おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

めし

2020-05-15 10:28:39 | 映画
「めし」 1951年 日本


監督 成瀬巳喜男
出演 上原謙 原節子 島崎雪子
   進藤英太郎 瀧花久子 二本柳寛
   杉村春子 杉葉子 小林桂樹
   花井蘭子 風見章子 山村聡

ストーリー
恋愛結婚をした岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)の夫婦も、大阪天神の森のささやかな横町につつましいサラリーマンの生活に明け暮れしている間に、いつしか新婚の夢もあせ果て、わずかなことでいさかいを繰りかえすようになった。
そこへ姪の里子(島崎雪子)が家出して東京からやって来て、その華やいだ奔放な態度で家庭の空気を一そうにかきみだすのであった。
三千代が同窓会で家をあけた日、初之輔と里子が家にいるにもかかわらず、階下の入口にあった新調の靴がぬすまれたり、二人がいたという二階には里子が寝ていたらしい毛布が敷かれていたりして、三千代の心にいまわしい想像をさえかき立てるのであった。
そして里子が出入りの谷口のおばさん(浦辺粂子)の息子芳太郎(大泉滉)と遊びまわっていることを三千代はつい強く叱責したりもするのだった。
家庭内のこうした重苦しい空気に堪えられず、三千代は里子を連れて東京へ立った。
三千代は再び初之輔の許へは帰らぬつもりで、職業を探す気にもなっていたが、従兄の竹中一夫(二本柳寛)からそれとなく箱根へさそわれると、かえって初之輔の面影が強く思い出されたりするのだった。
その一夫と里子が親しく交際をはじめたことを知ったとき、三千代は自分の身を置くところが初之輔の傍でしかないことを改めて悟った。
その折も折、初之輔は三千代を迎えに東京へ出て来た。


寸評
初之輔(上原謙)と三千代(原節子)は情熱的に結婚した夫婦だが、いまや倦怠期を迎えた夫婦である。
その夫婦間に起きる些細な出来事を日常的に切り取って活写している。
ある時期を過ぎれば夫婦間の会話は無くなり、「新聞、お茶、めし」などと夫の方は単語を発するだけになってしまうというのは現在でも言われていることだ。
何かといえば「めしは?」とか「腹が減った」などという食事に関する夫の言葉が描かれている。
「めし」とはよくも付けたタイトルだ。

営々と営まれる社会生活、家族生活の中でのちょっとした出来事が描かれているだけで、大きな出来事が起きるわけではない。
それでも描かれている内容は、不変のテーマの様でもあり現在にも通じるものである。
今の作品ならもっとドラマチックに描くのではないかと思った。
三千代は従兄の竹中一夫(二本柳寛)と昔を懐かしんで旅するが何事も起こらない。
微妙な気持ちを里子(島崎雪子)に察せられて、「私が一夫さんと結婚すれば初之輔さんは幸せになれるんじゃありません?」などと言われているから、それらしい雰囲気もあったのだろう。
それを感じた三千代は笑うしかなかったが、三千代にしてみれば「そんなバカな…」と笑い飛ばすしかなかったのではないかと思う。

里子は若者世代の代表で、その素行は三千代には理解できないものである。
どうも度々家出をしているようだが、今の様な不良少女の家出ではなく、ちょっとした逃避行で行く先はたかが知れているし、その所在は常に両親に報告されている。
父親は教師で厳格なようだが、父親(山村聡)の説教を顔で聞きながら心では無視しているドライな娘だ。
里子は男に取り入るのが上手な女性で初之輔にも可愛く甘えるが、姪とは言え若い娘に慕われ初之輔は悪い気がするはずがない。
三千代はそんな初之輔の態度が気に入らず、長居をしていることもあって矛先が里子に向かう。
里子はそんな三千代の気持ちが分かっていながらも、女の意地なのか構わずに長居を続け、三千代が気に入らない人たちと、むしろ親しくする。
それを声高に描くのではなく、ごく日常のやり取りの中に描いていく成瀬の演出は、優しそうでいながら厳しい。

三千代は思い余って東京の実家に帰るが、そこで就職口を探すなど気持ちは相当乱れているのだが、やはり特殊事例の行動はとらず、多くの人が選択するであろう行動を取ることになる。
三千代の暴走を止めたのは旧友の姿だ。
子供が後ろ姿で座っているシーンは三千代ならずとも心に迫ってくる。
結局、家からの逃避ということでは三千代も里子と同様で、二人とも兄の信三(小林桂樹)から叱責されたりしているのだが、この叱責シーンは静かな進行の中で唯一怒鳴るシーンだ。
やがて静かに映画は終わるが、今の女性運動家が見れば一言文句を言いたくなるであろうエンディングだった。
昔の大阪の様子が分かって、大阪人の私はその様子を垣間見ることができたのも楽しめた理由のひとつ。