おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

女は二度生まれる

2022-04-22 07:50:01 | 映画
「女は二度生まれる」 1961年 日本


監督 川島雄三
出演 若尾文子 藤巻潤 フランキー堺 山村聡
   山茶花究 山岡久乃 倉田マユミ
   村田知栄子 高野通子 江波杏子

ストーリー
靖国神社の太鼓の音が聞こえる花街で、芸者小えん(若尾文子)は建築家の筒井(山村聡)に抱かれていた。
売春禁止法も彼女にとってはなんの拘束も感じさせなかった。
そんな彼女にも心をときめかすことがあった。
それはお風呂屋への行き帰りに顔を合わせる大学生牧純一郎(藤巻潤)に行きあう時であった。
しかし彼女の毎日は、相かわらず男から男へと、ただ寝ることだけの生活だった。
そんな時知りあった寿司屋の板前、野崎(フランキー堺)にふと触れ合うものを感じ、商売をはなれて泊ったりしたのだが、この野崎も将来のことを考え、子どもまである女(仁木多鶴子)のところに入婿に行ってしまった。
その一方、彼女は遊び人の矢島(山茶花究)と箱根に遠出したりした。
その帰りではじめて牧と口をきいたが、大学をでた彼はよそに行くとのことで彼女は淋しかった。
そんなある日、彼女のいた置屋の売春がばれて営業停止になった。
彼女はもとの同僚にさそわれるまま、銀座のバーにつとめ、そこで筒井に再会し、すすめられて二号となった。
ロードショー劇場であった少年工(高見國一)をかわいがって筒井を怒らせたりした。
しかし、筒井が病にたおれると本妻(山岡久乃)の目を盗んで賢明に看病したりもした。
そして一時小康をたもった筒井が死ぬと写真をかざり、喪服を着てなげいた。
彼女はふたたび座敷にでて牧に再会したが、彼が外国人客の接待をたのんだのを知って絶望した。
街で彼女はいつかの少年工に会い、少年が山に行きたいのを知って、故郷へ行って見ようと思った。
その途中、妻子ともに幸福そうな野崎にばったり出あった。
彼女から金をもらって元気に山にでかける少年を見送り、故郷へ行く決心をした彼女の目には新しい人生を生きていこうという生きがいのようなものが見られた。


寸評
冒頭で小えんが筒井と寝床を共にしている時に靖国神社の太鼓が聞こえてくる。
靖国神社はこの映画における一つのファクターとなっていて、小えんが大学生の牧と両親について語るのも靖国神社の境内である。
牧の父親は戦死していて靖国神社に祭られているが、小えんの両親は空襲によって亡くなっている。
菊のご紋を背景にその事が語られるが、牧が語るときはカメラは正面を向き、小えんが語る時にはカメラは下から仰ぎ見ていて、語る内容と共に父親の死の違いによる二人の歩んだ道の違いを象徴的に見せる。
牧はアルバイトにも恵まれているが、小えんは肉親を亡くし、芸者とは名ばかりの売春婦の道を歩んでいる。
一人ぼっちになった小えんは疑似家族を作っていく。
「お父さん」と呼ぶパトロンの筒井であり、「お母さん」と呼ぶ置屋の女将だ。
「お姉さん」と呼ぶ先輩芸者がいて、小えんを姉さんと呼ぶ後輩芸者はさしずめ「妹」たちだ。
泉山という工員は小えんにとっての「子供」なのだろう。
小えんはそれらの疑似家族の中で次々と男と関係を持ちながら渡り歩いていく。
ところがその時の小えんには商売気が感じられず、情を移しての交際を結んでいるように見える。
小えんは気立ての良いいい女で、和服姿の若尾文子が輝いている。
京マチ子や山本富士子に若尾文子が当時の大映におけるスター女優であったと思うが、世の中をしたたかに生きる女を演じさせると若尾文子が天下一品だったと思う。
若尾文子は川島雄三や増村保造と組んで数々の傑作を生み出している。
京マチ子が溝口健二の「雨月物語」、黒澤明の「羅生門」、衣笠貞之助の「地獄門」などで、海外の映画祭で次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれたりしたが全て海外で受ける時代劇だった。
現代劇をやれば、僕は当時の女優の中ではやはり若尾文子が一番だったと思っている。

筒井の二号であった若尾文子と本妻である山岡久乃が言い争う場面がある。
本妻は筒井があげたと思いこんで母の形見のヒスイを返してほしいと言いがかりをつけに来る。
その事でののしり合う本妻と二号との言い争いは男を巡る女の言い争いとして見苦しく見せる。
若尾が撒いた清めの塩が母親を迎えに来た娘の顔にかかってしまう。
女学生の娘が立派な挨拶をして芸者仲間たちから感心されるが、これは少女がしっかりしていたからではない。
小えんがお父さんと呼んでいた死んだ筒井にとって、ここで一堂に会した者たちは本妻を含めてすべて彼と血がつながっていない連中で、唯一彼の血を引いているのがこの娘だけであったからなのだ。
血は水よりも濃いと言われる事が見事に表されているシーンだったように思う。
家族を得て幸せそうな野崎の姿を見て、最後に小えんは血のつながりがある育ててくれた叔父の家に向かう。
一人列車を待つ小えんのいる所は上高地であり、後ろには乗鞍の山々がそびえている。
男の間をあっちへフラフラ、こっちへフラフラとやってきた小えんだが、彼女の後ろにある山は堂々として決して動くことはない。
小えんは野崎の姿を見たからではなく、雄大な山の景色を見て自分の生きる道を考え直したのだと思う。
後になって、上高地に着物で訪れる人なんているのだろうかと思ったのだが、そんな疑問を感じさせない若尾文子のたたずまいであった。


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