おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

決闘高田の馬場

2022-06-25 08:36:30 | 映画
「決闘高田の馬場」 1937年 日本


監督 マキノ正博 稲垣浩
出演 阪東妻三郎 市川百々之助 原駒子
   伊庭駿三郎 志村喬 大倉千代子
   香川良介 小松みどり 滝沢静子

ストーリー
舞台は元禄7年春、江戸・八丁堀。長屋の住人・中山安兵衛(阪東妻三郎)は、いつでも飲んだくれ、喧嘩に明け暮れる毎日だが、腕がめっぽう強く、長屋では「先生」と呼ばれて人気者である。
安兵衛の苦手とするものは、牛込の住人・菅野六郎左衛門(香川良介)という叔父である。
村上庄左衛門(尾上華丈)との剣道におけるトラブルから、江戸郊外・戸塚村の高田の馬場で、叔父は果し合いをすることになってしまう。
叔父はそのことを告げに、天涯二人きりの肉親である安兵衛の長屋の部屋で待つ。
安兵衛は仲間と飲んだくれ、喧嘩をしては飲み、他人の喧嘩に割り込んでは飲み、夜が明けてしまう。
果し合いの刻限が迫り、叔父は安兵衛に書き置きを残し、長屋を去る。
しばらくして帰ってきた安兵衛は、長屋の者たちに書き置きを読むように言われるが、乗り気がしない。
それでもなお長屋の者たちが家に入り込んでまで、読めと勧めるので嫌々読み始める。
読み進めるに連れて、様子ただならなかったという叔父の事情をすべて知るに至り、二日酔いで疲れ果てた身体を奮い立たせ、高田の馬場めがけて全速力で走り出す。
安兵衛が高田の馬場に到着すると、村上兄弟とその一味の中津川祐範(瀬川路三郎)らの多勢に無勢で闘った叔父は、すでに瀕死である。
自らへの悔恨と村上らの卑怯さに怒り狂った安兵衛は、踊るように跳ねるように斬って斬って斬りまくる。
18人斬りの末に叔父に駆け寄ればすでに叔父に息はない。
果し合いの野次馬たちは安兵衛の快挙に沸きあがるが、立ち尽くす安兵衛の胸には悔恨と空虚さが残った。


寸評
戦前の作品を見る機会は滅多にないが、僕が見た数少ない伝説の阪東妻三郎、通称"阪妻"作品のひとつ。
石原裕次郎がデビュー作となる「太陽の季節」のチョイ役で出たときに、カメラマンがカメラを覗きながらプロデューサーの水江滝子を呼んで「カメラの向こうに阪妻がいるよ…」と囁いたと言われている、あの阪妻の主演映画ということで、作品内容よりもその歴史的価値に興味が湧いてしまう。
阪東妻三郎を知る者にとっては、彼は映画界にあって光り輝く大スターだったのだろう。

さすがに戦前とあっては、当時の俳優さんがどのような人たちだったのかは知らない。
知らないがこの作品を見ていると、阪妻はきっとその動きのスピーディさが抜きん出ていた役者だったのではないかと想像できる。
立ち回りがいい。芝居じみた立ち回りだが、動きに艶がある、色気がある。

酔った阪妻の中山安兵衛が大勢の相手に取り囲まれて、「あのキラキラ光るのは流れ星かい?」とつぶやいて、一人斬っては「一番星消えたあ」と言って身構える。
そして、よろけながらも二人斬っては「二番星消えたあ」と言っては身構える。
この時の阪妻はカッコいいね!
血は争えないもので、息子さんの田村高廣さんとよく似てるわ。
いや、田村高廣さんが阪妻さんに似ているんだな。

同じシーンをつなぎ合わせ、なおかつコマ落としと見受けられる安兵衛が決闘場へ駆けつける韋駄天走りのシーンは時代劇の見せ場の一つで、子供のころに見た劇場ではこんな場面になると必ず「早よ、早よ…」と掛け声がかかり大拍手が起きたものだ。
そんな客席とスクリーンの一体感はいつの間にか消え失せていて、任侠映画の登場を待たねばならなかった。
その任侠映画も終焉を迎え、客席からスクリーンに向かって掛け声が飛ぶことは無くなってしまった。
残しておきたい雰囲気だったのだがなあ…。

高田の馬場に駆けつけた安兵衛は、娘から授けられた緋襷を身にまとい、鉢巻には同じく娘のかんざしを刺して、斬って斬って斬りまくる。
その立ち回りはリアリズムなどクソクラエとばかりの大立ち回りで、片足ケンケンしながらの芝居じみたものだった。
それなのに何だがワクワクしてしまうのは、やはりこれが映画の持つ魅力なんだろうな。

娘の恋心などもあって、作品はアッケラカンとしたほのぼの作品だ。
(作中では描かれていないが、この恋が実り中山安兵衛が婿入りして堀部安兵衛となり、四十七士の一人となることを僕たちは知っている)
悲壮感のないのは意図したことか、菅野六郎左衛門の使用人が「是非ともお供に加えて下さい」と言って、一人助太刀を買って出て討ち死にしてしまう武士道の非常な部分は全くと言っていいほど描かれていない。
何を訴えるような作品ではないが、戦前の娯楽作を見るという点においては、随分と好都合な作品だと思う。