おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

月光の夏

2022-06-24 08:07:09 | 映画
「月光の夏」 1993年 日本


監督 神山征二郎
出演 渡辺美佐子 滝田裕介 田中実 永野典勝
   仲代達矢 小林哲子 若村麻由美 内藤武敏
   田村高廣 山本圭 石野真子 高野長英

ストーリー
吉岡公子(渡辺美佐子)はかつて教師として勤めた鳥栖小学校の古いグランドピアノについて忘れられない思い出を持っていた。
太平洋戦争末期の夏、九州の鳥栖国民学校(現・鳥栖市立鳥栖小学校)に、出撃を明日に控えた2人の陸軍特攻隊員(特別操縦見習士官)が訪れる。
生きては帰れぬ出撃を前にどうしてもピアノが弾きたいと、一人の青年海野光彦(永野典勝)はベートーヴェンのピアノソナタ『月光』を、もう一方の青年風間森介(田中実) は『海ゆかば』を弾いて基地に帰っていった。
二か月後に戦争は終わった。
戦後、演奏に立ち会った当時の教師・吉岡公子(若村麻由美)が、ピアノの保存のため小学校でその思い出を語り、それが大きな反響を呼んだことで、次第にその特攻隊員たちについて明らかになってゆく。
公子が語るその思い出は新聞やラジオで報道され、平和の記念碑としてピアノは保存されることになった。
地元ラジオ局の石田りえ(石野真子)はドキュメンタリー作家の三池安文(山本圭)と共にピアノを弾いたと思われる元少尉風間森介(仲代達矢)を訪ねるが、風間は何も語ろうとしない。
石田たちは生き残った特攻隊員に取材を重ね、特攻出撃を途中で放棄した隊員を幽閉していた“振武寮”の存在を知り、特攻平和記念館で『月光』を弾いた海野光彦少尉(永野典勝)の遺影を発見する。
それをきっかけに風間の閉ざされた心は徐々に開き、エンジンの不調で特攻から引き返したこと、“振武寮”に入れられた屈辱と絶望の日々のことを語り始めた。
半世紀を経て思い出のピアノと再会した風間は、当時を振り返りながら『月光』を奏でるのだった。


寸評
後世の我々から見れば、特攻作戦とは人命を人命とも思わない、およそ戦術と呼べるものではない非人間的な作戦であったことは明白だ。
しかし当時存在していたと思われる大きな力は、それらの疑問を押しのけて多くの若者たちの命を奪っていった。
特攻隊員たちには僕たちには想像することすらできない複雑な思いが生じていたに違いない。
海野と風間は最後に思い切りピアノが弾きたいとの思いで、鳥栖国民学校を兵舎から線路を走って訪れる。
今生の別れとばかりに海野がピアノ曲「月光」を弾く姿に、いったい彼はこの時どのような気持ちでピアノに向かっていたのだろうと思うだけで涙があふれ出る。
明日は死ぬと分かった時に、当時の僕ならば一体何をしただろう。
多くの者がとったように遺書をしたためるだろうか、仲間と最後の酒を酌み交わしただろうか。
海野と風間は純真だ。
彼等の様な若者が6000人も散っていったのだ。
僕は行ったことがないのだが、初めて見る知覧の灯篭の数に唖然とさせられた。

一人はピアニストを目指し、一人は音楽教師を夢見ていたが特攻として援護機なしで飛び立っていく。
六機のうち風間機だけがエンジン不調で知覧の基地に引き返す。
それを臆病風のせいだとして、風間は福岡の振武寮に入れられる。
そこには特攻出撃から帰ってきた者たちが集められている。
特攻隊員たちは無駄死にしたくないとの思いで帰還したのであって、決して命を惜しんだ卑怯者ではないのだが、矢ヶ島参謀は卑怯者と決め込んでいる。
明日に特攻として再出撃を命じられた少年兵に、参謀の兵舎に突撃してくれと言う者まで出てくる始末だから、振武寮での扱いは彼等の名誉と自尊心を傷つけるものだったのだろう。
ピアノに係わる話なので、ここでのことは詳しく描かれていないが、特攻の生き残りには語りたくないことが多いのかもしれない。
共に死のうと約束した仲間が死に、自分が生きている後ろめたさと罪の意識がそうさせるのだろう。
風間も特攻の事、振武寮の事は語ろうとしない。
彼の苦悩がもう少し描かれても良かったと感じる。

これが実話だとしたら、救いは風間と海野の妹が結婚していたことだ。
生きていてよかったと思わせるし、学校を訪ねた風間に吉岡先生が「生きていてよかったです」という言葉も白々しく思わせなかった。
むごたらしい戦争の出来事を描いているわけではないし、そのようなシーンもないが、このような些細な出来事を通じてでも戦争は悲惨なものをもたらしていたのだと分かる。

昭和20年時の吉岡公子を演じた若村麻由美の化粧には違和感があった。
はたして当時の世情として、国民学校の音楽の先生にあのような化粧が許されていたのだろうかと感じた。
ちょっと気になる若村麻由美であった。