おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

郵便配達は二度ベルを鳴らす

2021-12-22 09:11:45 | 映画
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」 1942年 イタリア


監督 ルキノ・ヴィスコンティ
出演 マッシモ・ジロッティ
クララ・カラマーイ
フアン・デ・ランダ
エリオ・マルクッツオ

ストーリー
ポー河沿いのレストラン・ドガナの経営者ブラガーナの妻ジョヴァンナは、一回りも年の違う夫との生活にへきえきし、退屈な毎日を送っていた。
そんなある日、一台のトラックから放り出されてドガナのカウンターを叩いた男、ジーノに魅せられ、激情がわくのを感じ、ジーノもジョヴァンナの官能的な眼差しに欲情をかきたてられていた。
ブラガーナが留守中のドガナの一室は、2人の愛欲の場となり、駆け落ちを決行するまでには時間はかからなかったが、売春婦まがいの生活をしてきていたジョヴァンナは経済的に安定した今の生活を捨ててまで愛を貫く気はなく、30分もいかないうちに後戻りしてしまった。
一人で汽車に乗ったジーノは、イスパと名乗るスペイン人の旅芸人と知り合い、気ままな旅を続けた。
何も知らないブラガーナは気嫌をとる為にジョヴァンナを連れて町に来たが、そこで偶然ジーノと会い、再び彼を雇うために一緒に連れ帰ることにした。
帰途、それはジーノとジョヴァンナにとって結ばれる最後のチャンスだった。
2人は泥酔する夫を事故死に見せかけて殺害した。
警察の取り調べをうまくかわし、店を改装してジーノと平穏な日々を送るジョヴァンナだったが、ジーノは不安と悔恨に苛まれる毎日を送っていた。
町に出たジーノは清冽な魅力に富む娘アニータと知り合い、アニータのアパートへと走った。
一方、警察はブラガーナの死を殺人と断定して二人を指名手配したところ、ジーノはジョヴァンナが売ったのだと思いドガナに行くが、ジョヴァンナのジーノに対する一途な思いを知り激しく心を揺り動かされる。


寸評
僕はこの4年後の1946年にテイ・ガーネット監督で撮られたアメリカ版も見たことがある。
夫人をラナ・ターナ、男をジョン・ガーフィールドが演じていたが、出来栄えは断然こちらの方が良い。
テイ・ガーネット監督作品の方は、サスペンスに重きを置いていて、女のラナ・ターナがほとんど白の服ばかりだったことが印象に残っている。
このヴィスコンティ版は夫を殺害するという犯罪をベースに置きながらも愛憎劇を主にした作品となっている。

屋外での撮影をふんだんに取り入れて、貧しい人々の生活が背景を彩る。
主人公のジーノは定職についていない風来坊で、着ているシャツは汚れ、履いているズボンも破れているし、おまけに金を全然持っていない男である。
職を探しながら旅している放浪者なのだが、一方のジョヴァンナも貧困からの脱出のために今の夫と結婚した女で、ひと回りも年上の太った夫を嫌悪している。
そんな二人が初めての出会いで、お互いに感じるものがあり不倫を重ねる。
二人は駆け落ちを決行するが、安定した生活を経験したジョヴァンナは再び放浪の生活に戻ることが出来ず、夫の元へ帰ることになる。
ジーノはジョバンナが忘れられないままに再び放浪の旅に出、金がなく切符も買えない所を旅芸人に助けられるのだが、ここまでは貧困が表に出て事件らしい事件は起こらない。
原作が持っている犯罪サスペンスの面白さを映画に期待していた向きには肩透かしを食ったような展開である。

町にやって来たブラガーナとジョヴァンナ夫妻がジーノと再会したことで話は急展開する。
ブラガーナに「椿姫」を歌わせ、ジーノの気持ちを代弁させる細かい演出もある。
再び燃え上がった二人がブラガーナを車の事故と見せかけ殺害した。
事故の不審な点があることはこの時点で示されていて、いつ事件の真相が発覚するのかという展開になるかと思っていると、そこからは事件追求よりも殺人を犯してしまったジーノの苦悩に重点が置かれる。
いざとなれば強いのが女ということなのか、あるいは夫をそれほどまでに嫌っていた事によるものなのか、ジーノに比べればジョヴァンナは覚悟した態度を見せる。
この時点ではジョヴァンナは悪女的であり、ジーノは弱虫で度胸が据わっていないように見える。
ジョバンナも知らなかったことなのだが、ブラガーナが高額の生命保険に入っていたことが分かって、勘違いを含めた言い争いが二人に起きるが、この展開は原作が持つ着想の良さだと思う。
二人の間に気まずさを感じるようになったジーノは町に出て、ジョバンナとは違った魅力を持ったアニータと出会い、そんなに簡単にくっつくのかと思えるぐらいの早さでアニータのアパートに入り込む。
それを見たジョバンナは嫉妬に狂うが、そのことでジーノはジョバンナが自分を密告したと勘違いしてしまう。
このあたりから物語は一気に走り出し、観客を力ずくで引き付けるようになる。
そしてラストだ。
今度の自動車事故は本当の自動車事故である。
そこからの展開を描かなかったことで、この映画は愛憎劇であり、犯罪による愛の破たんを描いた作品となった。
日本公開は1979年と遅れたが、なによりもルキノ・ヴィスコンティの処女作として記憶される作品である。


