おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

金閣寺

2022-06-11 08:18:12 | 映画
「金閣寺」 1976年 日本


監督 高林陽一
出演 篠田三郎 市原悦子 柴俊夫 横光勝彦
   島村佳江 内田朝雄 加賀まり子
   水原ゆう紀 テレサ野田 ダン・ケニー

ストーリー
溝口(篠田三郎)は、吃音コンプレックスに悩み、心に暗いかげりを抱く青年である。
彼は少年の頃から、この地上で金閣寺ほど美しいものはない、と父に教えられ、金閣寺を美の象徴として憧憬していたが、父の死後、遺言によって金閣寺の徒弟となった。
溝口には金閣寺と同じように自分の半生を支配している初恋の女性・有為子(島村佳江)という存在があった。
少年の頃、有為子に話しかけようとするが言葉にならず、罵倒され、冷たく拒否され、以来溝口はひたすら有為子の死を願うようになる。
が、やがて彼女は脱走兵をかくまい射殺されてしまう。
彼女の美しい肉体は喪失したが、有為子は溝口の心の中に生きつづけているのだった。
溝口は鶴川(柴俊夫)という友人を得、老師(内田朝雄)のはからいで二人は大学に進学し、美青年・柏木(横光勝彦)を知った。
柏木に惹かれていく溝口は、彼の手びきで、次々と女と接し犯す機会を与えられた。
しかし、その度に突如現われる金閣寺の幻に上ってセックスはさまたげられる。
彼は人生をはばみ、自分を無力にしている金閣寺を憎悪するようになっていった。
柏木は金閣寺の永遠の美を批判し、溝口を背徳に誘う。
その背徳は老師との間にも垣根を作ることになり、ついに老師も彼に背を向けた。
寺のあと継ぎになることで現世的に金閣寺を支配するという望みも失なわれ、鶴川の突然の死も彼には激しいショックだった。
全てに裏切られ、背を向けられた溝口に残されたものはただ一つ、非現世的な美との対決--金閣寺を焼かねばならぬ--ということだけだった。


寸評
三島由紀夫の「金閣寺」を原作とした名作に市川崑の「炎上」があり、本作は二度目の映画化である。
僕は現時点で三島の原作を読んでいないので、どちらが原作に近いのかは分からないが、溝口と言う男の内面は「炎上」の方が上手く描けていたと思う。
溝口はこの世の欺瞞と醜い嘘を体験する。
父が住職をする寺で母親が住み込んでいる男と関係を持つ現場を目にする。
年老いた父はそれを知っていながら見るなと溝口の目を覆い隠す。
溝口は美しい有為子に想いを寄せていたが、吃音の彼は上手く気持ちを伝えることができない。
有為子にひっぱたかれて拒否されたばかりか、「しゃべれない者が!」と罵倒されてしまう。
溝口は有為子の死を願うようになるが、実際に彼女は関係を持った脱走兵によって殺されてしまう。
願ったことへの後ろめたさもあっただろうが、有為子は溝口の永遠の女性として彼の中に生き続け、彼女は溝口にとって美の象徴となる。
その美は想像の中にあるのだが、現実の美として金閣寺が彼女と同化していく。
溝口は女性と関係を持つ機会を度々持つが、そのたびに金閣寺が現れて行為をやめてしまう。
金閣寺は有為子でもあり、彼はその時に至って永遠の女性の有為子を思い浮かべてしまうのだろう。
溝口は南禅寺の山門から見下ろした部屋で、加賀まりこが男の飲むお茶の器に乳房から出る乳を注ぐ場面を目撃し、彼女も彼の中に存在することになるが、やはり同様の理由で最後の一線を乗り越えることが出来ない。
俗人ならば有為子を重ね合わせて相手の女性と関係を持つだろうし、その方が人間らしい。
未練たらしい男の性(さが)だと思うが、叶わぬ恋の相手との情事はそのようにしてでしか成就できないと思うものの、それは三島の世界ではないのだろう。
溝口が吃音であることも影響して、彼には絶対的な美への嫉妬があったのかもしれない。
彼の描く理想に対して現実は余りにもかけ離れている。
溝口は自分のハンデに対するコンプレックスを乗り越えることが出来なかった男である。
彼と対照的なのが同じようにハンデを背負った柏木で、彼は自分のハンデを武器にして次々と女性と関係して金も貢いでもらっている。
鶴川は溝口にそのような柏木と付き合うなと忠告するが、まっとうなことを言った鶴川はあっけなく死んでしまう。
この世の中にまっとうなことなどないという暗い気持ちになってしまう。

「炎上」では溝口は死を選ぶが、この「金閣寺」では生きる方を選んでいる。
ラストシーンで彼は燃え上がる金閣寺を山の上から煙草をふかして眺めているのだが、この時の彼は何を考えていたのだろう。
自分を縛っていた呪縛からやっと逃れたと言う満足感だったのだろうか。
それとも煩悩を持ちながら、これからも生きて行こうと決意したのだろうか。
僕は彼の表情から勝者の陰りを感じなかったし、もやもやが溜まったまま終わってしまったような気分になった。
そもそも溝口は米兵に連れられてきた女性を踏みつけておいて、その事実をやっていないと鶴川に語り、目撃者もいないのだから事件になるはずはないのだとうそぶいていた男で、僕はそのような溝口に肩入れすることも同情を寄せることも出来なかったのだ。