おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

姉妹(きょうだい)

2022-06-06 06:21:35 | 映画
「姉妹」 1955年 日本


監督 家城巳代治
出演 野添ひとみ 中原ひとみ 内藤武敏
   望月優子 河野秋武

ストーリー
圭子(野添ひとみ)と俊子(中原ひとみ)の姉妹は、山の中の発電所の社宅に住む両親(河野秋武、川崎弘子)のもとをはなれ、学校に通うために、都会の伯母の家に厄介になっていた。
姉の圭子は十七歳、五人姉弟の長女のせいか家庭的な大人しい性質だが、妹の俊子は三つ年下の天真らんまん型。
姉妹の伯母お民(望月優子)のつれ合いの銀三郎(多々良純)は大工の棟梁で大の酒好きである。
時にはいさかいもあるとは云え、夫婦は至って好人物で、姉妹はこの庶民的な伯母夫婦に愛されながらすくすくと成長していた。
俊子はある日、同級生のとしみ(野口綾子)の家へ遊びに行き、としみの姉(田中稲子)と弟が二人共障害者なのを知って、幸福は金で求められるものでないと思った。
冬休みが来て、二人の姉妹は山の中の父母のところへ帰り、久し振りで戻ったわが家で近所の青年男女と共につつましく楽しい正月をすごした。
新学期が来て、姉妹は伯母の家の近所に住む貧しいはつえ(城久美子)の一家と知り合ったり、花札とばくで伯父が警察へ連れて行かれたりするような経験にめぐり合った。
やがて圭子は学校を卒業し、俊子は寄宿舎へ入った。
山の発電所にも人員整理の波が押し寄せ、真面目な父親の健作は、周囲の人達の苦しい生活をはばかって、俊子の修学旅行をも控えさせたが、俊子はそうした悲しみにも耐えた。
やがて圭子の嫁ぐ日が来たが、俊子は姉の圭子が正月のかるた会で一緒だった岡青年(内藤武敏)と好き合っていたものと思い、ひそかに気をもむのだった。


寸評
野添ひとみ、中原ひとみ、というダブルひとみで仲の良い姉妹を描いた健全映画である。
僕は一人っ子で兄弟の関わり合いを知らないで育ったので、彼女たちのような兄弟の関係を見せられると羨ましく思えてくる。
もっとも兄弟姉妹と言えども皆が仲が良いわけではなく、血のつながった兄弟だからこそ骨肉の争いもあるのが現実で、遺産相続などでのもめ事を噂話として耳にする事がある。
幼い頃は仲の良かった兄弟が疎遠になるのも珍しいことではない。
ここで描かれた姉妹は、時には言い争いをすることも有るが模範としたいような姉妹愛で結ばれている。
学校に通うために叔母のところで世話になっている野添と中原の青春がみずみずしく描けている。
物語の構成上で二人の性格は正反対に描かれる。
姉は誠実で実直、妹は現実的で無垢で経済観念がないという単純図式ではある。

中原はおこずかいをすぐ無駄使いし、いつも姉の野添に注意されている。
端的に現れるのが二人が実家に帰省した時の場面である。
野添は三人の弟たちにおみやげを買ってくるが、中原はお金が無く買って来ていない。
弟たちは姉を持ち上げ妹を非難する。
その時父親は、「お土産を買ってこられる人もいるし、買ってこられない人もいる。大事なことはどんな時でも温かく受け入れてあげる家族でいることだ」と諭す、実に道徳的な映画なのだ。
中原はただ見たままを口にして世の中の不条理を訴える純真な妹なのだ。
時にユーモアを交えながら溌溂とした姉妹を描く中で、世の中の不合理や差別を描き込んでいる。
友人のはつえが掃除もできないというので二人は掃除をしに行ったのだが、はつえから「この家は皆結核持ちだからくるな」と言われ帰っていく。
盲目の父がいて貧しいこの家庭に国も社会も支援できていない。
まだまだ社会保障が十分でない時代だったのだ。
野添は浮気男と同じ車両に乗るのも嫌な潔癖さを見せるが、中原は浮気の相手の女性を擁護するような発言をしているから、中原は当時芽生えつつあった新しい概念の持ち主の代表者として描かれているのだろう。

僕が面白いと思ったのは野添の結婚問題である。
野添は内藤武敏が演じる岡という青年に好意を抱いているようで、岡もまんざらでもないそぶりである。
しかし結婚となれば違うと、野添は両親も賛成している銀行員との結婚を選ぶ。
岡も野添はこの様な土地で生きる人ではないと、中原の訴えにはそっけないのだが、それは岡の愛する人への思いやりであろう。
岡がずっと思ってきたことなので、めそめそしたり悔んだりするようなそぶりはまったくない。
このさっぱりした描き方は、むしろ新鮮感さえあった。
それでも野添の嫁入りのシーンはグッとくるものがある。
家から出てくる花嫁姿の野添を村人が祝福して迎え、浮気した女性も幸せにと手を振って見送る。
僕の子供の頃にはあった、このようなコミニティが消え失せてしまったのは淋しい限りだ。