おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

キル・ビル

2019-04-20 08:42:29 | 映画
「キル・ビル」 2003年 アメリカ


監督 クエンティン・タランティーノ
出演 ユマ・サーマン デヴィッド・キャラダイン
   ダリル・ハンナ ルーシー・リュー
   千葉真一 栗山千明  ヴィヴィカ・A・フォックス
   ジュリー・ドレフュス マイケル・マドセン
   マイケル・パークス  ゴードン・リュウ
   麿赤兒 國村隼 北村一輝

ストーリー
毒ヘビ暗殺団で最強と言われた元エージェントの女、ザ・ブライドが、4年間の昏睡状態から奇跡的に目を覚ます。
彼女は自分の結婚式の最中に、かつてのボス、ビルとその手下たちに襲われ、頭を撃ち抜かれたのだ。
ザ・ブライドはかつて、世界中を震撼させた暗殺集団の中にあって最強と謳われたエージェント。
5年前、彼女は自分の結婚式の真っ只中に、かつてのボス“ビル”の襲撃に遭い、愛する夫とお腹の子どもを殺された上、自らも撃たれて死の淵をさまよった。
いま、目覚めた彼女の頭の中はビルに対する激しい怒りに満たされていた。
ビルに復讐することだけが彼女の使命であり運命となった。
復讐の鬼と化したザ・ブライドは、自分の幸せを奪った者すべてを血祭りに上げるため、たったひとりで闘いの旅へと向かうのだった…。
まずはナイフの使い手であるヴァニータ・グリーンの自宅で彼女を殺す。
そして沖縄へ飛び、服部半蔵から刀を手に入れて東京へ。
青葉屋に乗り込み、暗殺集団クレイジー88を皆殺しに。
少女の殺し屋ゴーゴー夕張、さらに日本刀の名手オーレン・イシイも苦闘の末に倒す。
そして飛行機の中、ビルの名で終わる復讐リストを書き記すのだった。


寸評
冒頭に深作欣二に捧げると出るが、見終わった時にこれは伊藤俊也に捧げるか、篠原とおるに捧げるだと思った。
最後のクレジット・タイトルの部分で、梶芽衣子さんの「怨み節」がフルコーラスで流れる。それで確信してしまった。
これはビッグコミックに連載されていた篠原とおるの劇画「さそり」で、1972年に伊藤俊也監督、梶芽衣子主演で映画化された「女囚さそり」シリーズだと。
ユマ・サーマン演じる主人公はその「さそり」の主人公である松島ナミの再来だ。もっとも松島ナミはもっとクールな感じがしたけど・・・。

荒唐無稽、A級映画とB級映画というジャンル分けが正式に有るのかどうかは知らないが、有るとすれば正しくこればB級映画の傑作だ。
B級映画なのだから、どうしてここで日本語をしゃべる必要があるのかなどと、細かい事に疑問をはさんだり、変な理屈をこねて見たりしてはいけない。
しかしどこかで「それは変だ、おかしい」とケチをつける部分も持っていないといけない。その量が多過ぎてもいけないし、逆に少なすぎてもいけない。
 この映画はその辺のころあいが丁度良くて、なつかしいチャンバラとかカンフーとか西部劇のガンファイトを見るつもりで肩の力を抜くと、事実アクションシーンは本当にそれらのミックスで、そのミックスさ加減がなかなか味わいがあって面白い。
ここまで徹底的に殺戮シーンを描かれると、見ているほうはだんだんと慣れてきて快感すら感じるようになる。
 腕が叩き切られ、手首が飛ぶのはざらで、果ては首が飛び、血しぶきが吹き上がる。
最後には切られて上部が無くなった頭蓋骨から脳みそが見えていた。
なんだかグロテスクな映画だな・・・。おっと、そんなことも気にしてはいけない。B級なのだ、B級なのだ。

クエンティン・タランティーノ監督は梶芽衣子ファンなのかな?きっと彼女の「修羅雪姫」も見ていると思う。
多分、鈴木清順や山下耕作あたりのプログラム・ピクチャもたくさん見ているのではないか。大立ち回りのシーンのセットや、ライティングの感じなんかは以前に何回か見たような気がした。
 70年代の歌がカバーバージョンとして今の歌い手さんでヒットしてたり、その頃の歌をバックにCMが作られていたりしているのと同じ線上で、リメイクというか悪く言えばパクリをやって楽しい作品作りをしているように思えた。
実は、それはそれでより一層の面白さを感じる事が出来るのがB級映画の面白いところで、まさにそれがB級映画の一番の醍醐味だと思う。

映画館を出たら「花よ 綺麗とおだてられ 咲いてみせれば すぐ散らされる 馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な女の 怨み節」と無意識のうちに“怨み節”の口笛を吹いていた。
この「怨み節」、劇場版では「月に一度は血を流しゃ」ときわどい歌詞があったのですがレコードになった時には割愛されていた。
実のところ僕は梶芽衣子さんのファンだったのです。