おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

夫婦善哉

2020-05-12 07:20:50 | 映画
「夫婦善哉」 1955年 日本


監督 豊田四郎
出演 森繁久彌 淡島千景 小堀誠 司葉子
   森川佳子 田村楽太 三好栄子
   浪花千栄子 万代峰子 山茶花究

ストーリー
曽根崎新地では売れっ妓の芸者蝶子(淡島千景)は、安化粧問屋の息子維康柳吉(森繁久彌)と駈落ちした。
柳吉の女房は十三になるみつ子(森川佳子)を残したまま病気で二年越しに実家に戻ったままであった。
中風で寝ついた柳吉の父親(小堀誠)は、蝶子と彼との仲を知って勘当してしまったので、二人は早速生活に困った。
蝶子は臨時雇であるヤトナ芸者で苦労する決心をした。
そして生活を切り詰め、ヤトナの儲けを半分ぐらい貯金したが、ボンボン気質の抜けない柳吉は蝶子から小遣いをせびっては安カフェで遊び呆けていた。
夏になる頃、妹の筆子(司葉子)が婿養子を迎えるという噂を聞いて、柳吉は家を飛び出して幾日も帰って来なかった。
柳吉は親父の家に入りびたっていたのは、廃嫡になる前に蝶子と別れるという一芝居を打って金だけ貰い、その後に二人で末永く暮すためだと云った。
それが失敗に終り、妹から無心して来た三百円と蝶子の貯金とで飛田遊廓の中に「蝶柳」という関東煮屋を出したのだが、暫くして柳吉は賢臓結核となり、蝶子は病院代の要るままに店を売りに出した。
柳吉はやがて退院して有馬温泉へ出養生したが、その費用も蝶子がヤトナで稼いだのであった。
柳吉は父からもその養子京一(山茶花究)からも相手にされず、再び金を借りて蝶子とカフェを経営することになった。
やがて柳吉の父は死んだ。
蝶子との仲も遂に許して貰えず、葬儀には参列したが柳吉は位牌も持たせてもらえなかった。
二十日余り経って、柳吉と蝶子は法善寺境内の「めおとぜんざい」へ行った。
とも角、仲の良い二人なのであった。


寸評
大阪の映画を1本だけ挙げるとすれば、僕は真っ先にこの作品を思い浮かべる。
主演の二人がとんでもなく魅力的で、こんなダメな人間でも面白おかしく生きているじゃないかと開き直っているようであり、二人が織りなす滑稽なやり取りは思わずニヤリとしてしまう可笑しさがある。
森繁久彌は大阪の枚方出身だし、淡島千景も宝塚の娘役として活躍していた時期があるから、彼等の話す大阪弁は映画にすっかり溶け込んでいる。
脇役の話ことばも違和感がなく、法善寺のセットも雰囲気を損ねていない。

柳吉は生活力のない男で、なぜ、それほどまでに女に依存してしまうのかと思う反面、蝶子はなぜ、それほどまでに依存する男を許容するのかと思いながら見続ける。
おそらくそれは、アルピニストが、そこに山があるから登るというように、許容してくれる女がいたからであり、許容を必要とする男がいたからとしか言いようのないものだ。
柳吉は女房が病気の間に蝶子と出来てしまい駆け落ちをし、化粧品問屋を営む実家から金をせびることしか考えてないようなダメ男である。
柳吉は蝶子の金を使い込んで遊び惚ける道楽者だが、蝶子はそんな柳吉を叱咤しながらも離れられない。
蝶子は浪花女の意地で「いつか柳吉をいっぱしの男に仕立て上げる」という気持ちも持ち合わせている。
女にとって男の存在が絶対的であるのに対し、男にとって女の存在は絶対的ではないのに、それでも離れられず結局は女のもとに戻ってきてしまう。
二人の関係は、男と女というよりも、しっかり者の母親が出来の悪い息子を溺愛するような関係に見える。
母性本能を発揮して柳吉を慕い許し続ける蝶子を演じた淡島千景は魅力的だが、それ以上に軟弱な柳吉を演じた森繁久彌が輝きを放っている。

普通の男なら女に対して自分は立派な人間だと見栄を張りたいものだが、柳吉にはそれがない。
この男は、甘やかされた放蕩息子であり、怠惰な生活者であり、そして呆れるほどの他者への依存者である。
勘当されながらも父親が亡くなれば店を継ぐつもりでいるし、田中春男の番頭などはその時に大番頭にしてもらおうと媚びを売っている。
女遊びの為なら蝶子の金にも手を付けるし、金もないのに食道楽だ。
何かといえば実家に頼るし、蝶子を裏切るようなことをしておきながらも行き場がなくなると結局蝶子の所へ戻ってくるような身勝手な男だ。
それなのに、蝶子ならずともどうも憎めないのだ。
蝶子は「「わてわな、何も奥さんの後釜に座るつもりはあらへん。あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や。ホンマやで。ホンマにそない思うて一生懸命稼いでんやで」と言う。
また入院中の男を見舞う男の妹から、男の父が女のことを褒めているという話を聞いて、 「へぇ。お父さんがそない言うてくれはってるんのやったら、わては身を粉にしてでも、どないしてでも・・・安心してておくれやす」と言う。
柳吉は女にそんなことを言わせる男で、実際にはそんな男冥利に尽きる女性などいないのではないか。
男のあこがれの気持ちを多分に映画にのめり込ませていると思う。
法善寺の「夫婦善哉」は店は残っているもののビルになってしまいちょっと淋しい気がする。