションだったのかもしれない。
流行のファッションがあっという間に終わっていくように、学生運動も団塊の世代が卒業すると塩が引くように終焉していったのだ。


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