おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

めぐりあう時間たち

2020-05-14 08:41:27 | 映画
「めぐりあう時間たち」 2002年 アメリアk


監督 スティーヴン・ダルドリー
出演 ニコール・キッドマン
   ジュリアン・ムーア
   メリル・ストリープ
   エド・ハリス
   トニ・コレット
   クレア・デインズ

ストーリー
1923年、ロンドン郊外のリッチモンドで作家のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)は、病気療養のために夫レナード(スティーヴン・ディレイン)とこの町に住み、『ダロウェイ夫人』を執筆していた。
そんな彼女のもとに、姉のヴァネッサ(ミランダ・リチャードソン)たちがロンドンから訪ねてくる。
お茶のパーティーが終わり、姉たちが帰ったあと、ヴァージニアは突然駅へと急ぎ、追ってきたレナードにすべての苦悩を爆発させ、その悲痛な叫びにより、レナードは彼女と共にロンドンへ戻ることを決意するのだった。
1951年、ロサンジェルスに住む主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)は妊娠中。
夫のダン(ジョン・C・ライリー)は優しかったが、ローラは彼が望む理想の妻でいることに疲れていた。
ダンの誕生日に夜のパーティーを準備中、親友キティ(トニ・コレット)がやってきて、腫瘍のため入院すると彼女に泣きながら告げる。
やがてローラは、息子のリッチー(ジャック・ロヴェロ)を隣人に預け、大量の薬瓶を持って一人ホテルへと向かい、その部屋で彼女は『ダロウェイ夫人』を開きながら、膨れた腹をさするのだった。
2001年、ニューヨークでは編集者のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)は、エイズに冒された友人の作家リチャード(エド・ハリス)の受賞パーティーの準備をしていた。
彼女は昔、リチャードが自分につけたニックネームミセス・ダロウェイにとりつかれ、感情を抑えながら彼の世話を続けてきたのだ、しかしリチャードは、苦しみのあまり飛び降り自殺。
パーティーは中止になったが、そこにリチャードの母親であり、家族を失ってしまったローラが訪ねてくる。


寸評
僕は「ダロウェイ夫人」を読んだことがないし、さらにその作者であるバージニア・ウルフも知らない。
その名前はマイク・ニコルズ監督、エリザベス・テイラー主演で撮られた「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」で知るのみである。
僕たちは太宰治が自殺未遂を繰り返したのち、玉川上水で心中したことを知っているのと同様に、欧米人にとってはバージニア・ウルフがコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺したことは周知の事実なのだろか。
そうだとすれば、最初にそのシーンが出てきただけで、その後に描かれるバージニア・ウルフに思い入れを持ちながら見ることが出来ただろう。
残念ながら、僕はバージニア・ウルフを思い浮かべることが出来ず、ただただうつ病を患っているバージニア・ウルフを演じるためにニコール・キッドマンに施されたメイクに驚くばかりであった。
そして、僕たちが読んでいなくても夏目漱石の「ぼっちゃん」のあらすじを知っているように、彼等は「ダロウェイ夫人」の内容を知っているものなのだろうか。
映画はバージニア・ウルフの代表作である「ダロウェイ夫人」を底流に敷き詰めて描かれていく。

バージニア・ウルフは精神を病み静養のために移り住んだ田舎で「ダロウェイ夫人」を執筆中である。
病気のためか、夫とも使用人とも上手くいっていないようだし、田舎を嫌っていてロンドンに帰りたがっている。
夫は自分のために印刷屋をこの地で始めたようだが、今の生活に疑問を抱いているようである。
そんなバージニア・ウルフが著した「ダロウェイ夫人」をローラが読んでいる。
夫は妻のローラを愛し今の生活に大満足で、ローラも二人目の子を身ごもっている。
一見平和そうな家庭なのだが、ローラがその生活に疲れ切っていることを誰も知らない。
ローラには夫も子供も重荷なのだ。
幼い息子のリッチーだけは薄々感じていたのかもしれない。
そしていつかこの母親に捨てられるのではないかとの不安も抱いていたような気がする。
ローラは自殺を思いとどまり元の家庭に帰るが、結局家庭を棄てて一人で家を出ていってしまう。
「ダロウェイ夫人」の主人公と同じ名前のクラリッサはその為にダロウェイと言うニックネームをもらっているのだが、
彼女の友人でエイズ病患者のリチャードこそ、ローラが捨て去ったリッチーの成人した姿だった。
作家であるリチャードが栄えある賞を受賞したことを祝うパーティの準備をクラリッサがしているのも「ダロウェイ夫人」のストーリーそのものだということで、このことも作品の中身を知っていてこその設定である。

三人の女性を時代を変えながら、つながりを持たせながら、その中で生、死、愛を問い続けていく哲学的な内容であると同時に、同性愛という男女間ではない別の関係もにじませていく。
高尚な作品を見ているような気分になって来て、全編を通じて流れるピアノ曲がその気分を盛り上げていく。
音楽担当のフィリップ・グラスが力を発揮していたように思う。
僕にとっては若干消化不良を起こさせる作品なのだが、僕がバージニア・ウルフを知っていて、そして「ダロウェイ夫人」を精読していたなら、この映画の評価は違っていただろうし、おそらく僕の中ではもっと感動的なものになっていただろう。


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