おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

やくざの墓場 くちなしの花

2020-05-27 07:21:10 | 映画
「ま」行が終わり、いよいよ「や」行です。

「やくざの墓場 くちなしの花」 1976年 日本


監督 深作欣二
出演 渡哲也 梶芽衣子 藤岡琢也 今井健二
   矢吹二朗 小林稔侍 金子信雄 梅宮辰夫
   室田日出男 佐藤慶 藤岡重慶 大島渚

ストーリー
巨大組織・山城組傘下の在阪団体とミナミを地盤とする西田組とが衝突を起こし、両者の間は一触即発の状態が続いていた。
折しも同地警察捜査四課に舞戻った腕利き刑事黒岩竜(渡哲也)は、西田組の情報収集担当として復起したが、捜査本部の上層部は黒岩の個人プレーに走る傾向を恐れて意識的に捜査担当から外した。
黒岩のやり口は最初から凄じく、あわてた西田組二代目組長・杉政明(藤岡琢也)と若者頭代理の松永啓子(梶芽衣子)が、地元警察署長・赤間(金子信雄)を伴って詫びを入れる程だった。
この一件で、黒岩は規律を重んじる本部上層部の本部長、副本部長等に睨まれたばかりか、西田組顧問でキック・ボクシングジム拳義会館長・岩田五郎(梅宮辰夫)の怒りも買った。
ある日、黒岩は山城組傘下の組員を追跡し、金融ブローカー「山光総業」の事務所内に逃げ込んだ男と格闘になったが、そこの事務員はすべて捜査四課のOBだった。
そこへ現われたのは元捜査副本部長で、現在山光総業社長の寺光伝之助(佐藤慶)で、一万円札をチラつかせて事をウヤムヤに処理しようとした。
黒岩は今だに本部の上層部に絶大な圧力を持つ寺光に、何かキナ臭さを感じてその場を去った。
黒岩は、いつしか戦いに不利な西田組に荷担し、しかも若者頭の夫の留守を預かる啓子に何かと手を貸すようになっていたが、警察本部は管轄外の山城組には手をつけず、一方的に西田組解散の方針を打ち出して、新たに西田組担当班室長に日高警部補(室田日出男)が新任して来た。
日高と黒岩は警察学校の同期生で、二年前の射殺も彼が仲の良い日高をかばったための発砲が原因だった。
追いつめられた西田組は、岩田の計らいで山陽、九州一帯を総轄する連合組織・雄心会に加盟して、山城組に対抗しようとし、その結縁式には啓子の招きで黒岩も出席した。


寸評
昭和51年度文化庁芸術祭参加作品と大きく映し出される。
内容を見ると、どこが昭和51年度文化庁芸術祭参加作品なんだと言いたくなるようなもので、警察とヤクザの癒着が描かれ、「やくざの墓場」のタイトルとは違って、主人公ははみ出し者の刑事である。
刑事の黒田はヤクザよりヤクザらしくて、ヤクザ側は梅宮辰夫以外は小者に見えてしまう。
一方の警察側は、署長が金子信雄、警察OBの寺光が佐藤慶、捜査四課長が藤岡重慶、警部補が室田日出男と並び、どっちがヤクザか分からない面々だ。
異色は特別出演扱いで本部長を演じている映画監督の大島渚で、堂々とした演説を行っていて彼のキャリアの中で出演作として記録されるべき存在感を見せている。

警察の腐敗や暴力団やヤクザ組織との癒着は洋の東西を問わず描かれ続けている。
警察組織と暴力組織の間には癒着構造が存在しているのかもしれないが、ここで描かれた癒着は警察側の面々を見てもひどいものだ。
警察OBの寺光は暴力団まがいの手口で悪事を働いていて、そのくせ警察本部に堂々と出入りし顔を聞かせているし、どうやら警察内部の人事にも影響力があるらしいのだ。
キャリア組でない者たちの天下り先として、裏社会の組織があるのかもしれない。
黒岩は捜査は滅茶苦茶だが正義感だけはあるといった、よくあるキャラクターではない。
むしろ自身に潜む暴力性のはけ口として警察を選んだような人物で、こぶしでパチン、パチンと音を鳴らす仕草は感情を抑え爆発を抑えているように見える。
黒岩は満州からの引揚者で、少年の頃には内地の子供たちからイジメいじめを受け差別されてきた過去を持つ。
そして彼に絡む梶芽衣子は父親が朝鮮半島出身という在日二世だ。
同じく兄弟分となる梅宮辰夫は朝鮮人である。
この設定は意図したものであることは明らかなのだが、その意図は不明確ながらも感じ取れる場面はある。
印象的なのは黒岩の渡哲也が高層団地が立ち並ぶ道を歩いてくる姿をロングショットでとらえたシーンで、それに続く梶芽衣子とのやりとりだ。
黒岩は彼女を部屋に招じ入れ、窓を開け、スタンドの電気をつける。
風にカーテンが揺れ、スタンドの光で部屋が照らされ、団地における一人暮らしの黒岩の生活のリアルな実態を垣間見せるいいシーンだ。
そして黒岩は啓子に「人間の住むとこちゃうよ。下に降りていくより、こっから飛行機乗っていくほうが早いくらいの高さや!」と言う。
飛行機乗っていくほうが早い所とは、朝鮮半島であり旧満州なのだ。
下に降りていった大地は日本国そのものであり、そこが人間の棲むところではなかったのは引揚者や朝鮮人や在日家族達が味わってきた苦汁を示しているのだろう。
その思いの発露が鳥取砂丘の海辺のシーンであり、岩田が兄弟分の盃を黒岩に迫るシーンだ。
彼等は疑似家族を形成したといえるが、このような関係の行方が破滅へと向かっていくことはいうまでもなく、黒岩は破滅へ向かっていく。
渡哲也はその悲劇を見事に演じきっている。