「女神は二度微笑む」 2012年
監督 スジョイ・ゴーシュ
出演 ヴィディヤ・バラン
パランブラタ・チャテルジー
ナワーズッディーン・シッディーキー
ストーリー
2年前に毒ガスによる地下鉄無差別テロ事件で多くの犠牲者が出たインドの大都市コルカタ(旧名カルカッタ)。
その国際空港に、はるばるロンドンからやってきた美しき妊婦ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)が降り立つ。
彼女の目的は、1ヶ月前に行方不明になった夫アルナブを捜すことであった。
地元の新米警官ラナ(パランブラト・チャテルジー)の助けを借りながら、夫がいたはずの場所を巡るヴィディヤ。
しかし宿泊先にも勤務先にも夫がいたことを証明する記録は一切なく、ヴィディヤは途方に暮れてしまう。
そんな中、アルナブに瓜ふたつの風貌を持つミラン・ダムジという危険人物の存在が浮上してくる。
それを知った国家情報局のエージェントが捜索に介入し、ヴィディヤへの協力者が何者かに殺害されるという緊迫の事態に発展していく。
少々頼りなくも誠実なラナの協力を得て、なおも夫捜しに執念を燃やすヴィディヤだったが、やがて2年前に起きた無差別テロ事件が夫の失踪と関連していることを知る…。
寸評
インド映画といえば歌と踊りだと思っていたのだが、なかなかどうしてこの映画は特上のサスペンス作品だ。
冒頭は謎のガスマスク男が登場し、マウスを使った実験を行う。
続いて地下鉄サリン事件を思わせる毒ガスによる無差別テロが描かれる。
この導入部における一連の流れの音楽やテンポは韓国映画を彷彿させた。
話が進むうちに、二転三転する展開に目が離せなくなっている。
それだけ作品に引き込まれているということだ。
この手の映画の常套手段のはずなのに、重要人物が殺されたりすると「ああ、また一人手がかりとなる人が消された」と思い、主人公のヴィディヤ自身が命を狙われたりするたびにハラハラドキドキする。
とにかくスリリングだ。
追跡劇の合間では、ヴィディヤの様々な表情が描かれる。
ひたすら夫の姿をもためて突き進む強い女性ながら時折見せる悲しみの表情や苛立ち。
子供をはじめ周囲の人々を巧みに味方にしてしまう魅力的な人柄などだ。
そんなに簡単に味方に引き入れてしまえるものかと思われるのだが、彼女の魅力がその疑問を打ち消してしまう。
行動を共にしているうちにラナがヴィディヤに恋心を芽生えさせるのもパターンではあるが、ヴィディヤが妊婦であることでその感情を抑えたものして、かえって切ない恋心がにじみ出ていていい雰囲気だ。
ラナが帰宅電話を母親に入れることでその切なさが増幅されていて、細かい演出が見て取れる。
そしてヴィディヤが妊婦であることがやがて大きな意味を持ってくる伏線にもなってくる巧さがある。
町並みを写す映像もいい。
インドに行ったことのない、ましてやコルカタを知らない僕は、度々映されるこの街並みの映像だけで現場にいるような気分になった。
祭りの雰囲気もいいし、雑然とした裏町の様子も作品にマッチしている。
ヴィディヤを演じたヴィディヤー・バーランが美しくてカッコいいので、さらにインド世界に入り込めた。
インド女性は目が大きく美人が多いが、ヴィディヤー・バーランもまさにその典型だ。
僕が以前シンガポールのインド人街を訪れた時、すれ違う女性に見とれたことを思い出す。
最後は、えっ、えっ! そういうことなの! というどんでん返しが待ち受けている。
そこに至って、今までに張り巡らされていた伏線が解きほぐされていく。
そういえばあのシーンは…、あそこはそういう事だったのか…。
このあたりは脚本の妙と言えるのだろうが、非常に良く出来たサスペンス・ミステリー作品だった。
