おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

地下鉄のザジ

2022-11-08 07:26:06 | 映画
「地下鉄のザジ」 1960年 フランス


監督 ルイ・マル
出演 カトリーヌ・ドモンジョ フィリップ・ノワレ カルラ・マルリエ
   ユベール・デシャン ヴィットリオ・カプリオーリ

ストーリー
十歳の少女ザジは母とともに生れて初めてパリにやってきた。
母はザジを弟でナイト・クラブの芸人であるガブリエルにあずけると、恋人とさっさと消えてしまった。
パリにあこがれるザジの目的は地下鉄に乗ることだったが、地下鉄がストライキで彼女を大変失望させた。
叔父さんの友達で気のいい運転手シャルルの車で家につき、美しい叔母さんのアルベルチーヌが出迎えた。
翌朝、ザジは部屋を抜け出し、一階で酒場を経営する家主チュランドの目を盗み地下鉄の乗り場に行った。
門は閉っていて、泣き出したザジのそばに一人の得体の知れぬ男が近寄った。
ザジは男とノミの市に行ったり、レストランに入ったり、散々いい思いをして、用がなくなると家へ逃げこんだ。
後を追ってきた男は叔母さんに色目を使って叔父さんにつまみだされた。
ガブリエルはザジを連れてエッフェル塔に出かけた。
叔父さんはそこで四人のドイツ娘からスターと間違えられた。
帰り道、街角で話かけたエロ婆さんことムーアック未亡人に、またまたガブリエルは追いかけられる。
そこに例の娘たちが現われ、彼をバスに乗せていってしまった。
叫び声にかけつけた男は、今朝と同一人物のトルースカイヨン警官だった。
警官は未亡人の車にザジと未亡人を乗せて、バスの後を追った。
トルースカイヨンは未亡人をまいてアルベルチーヌのもとに行ったが、彼女は受けつけず、夫に衣裳をとどけた。
シャルルが酒場の女店員マドと結婚するという。
ガブリエルはレストランに結婚祝いの客たちを招待した。


寸評
ザジは母親に連れられて大都会のパリにやって来る。
彼女の楽しみは地下鉄に乗ることだったが、あいにくのストで地下鉄は動いておらず、がっかりしたザジがパリを舞台に巻き起こす騒動をハチャメチャに描いている。
ザジの気持ちは分らぬでもない。
田舎暮らしだった僕の子供の頃二通じるものがある。
母や伯母に連れられて大阪市内の百貨店に行くのは子供にとっては大事件で楽しみだった。
百貨店に行くこと自体が珍しいことで、その日は普段と違う少しいい服を着せてもらえた。
あの頃、どこかに出かけるとなれば、それが遠足であれ大阪市内であれ、所謂おめかしが必要だったのだ。
ザジ同様二電車に乗るのも楽しみだった。
靴を脱いで車窓側に向かって座席に座り、流れていく景色を見ているだけで気持ちがウキウキしてきた。
子供の僕にとって、電車に乗ることが珍しい時代だったのだ。
すっかり歳をとった今でもその頃の記憶が刷り込まれているのか、僕は車の運転よりも電車での移動の方が気分爽快となる。

映画はスラップスティック・コメディで、今見るとさして目新しくない手法とベタなギャグでいろんな出来事を脈略もなく紡いでいく。
ノミの市に行ったり、レストランに入ったりした男と追っかけっこをする場面などは最たるもので、追っかける側と追っかけられる側が入れ替わったり、時間を飛ばし飛ばしでカット割りしたり、早送りしたりと、あの手この手で描いているが、やはり時代のせいなのか少しも面白くない。
ルイ・マルにとって前作に当たるジャンヌ・モローを起用した1958年の「死刑台のエレベーター」や「恋人たち」とは異質の作品だ。
ルイ・マルは趣を変えて単にスラップスティック・コメディを撮りたかっただけなのだろうか。
シュールと言えばシュールだが、ドタバタ喜劇が好きでない僕はどうも乗り切れないものがある。

ザジによれば母親は父親を殺していて状況から無罪となっている。
巴里にやってきた母親はザジを弟夫婦に預けて新しい恋人とデート中である。
母親は最初と最後しか出てこない。
プロポーズしてくれれば結婚するつもりでいたようであるが、男からのプロポーズはなく去ることになる。
弟の妻は美人で、謎の男は横恋慕する。
大人の恋も描かれているが、そこを突っ込んでいるわけではない。
あくまでもザジの自由奔放なパリ生活を活写しているだけである。
地下鉄のストが中止されて再び地下鉄は動き出すが、パリを満喫していたザジは伯母に抱かれて眠りこけていて、焦がれだった地下鉄の乗車の記憶がない。
パリはただ疲れただけだったといオチになっているが、何か物足りなさを感じるエンディングであった。
ルイ・マル作品として著名な作品だが、僕には評価できるところが見当たらない作品となっている。


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