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2 コメント

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「郵便配達は二度ベルを鳴らす」について (風早真希)
2023-08-13 07:26:18
この映画は、恋や女は不自由さをもたらすが、孤独は自由をもたらす---巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督が描いた、男と女の人間ドラマの秀作だと思います。

この映画「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、映画史上最高の巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督のデビュー作で、当時36歳。
これだけの巨匠にしては遅い映画デビューになっているのは、それまで舞台の仕事が中心だったからだと思われます。

ジェームズ・M・ケイン原作の「郵便配達は二度ベルを鳴らす」は、今まで4回映画化されていて、ヴィスコンティ監督版は、2度目になります。

個人的には4度目のボブ・ラフェルソン監督、ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング主演の作品も大好きなのですが、純粋に作品として観た場合、やはり、このヴィスコンティ監督版の方が優れていると思います。

4回も映画化されている小説は珍しく、映像作家にとって、よほど映画化したいという欲求をかきたてる物語なのかも知れません。
とにかく、恋ありサスペンスあり、皮肉な結末もあるというところが、確かに映画向きであるように思います。

田舎町のレストランにフラリとやって来た流れ者ジーノ(マッシモ・ジロッティ)とそのレストランの女ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)が一目で恋に落ち、邪魔者になった夫を共謀して殺すという話なのですが、ヴィスコンティ監督は、犯罪のサスペンスの方ではなく、恋愛のサスペンスの方に的を絞って描いているんですね。

冒頭の、後で考えれば運命的とも言える二人の出会いのシーンの演出が、非常にうまいですね。
男がトラックから降りてレストランに入って行く。
そして歌声に誘われるようにして、キッチンを覗く。
そこまで男の顔は全然見えない。

荷物のかげに顔を突っ込んでいたり後ろ姿であったり、足もとだけであったり、"一体この男は何者で、どういう顔をしているのだろう?"という興味が、否応なく湧いて来るという、このうますぎる演出に唸らされます。

そして、キッチンを覗く男の肩ごしに、テーブルにだらしなく座った女の脚が見える。
かったるそうにマニキュアを塗っている女は男に近づき、ハッとする。
すると、すかさずカメラは女の目になって、そこで初めて男の顔を正面から捉えるのです。

女が男に一目惚れした、そのショックそのままに男の顔が、ご丁寧にガーンとアップになる。
しかも、それがむさ苦しい浮浪者のなりはしていても、美男のマッシモ・ジロッティ--------。

歌舞伎ならさしずめここで、例えば松本幸四郎に対して、「いよっ、高麗屋」と掛け声がかかるところです。
とにかく、主役の登場に何とも言えない"芸"があるんですね。

そして、この後の小銭を使っての、二人の恋の駆け引きも絶妙なのです。
「好きだ」とか「寝たい」などという言葉は一言も使わずに、二人は感情を伝え合ってしまうのです。

女の「馬みたいな肩なのね」というセリフだけで、女が男の体を見て感じたまぶしさを表現してしまう。
それから、後半部で、二人が再会した時の、シャンペンを飲みながらの"無言の会話シーン"も実にうまいなと感心してしまいます。

邪魔者を消した後の、男と女の心のすれ違いぶりが面白いし、この部分というのは、ヴィスコンティ監督が、実はこの映画で一番描きたかったところではないかと思います。

「女には生きる場所が必要なのよ」と言って、家を離れようとしない女と、罪に脅え、「どこか遠くに逃げよう」という男。
"定住に執着する女と、自由を求める男の対比"の見事さ--------。

男は気も狂わんばかりに女に惚れ込んでいるのですが、愛すれば愛するほど自由さから遠のいてゆく。
女が足カセになってゆく。こうして、"恋の破綻の予感"が、サスペンスを生んでいくんですね。

これを際立たせているのが、確か原作の小説には出て来なかったと思いますが、ジーノが偶然に知り合った、旅芸人のスペインという男の存在です。
孤独と引き替えに自由さを選んだ男です。

ジーノとジョヴァンナとの純愛は、やがて殺人という犯罪へと繋がってゆく、おぞましいものがありますが、ジーノとスペインとの心の交流は清々しく、ほのぼのとしたものがあるように思います。

"恋や女は不自由さをもたらすが、孤独は自由をもたらす"----という皮肉が実に効いていて、ヴィスコンティ監督の女嫌いの顔が強烈にのぞきます。

スペインという人物を配した事によって、この映画には、一筋縄ではいかない、"人生の深み"が加わったのだと思います。
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片鱗あり (館長)
2023-08-13 17:10:00
ヴィスコンティの映画監督としての力量を示していました。
フェリーニ、ヴィスコンティはすごい。
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