監督 スジョイ・ゴーシュ
出演 ヴィディヤ・バラン
パランブラタ・チャテルジー
ナワーズッディーン・シッディーキー
ストーリー
2年前に毒ガスによる地下鉄無差別テロ事件で多くの犠牲者が出たインドの大都市コルカタ(旧名カルカッタ)。
その国際空港に、はるばるロンドンからやってきた美しき妊婦ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)が降り立つ。
彼女の目的は、1ヶ月前に行方不明になった夫アルナブを捜すことであった。
地元の新米警官ラナ(パランブラト・チャテルジー)の助けを借りながら、夫がいたはずの場所を巡るヴィディヤ。
しかし宿泊先にも勤務先にも夫がいたことを証明する記録は一切なく、ヴィディヤは途方に暮れてしまう。
そんな中、アルナブに瓜ふたつの風貌を持つミラン・ダムジという危険人物の存在が浮上してくる。
それを知った国家情報局のエージェントが捜索に介入し、ヴィディヤへの協力者が何者かに殺害されるという緊迫の事態に発展していく。
少々頼りなくも誠実なラナの協力を得て、なおも夫捜しに執念を燃やすヴィディヤだったが、やがて2年前に起きた無差別テロ事件が夫の失踪と関連していることを知る…。
寸評
インド映画といえば歌と踊りだと思っていたのだが、なかなかどうしてこの映画は特上のサスペンス作品だ。
冒頭は謎のガスマスク男が登場し、マウスを使った実験を行う。
続いて地下鉄サリン事件を思わせる毒ガスによる無差別テロが描かれる。
この導入部における一連の流れの音楽やテンポは韓国映画を彷彿させた。
話が進むうちに、二転三転する展開に目が離せなくなっている。
それだけ作品に引き込まれているということだ。
この手の映画の常套手段のはずなのに、重要人物が殺されたりすると「ああ、また一人手がかりとなる人が消された」と思い、主人公のヴィディヤ自身が命を狙われたりするたびにハラハラドキドキする。
とにかくスリリングだ。
追跡劇の合間では、ヴィディヤの様々な表情が描かれる。
ひたすら夫の姿をもためて突き進む強い女性ながら時折見せる悲しみの表情や苛立ち。
子供をはじめ周囲の人々を巧みに味方にしてしまう魅力的な人柄などだ。
そんなに簡単に味方に引き入れてしまえるものかと思われるのだが、彼女の魅力がその疑問を打ち消してしまう。
行動を共にしているうちにラナがヴィディヤに恋心を芽生えさせるのもパターンではあるが、ヴィディヤが妊婦であることでその感情を抑えたものして、かえって切ない恋心がにじみ出ていていい雰囲気だ。
ラナが帰宅電話を母親に入れることでその切なさが増幅されていて、細かい演出が見て取れる。
そしてヴィディヤが妊婦であることがやがて大きな意味を持ってくる伏線にもなってくる巧さがある。
町並みを写す映像もいい。
インドに行ったことのない、ましてやコルカタを知らない僕は、度々映されるこの街並みの映像だけで現場にいるような気分になった。
祭りの雰囲気もいいし、雑然とした裏町の様子も作品にマッチしている。
ヴィディヤを演じたヴィディヤー・バーランが美しくてカッコいいので、さらにインド世界に入り込めた。
インド女性は目が大きく美人が多いが、ヴィディヤー・バーランもまさにその典型だ。
僕が以前シンガポールのインド人街を訪れた時、すれ違う女性に見とれたことを思い出す。
最後は、えっ、えっ! そういうことなの! というどんでん返しが待ち受けている。
そこに至って、今までに張り巡らされていた伏線が解きほぐされていく。
そういえばあのシーンは…、あそこはそういう事だったのか…。
このあたりは脚本の妙と言えるのだろうが、非常に良く出来たサスペンス・ミステリー作品だった。