おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

嵐電

2024-03-23 11:43:20 | 映画
「嵐電」 2019年 日本


監督 鈴木卓爾
出演 井浦新 大西礼芳 安部聡子 金井浩人
   窪瀬環 石田健太 福本純里 水上竜士

ストーリー
京都の嵐電の街。
鎌倉からやって来たノンフィクション作家・平岡衛星(井浦新)は、嵐電が走る線路の近くに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話を集める取材を開始する。
そこには、衛星と妻・斗麻子(安部聡子)が、かつて嵐電の街で経験した出来事を呼び覚ます目的があった。
修学旅行で京都にやって来た青森の女子学生・北門南天(窪瀬環)は、8ミリカメラで嵐電を撮影する地元の少年・有村子午線(石田健太)の姿を目にする。
京菓子のマスコットキャラクターをラッピングした“夕子さん電車”を目撃したカップルは幸せになれる、という都市伝説に導かれるように子午線に恋する南天。
だが、子午線は「俺は“電車”だけや。“電車とか”いう中途半端なものやないねん」と言って南天に目もくれない。
それでも南天は、自身の運命を信じるように、修学旅行の仲間を振り切って、子午線に向かって突き進んでいく。
太秦撮影所近くのカフェで働く小倉嘉子(大西礼芳)は、撮影所にランチを届けた際、俳優に京都弁の指導をする事となる。
その相手は、東京から来た無名の俳優・吉田譜雨(金井浩人)。
台詞の読み合わせを通して初めての演技を経験した嘉子は、譜雨と擬似的な男女関係を演じる中で、自分でも気づかないうちに譜雨に魅かれていく。
“一緒に嵐電に乗って嵐山の河原で台詞の指導をして欲しい”との名目で譜雨が申し出たデートを受け入れる嘉子。
嵐電の街に紛れ込み、出られなくなったかのような三組の男女の恋と愛。
それぞれの運命が、互いに共振するかのように進んで行く……。


寸評
沿線をモチーフにした映画は、阪急電車の今津線を舞台にした「阪急電車」などがあるが、「嵐電」は京福電気鉄道嵐山本線、通称嵐電を舞台としている。
僕は嵐電に乗ったことがあり、その時は嵐山から乗って分岐駅の帷子ノ辻で乗り換えて一方の終点である北野白梅町まで行ったことがある。
目的は学問の神様を祭る北野天満宮への参詣であった。
再び帷子ノ辻まで帰って来て太秦の街を散策したのだが、駅前から続く大映通り商店街には映画でも登場した「キネマ・キッチン」があり僕はそこで「カツライス」を注文した。
大映の看板スターであった勝新太郎と市川雷蔵をもじったメニューである。
大映が健在だったころは俳優さん達でにぎわっていたと思う。

映画は現実と、そうではない幻想であるとか、想像であるとか、思い出であるとかの非現実の世界を行き来しながら三組の物語を描いていく。
一組目は平岡衛星と妻の物語である。
昔二人で訪れた嵐電の思い出を重ねながら、再び昔の感情を取り戻そうという物語で、喫茶店のマスターに語る内容からは二人の間に隙間風が吹いていそうである。
取材旅行でアパートに住み込むような生活で、再会した時にはどこから始めていいか分からなくなるとか言っているが、最後で描かれる姿は仲良く生活しているから、衛星は嵐電取材を通じて吹っ切れるものがあったのだろうか。
ふたりの関係に変化があったのかどうかはわからないので、三つの物語の中では一番あいまいであった[砂本正次1]。
都市伝説を持ち出すための存在であったような気がする。

二組目は、地元の鉄オタの子午線と地方から修学旅行でやってきた南天の物語である。
南天は「夕子さん電車という京菓子のマスコットキャラクターをラッピングした電車を見たカップルは幸せになれる」という都市伝説に従って、子午線にストーカーまがいの積極アタックをかける。
子午線は迷惑とばかりにかたくなに拒絶する。
ところが子午線は8ミリカメラをかざしながら「これで好きなものが撮れると思っていたのに、撮ったものを好きになっていたんです」と衛星に語る。
好きになったものは電車だったと思ったのだが、子午線が撮ったフィルムには南天が写っていて、拒絶していたのに実は子午線も南天が気になっていたと言うことだ。
男の子が好きな女の子にイジワルをすることに通じる感情だろう。
南天が家出して子午線の学校にやってくる展開は突拍子過ぎるが気持ちはわかる。

三組目がメインで他のふたつとは異質な感じがする描き方である。
嘉子と譜雨が出会い、好意を持ちながらも気持ちがすり合わないのは現実味を感じる。
特に嘉子の断り方にはリアリティを感じる。
ひょんなことから嘉子は譜雨と共演することになるのだが、嘉子が嘉子であることと、その嘉子が台本内の女性を演じることの微妙な切り替えがいい。
嘉子は父親が病弱で自分が不在の時間は叔母さんに面倒を見てもらっているようで、叔母と交代して父親の面倒を見る生活を送っている。
自分のことも大事にしなければいけないと言われていて、その事が嘉子と譜雨の物語を膨らませている。
連絡を取ろうとしても携帯番号が途中で終わっているところなど、細かい演出は他のエピソードとは密度が違う。
前の二組は小倉嘉子という女性を描くための存在だったのかもしれない。

キツネとタヌキの都市伝説を絡ませるのが映画的で面白い。
あらゆる場面に嵐電が出てくるので、乗車経験のある僕は駅の風景を見るだけでも楽しくなる。
東映撮影所、映画村も出てきたけれど、松竹京都撮影所は出てこなかった。
[砂本正次1]


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