おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サウスバウンド

2022-07-20 06:52:29 | 映画
「サウスバウンド」 2007年 日本


監督 森田芳光
出演 豊川悦司 天海祐希 北川景子 田辺修斗
   松本梨菜 松山ケンイチ 平田満
   吉田日出子 加藤治子 村井美樹

ストーリー
学生運動ばかりしていた上原一郎(豊川悦司)は、さくら(天海祐希)と駆け落ちして3人の子供がいた。
長男の二郎(田辺修斗)は小学校6年生で、仲の良い黒木は先輩の中学生・カツのグループに引き込まれて毎日金をせびられていて、その金を同級生からまかなっていた。
一郎に出筆の仕事が舞い込み、一郎の故郷・沖縄の西表島へ家族で行って暮らそうと言いはじめたが、長女の洋子(北川景子)は一人暮らしするから行かないと言う。
金をせびられ友達も無くす毎日が嫌になった黒木は、二郎と二人でカツの所へ行った。
そして二人はカツに殴られるが、カツが二郎に「お前の母親は若い頃、人を刺して刑務所に入っていた」と言われたことに腹を立ててカツに突進し殴りかかり、黒木も加勢しカツを滅多打ちにした。
死んだように動かなくなったカツを見て怖くなった二人は、港の船で一夜を明かすが、二郎が家に帰ると学校の校長やカツの父親が押しかけていて警察沙汰にするとまくしたてた。
一郎が独自の理屈で追い返すが、二郎はその後校長に呼ばれ、私立への転校話などを持ちかけられた。
自宅では家族会議が始まり、母のさくらが西表島に行って家族で暮らすことにしたと宣言した。
洋子を東京に残し、4人は西表島に引っ越した。
一郎の出身地の島民が世話をしてくれた一軒家に住むようになり、大歓迎を受けた。
二郎と桃子(松本梨菜)は学校へも行かず、毎日周辺で遊んでいた。
家族の家に東京のKD開発の社員がやって来て、この土地をリゾート開発をするため立ち退けと言われるが、一郎は自論を持ちだし追い返す。
その後、稲垣巡査(松山ケンイチ)もやって来て、移住用の住宅を勧めたがそれも断った。
小学校の校長もやって来て、二人を転入させてくれと言うが、これも同様断った。
それでも二郎と桃子は学校へ行きたいと言って、母のさくらにOKをもらった。


寸評
僕はハネムーンで沖縄へ行き、そこから石垣島へ、更にそこから西表島へと島から島へ旅した。
石垣島迄は飛行機だったが、西表島へは高速艇だった。
暖流が近くを流れていて一年中泳ぐことができたが、僕たちは日帰りのオプションツアーで泳ぐことはなかった。
のどかな島でのんびりとした時間が流れていて、地元のガイドさんも実に親切だった。
帰りの船が出発すると、丘の上では人影が豆粒くらいになるまで手を振って見送ってくれた。
上原一家がその西表島に移住するストーリーなので、懐かしさもあって興味を持って見た。
僕の西表島への興味が過ぎたのか、前半の東京編は父親の変人ぶりが描かれているものの退屈感があった。
年金問題、学校の腐敗なども問題提起されるが中心は子供のイジメ問題である。
イジメる側の中学生、イジメにあい金をせびられている小学生、その小学生に金を援助する仲間の小学生など、子供たちの関係は面白いものがあったが、イジメ問題に真正面から向き合っているわけではない。
二郎と黒木は中学生のカツをボコボコにし、その抗議に教師たちやカツの父親がやって来るが、どう見ても道理は二郎たちにあるのに、調べもせずに被害にあったカツ側に立って押し寄せる大人たちはおかしい。
事件が起きると被害者の人権よりも加害者の人権が守られるような理不尽さに通じるような状況である。
「大人には悪い面もあるのよ」では済まされないのだ。
その事が原因で厄介者となった二郎は転校を勧められる。
その問題が上原一家の西表島への移住というかたちであっけなく終わってしまうのは短絡的過ぎる。

前半の東京編に比べれば、後半の西表島編は見るべきところがある。
一番は上原一家と西表島の純朴な人たちとの交流だ。
西表島の住民は、島の仲間となる上原一家に無償の協力を行ってくれる。
何かといえば、ちょっと上がって一杯やっていけの世界がある。
隣近所のコミニティが希薄になりつつある都会とは違う世界が和ませてくれる。
西表島での一番の出来事は開発による立ち退き問題だ。
開発に対して反対運動をする人たちはいるが、それは現地の住民ではなく東京の運動家たちだ。
それはまるで沖縄本島の基地問題に対する運動を髣髴させる図式である。
米軍基地への反対運動をしているメインは本土の活動家たちだと聞くし、土地提供している地主たちは賃貸収入で東京の一等地に住んでいるとも聞く。
開発に加担して土地を買い占めた後に開発会社に転売して利益を得た現地の住民も出てきて、結局「大人たちには悪い面もあるのよ」となる。
他人名義の土地に居座り続ける一郎たちに道理があるとは思えないが、西表は西表であってほしいと思う。
住民たちは一郎達に肩入れをして彼らを助ける。
一郎とさくらは彼らにとってのユートピアを求めて八重山の海に漕ぎ出して行ったのだろうが、小学四年生の桃子などを洋子に押し付けて行ってしまうのは育児放棄ではないか。
この映画の特徴かもしれないが、物事の解決策がすべて短絡的である。
ラストシーンなどは小説の方が想像豊かにできてよかったのではないかと推測する。
元学生運動の闘士だった一郎とさくらだが、さくらの天海祐希は映画向きではないなと感じた。


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