おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

リアリズムの宿

2024-03-24 08:04:28 | 映画
「リアリズムの宿」 2003年 日本


監督 山下敦弘
出演 長塚圭史 山本浩司 尾野真千子 多賀勝一
   サニー・フランシス 天野公深子 瀬川浩司
   川元将平 康すおん 石川真希 山本剛史

ストーリー
冬のある日、駆け出しの映画監督・木下俊弘(山本浩司)と脚本家・坪井小助(長塚圭史)は、共通の友人である俳優の船木テツヲに誘われ、東京を離れて旅に出ることに。
ところが肝心の船木が寝坊で国英駅に現れない。
坪井と木下は、顔見知りではあるが友だちではない微妙な間柄なのだが、仕方なく温泉街を旅することになった彼らだった。
やって来たのは鳥取のとある温泉街だったが、あてをつけていた旅館は潰れているは、新たに見つけた宿では風変わりな外国人主人(サニー・フランシス)に金や酒をふんだくられるはと散々。
意味もなく日本海を眺めていた2人は目の前を流れていく女性の下着を目にする。
不思議に思っていたところ、若い女性が裸同然の格好で走ってきた。
この寒い中、海で泳いでいたところ荷物を全部波にさらわれ、着替えもお金もなくなってしまったという。
その女性は東京から来た21歳の敦子(尾野真千子)と名乗り、服を買ってあげたり、食事や宿を共にする。
バスを待っているうちに突然、別のバスで女の子はどこかへ行ってしまう。
その後は船木と連絡がつかないまま持ち金も底を尽き、親切な中年男(康すおん)のすすめで家に泊めてもらうことにするが、家族が多くて別の宿をさがす。
漸く辿り着いた商人宿は部屋も風呂も料理も最悪だった。
情けなくて、惨めで、笑うしかないふたり。
しかし、いつしか彼らの間には絆が芽生え、東京へ戻ったら一緒にホンを書こうと約束するのであった。
翌朝、宿を後にしたふたりは、登校する女子高生の中に敦子の姿を見つける。
小さく手を振ってくれた彼女に、ふたりも小さく微笑みを返した……。


寸評
友達の友達同志が旅する一種のロードムービーだが、落語や漫才にみられる微妙な間がくすぐったい。
大笑いしてしまう場面をニンマリ笑いに替えている。
3人旅の予定だったが、共通の友人である肝心の船木が来ない。
お互いに顔は知っているが話したことはない間柄であり、船木に連絡を取った木下が相手が自分より年下と知って安心する場面などはツカミとしては最高だ。
しかし二人の関係を見ていると年下である坪井の方が世間慣れしていてしっかりしてそうだ。
年上の木下はまだ童貞だが、それを恥じている様子もない。
じゃあ女性のアソコを見たことがないのかと聞かれた木下は「あるよ」「姉ちゃんの」と恥じらいもなく答える。
わるんだなあ・・・こういうバカ話。
最初はぎこちない二人で、会話も弾まないし気だるい時間だけが流れていく。
そんな二人は何もない温泉街なので釣りに出かけ、とりとめもない話をしている所へ変な外人が出てくる。
気の弱そうな二人はその外人からヤマメを売りつけられてしまう。
おまけにその外人は自分たちが泊まっている宿屋の主人だったというのだから、これは青春に名を借りた喜劇映画なのかと思えてくる。
その後も描かれる笑いを誘うシーンはいずれもオフビートなもので、思わず笑いがこぼれてしまうという物である。
おそらく男の観客が自分の青春時代を思い出せば、一つや二つは思い当たるふしがあるのではないかと思う。
宿の外人オヤジには持ち込んだウィスキーを飲まれてしまい、露天風呂というのも粗末な風呂で、屋外にあるから露天だと言われてしまうなどの小ネタが次々披露されていく。
彼らは映画製作の志を持っているのだが、僕も映画研究部に在籍していたので彼等の議論の雰囲気に懐かしさを感じて木下、坪井の二人には親近感を持った。
旅館のバーで木下が敦子に語る理屈っぽい言い方などは映画に拘わる若者らしくってくすぐったい。

二人は貧乏旅行で、おまけに気も弱そうで、見ず知らずの人の申し出をいぶかりながらも拒否できない。
喫茶店で居合わせた中年オヤジに誘われるままに家に行き二人きりになってしまう。
時間が過ぎると子供たちが帰宅してきて気まずい雰囲気になる。
その様子がおかしいのだが、どこかにリアリティを感じてしまうので「リアリズムの宿」というタイトルに納得だ。
金も尽きてきて彼らが泊まる最後の宿はひどくて、部屋は汚いし、浴室はもっと汚い。
会社勤めの頃に東京支店にあった独身寮の風呂を思い出した。
出張の仕事が長引き、宿となる寮に引き上げた時には寮の連中は全員が夜の街へ繰出していたので、仕方なく風呂に入ったらゴミが湧き出てきた。
翌朝にひどい風呂だったと告げたら、「お湯を張って入ったんですか?入っちゃダメですよ、シャワーにしとかなきゃ」と言い返されたことを思い出したのだった。
彼らは惨めったらしい宿屋のことを寝床で笑い転げるしかなかったのだが、大家族の家庭の大変さや病人を抱えた苦しい庶民の姿を見たことになる。
彼らは脚本を書き、映画を撮るのだろうが、経験や体験から湧き出てくる発想がいい作品の礎になると思う。
最後に敦子と再会するが、これがなかなかいいシーンで、エンディングも気に入った。