おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ブロンコ・ビリー

2024-03-02 08:29:21 | 映画
「ブロンコ・ビリー」 1980年 アメリカ


監督 クリント・イーストウッド
出演 クリント・イーストウッド ソンドラ・ロック
   ジェフリー・ルイス スキャットマン・クローザース
   ビル・マッキーニー サム・ボトムズ ダン・ヴァディス
   シエラ・ペチャー アリソン・イーストウッド

ストーリー
ブロンコ・ビリーは、“ワイルド・ウエスト・ショー”のリーダーだ。
彼らはアメリカの中南部を巡業し、時には慈善公演も買って出るが、経済的にはいつも苦しかった。
一座の移動は車で行なわれ、その日もカンサス州のジャンクション・シティに意気盛んに乗り込むと、ビリーは早速興業の許可をもらうために市の役所に出かけた。
窓口で、ビリーはジョン・アーリントンとリリーという金持ちのカップルを見かけた。
彼らは結婚許可書をもらいに来ていたのだが、遺産相続のためにいやいやジョンと結婚するリリーは、欲ばりの母親をうらみつつも、はるばるニューヨークからカンサスに結婚式をあげる為に来ていたのだ。
結婚式を済ませて、あるモーテルで初夜を迎えることになったリリーは、しかしどうしてもジョンに抱かれる気になれず、拒み通した。
怒ったジョンは、リリーの持ちもの全てを奪い、町から姿を消してしまった。
翌朝目覚めて、仰天したリリーはニューヨークの母親に連絡するために隣のガソリン・スタンドにとびこむが、1セントのお金もないところに出くわしたのがビリーだ。
彼に10セントを借りることにしたリリーは、その金を返すために、ビリーの一座に加わり危険なナイフ投げの的などの役をひきうけるはめになる。
一方、ニューヨークでは行方知れずになったリリーに、母親のアイリンは大あわて。
殺されたのかも知れないと思った彼女は、弁護士に相談した。
それから間もなくジョンは警官につかまりニューヨークヘ護送されてきた。
弁護士は、ジョンのところへやってきて、ある相談をもちかけた。
ジョンがリリーを殺したことにすれば、アイリンに入り込んでくる遺産のうち、50万ドルは分け前としてジョンにあげるというものだった。


寸評
仲間が集まると思い出話に花が咲く。
今の世の中を嘆いては、俺たちの時代はこうだったと懐かしむ。
若かりし頃への郷愁でもあるのだが、僕はこの映画にそのようなものを感じる。
ブロンコ・ビリーたちは時代に取り残された者たちのような感じがするし、ニューヨーク育ちのリリーにさえそんな雰囲気を感じるのだ。
裕福な家に生まれたアントワネット・リリーは30歳までに結婚しなければ父の遺産を継げないために、愛してもいない男ジョンと名目上の結婚をしようとしているのだが、そんな遺言を残す父親っているのだろうか。
結婚相手の冴えないジョン・アーリントンをジェフリー・ルイスが軽妙に演じていて、設定と共にこの映画に喜劇性を持ち込んでいる。
冒頭で賃金問題でもめてブロンコ・ビリーが仲間たちを一喝するシーンが描かれる。
ブロンコ・ビリーのキャラクターはクリント・イーストウッドのイメージそのもので、この冒頭のシーンだけでこの一座の人間関係が分かってしまう。
一座にリリーが加わり、頑固で高圧的なブロンコ・ビリーとことごとく対立する。
こうなると映画としてはもう結論は見えている。
やがて二人は愛し合うようになることは明白で、観客はそうなる過程を楽しむ事になる。

ブロンコ・ビリーたちは疑似家族を築いているが、反してリリーは裕福な家庭に育ってはいるが家族の愛に乏しい女性で、その事が彼女を勝気にしているのだろう。
リリーが疑似家族としての一座の連中の信頼関係を感じるのが、先住民族のチーフ・ビック・イーグルの妻ローレンが妊娠を報告し仲間が大喜びするシーンだ。
ブロンコ・ビリーは子供が生まれたら皆の給料を上げると叫び、彼らはお祝いに町へ繰り出す。
リリーは部屋の片隅で淋しそうに視線を送っているという良い場面になっている。
ここからリリーは少しづつ変わっていき、ブロンコ・ビリーと結ばれることで変身を遂げる。
勝気で嫌味な女であったリリーが翌朝目覚めると可愛く見える女性になっているのだが、演じているソンドラ・ロックが実生活でクリント・イーストウッドの愛人であったのはご愛敬か。
一座が西部劇のショーを演じていたり、ブロンコ・ビリーが早撃ちを自慢していたり、また時代錯誤な列車強盗を企てるなど、懐かしい時代への逆行が描かれる。
襲われた列車に乗っている人から見れば、アトラクションを見ているようなもので、まるで東映の太秦映画村の世界に見えただろう。
メンバーのレオナードが逮捕されたことを知ったビリーは釈放を求め保安官と取引を持ち掛ける。
保安官も早撃ち自慢で対決を迫られるが、二人の対決は描かれておらず結果は観客の想像の内なのだが、おそらくレオナードが言うようにビリーらしい解決方法を取ったのだろう。
この一座は貧しい一座だが、それでも慈善事業としてのショーもやっており、子供たちからも英雄視されている。
貧しくても立派に生きているという姿も、映画の黄金期から描かれてきたアメリカ人の姿を思い起こさせる。
ラストの場面は予想されたものであるが、意外なのはブロンコ・ビリーが観客の子供たちに語り掛ける挨拶だ。
う~ん、これは教育映画だったのかと思わせる大団円となっている。