おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

クライマーズ・ハイ

2019-04-30 07:51:19 | 映画
「クライマーズ・ハイ」 2008年 日本


監督 原田眞人
出演 堤真一 堺雅人 尾野真千子 高嶋政宏
   山崎努 遠藤憲一 田口トモロヲ
   堀部圭亮 マギー 滝藤賢一 皆川猿時
   でんでん 中村育二 螢雪次朗 野波麻帆
   西田尚美 小澤征悦

ストーリー
1985年8月12日、群馬県御巣鷹山で死者520人という世界最大の航空機事故が起こった。
地元の地方紙「北関東新聞」の遊軍記者である悠木(堤真一)は、社長の白河(山崎努)から事故の全権デスクを任される。
そんな悠木の母は白河のかつての愛人であり、その縁故で入社したという関係に二人はあった。
県警キャップの佐山(堺雅人)らは現地へと飛ぶが、白河がすべての権限を握る社内には複雑な人間関係が渦巻き、編集局と販売局の対立もあって、佐山の現場レポートは握りつぶされてしまった。
熱くなった悠木は、この状況が興奮状態が極限まで達した時こそが、最もミスを犯しやすい登山における「クライマーズ・ハイ」に近いと感じる。
そして、それを悠木に諭してくれた登山仲間であり親友の安西(高嶋政宏)がクモ膜下出血で倒れた。
一方、編集局部長である等々力(遠藤憲一)と悠木の対立も、日に日に深まっていく。
女性記者の玉置(尾野真千子)は、墜落の原因に関するスクープのネタを得る。
そんな玉置に佐山をつけて、確実なウラを取るよう悠木は命じたが完璧なウラは取れなかった。
悠木がその掲載を見送ると、翌日、別の新聞がその特ダネを抜いた。
退社を決意した悠木は、白河の罵声を浴びながら社を去る。
それから22年、安西の息子である燐太郎(小澤征悦)とクライミングに挑んだ悠木は、そこで離別した息子の話を聞く。
悠木は、息子が暮らすニュージーランドを訪れるが、そこには成長した息子の姿があった。


寸評

飛行機事故といえば、1985年8月12日羽田発伊丹行きのジャンボ機が御巣鷹山に墜落した史上最大の航空機事故を思い出す。
日航の腐敗を描いた小説に山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」があり、その中でも御巣鷹山の惨事が描かれていて、日航の対応のまずさが指摘されている。
しかし、この映画はその裏にあった日航の腐敗ぶりを描いたものではない。
あくまでもその事故を全国紙よりも詳しく報道しようとした地元紙の記者達の物語である。

新聞社の裏側を描いた作品としては「社葬」などが記憶にあるが、この作品も我々が知らない新聞社の内部事情を描いて面白かった。
前述の「社葬」が、社葬という会社行事を背景にした後継者争いの中のサラリーマン物語であったのと同様に、こちらも日航機事故を題材にして、会社と言う組織の中にいる個人の立場と人間関係を描いたサラリーマン物語だった。
特に多くの記者が所属する社会部が属する編集局と、新聞社の事業を支える収益部門である広告局や販売局のぶつかり合いが興味深い。
販売局も広告局も登場する局長はまるでヤクザかと思わせるような人物で、誇張して描いているだろうことを想像するのだが、それでもリアリティを感じさせた。
記事あっての新聞だとの自負を持つ記者たちと、誰がお前たちにメシを食わせてやっているんだという自負を持つ収益部門の者たち言い分は、会社なら必ずあるセクションの言い分の違いで面白かった。
この作品では、平時にはピラミッド型に保たれている組織と人間関係が、とてつもない異常事態が起きると、安定していたと思われたピラミッドが崩れ落ちることだってあるのだと語っているようでもあった。

全体としては多くの登場人物がいたために、それらの人間関係や人物像が散漫になってしまっていたことは否めなかった。
それぞれの人物には血が通った個性が描き出されていたと思うが、彼等の背景にあるものへの切込みが少しばかり希薄だったように感じたのだが・・・。
ワンマン社長の白河はともかくとして、連合赤軍事件をものした螢雪次朗が演じた追村の、前半はリードしたが後半は全国紙にやられた屈辱感が今にどう影響しているのか。
また悠木との確執がある遠藤憲一演じる等々力の悠木に対する確執原因も稀薄だったような気がする。
安西が尻拭いをさせられていたセクハラ事件の当事者の野波麻帆演じる黒田美波が受けたセクハラのひどさも伝わってこなかった。
ただ主人公は悠木であり、社会部県警キャップの堺雅人が演じた佐山であり、スクープに燃えるキーパソンの野波の玉置千鶴子だったはずで、かれらは頑張っていたと思う。
スクープへの執念と、挫折の象徴として描かれた神沢の悲惨な運命は痛々しい。

原田監督の演出は「突入せよ!あさま山荘事件」と同様で、世間を騒がせた大事件の裏側の知られざる世界の描き方は職人的なところがあって、随分とのめり込まさせて頂いた。