「苦役列車」 2012年 日本
監督 山下敦弘
出演 森山未來 高良健吾 前田敦子
マキタスポーツ 田口トモロヲ
高橋努 中村朝佳 伊藤麻実子
ストーリー
1986年。中学校を卒業して以来、孤独な日々を過ごしていた19歳の北町貫多(森山未來)。
中学校を卒業した彼は、港湾での荷役労働に従事することで一人暮らしをしている。
日当の5500円は即座に酒代とソープランド代に消えていく。
将来のために貯金するでもなく、月の家賃のため金を取り置くわけでもなく、部屋の追い立てを食らうことも一度や二度ではない。
稼いだ金もあっという間に酒と風俗に費やすような自堕落の日々を送っている。
ある日、職場に専門学校生の日下部正二(高良健吾)が入ってくる。
スポーツで鍛えた肉体と人懐っこい笑顔を持つ日下部に、貫多は好意を抱き始める。
一緒に過ごすうちに、貫多にとって日下部は初めて友達といえるかもしれない存在になる。
そんな中、古本屋に立ち寄った貫多は店番をしていた桜井康子(前田敦子)に一目惚れをする。
やがて貫多は日下部に協力してもらい、秘かに想いを寄せる康子とも友達になることに成功、思いがけず人並みの青春を謳歌し始める。
しかし友達という存在に慣れていない不器用で屈折した貫多の態度により、3人の間に亀裂が生じる……。
寸評
主人公の北町貫多は自堕落を絵に描いたような生活を送っている。
中卒で日雇い労働者をやっているが、家賃を滞納して稼いだ金は酒と風俗につぎ込む日々を過ごしているダメ男だ。
自分を卑下する一方で、そのくせ職場の同僚を馬鹿にしまくる最低な性格の持ち主でもある。
負け組を代表するような存在で、何なんだこの男はと思わせるのだが、ところが映画とは不思議なもので時間がたつにつれて次第に魅力ある人物に見えてくるのだ。
その原因は、彼はデタラメな生活を過ぎしているのだが、父親が性犯罪者で一家離散した暗い過去を持つ苦しみを初め、彼の苦悩や人間らしさがチラチラ垣間見えてくるからだと思う。
やがて彼が根っからのダメ人間というよりも、生きるの に不器用な人間なのだと感じさせるようになり、本人は自分に忠実に生きているのに周りと軋轢を生んでしまっているのだと見えてくる。
ダメダメ人間だけど、結構いい奴じゃないかと…。
まるっきり同化はできないけれど、でもちょっと理解することはできるかなという気持ちになってくる。
そこには多分に同情めいた気分もあって、かれとは少なからず反対側にいる自分を感じてのことでもある。
それはこの「苦役列車」という原作が内在しているテーマの一つであるのかもしれないなと思ったりした。
職場で初めてできた友達との交友や、その友人である日下部の手引きで親しくなった古本屋でバイトする女性との楽しい時間は、まさに彼らの年齢時にはだれもが経験したであろう青春映画そのものだ。
三人が海辺で戯れるシーンは原作にないらしいが(僕は原作を読んでいない)、ずっと路地裏を歩んできた北町貫多への救いのシーンだったような気がする。
そんなシーンを描いたのは山下監督の優しさなのかもしれない。
現実社会では負け組にはそのようなオアシスをも提供しないほどの格差を生んでいるのかもしれない。
やがて貫多にもそんな厳しさが迫ってくる。
彼の不器用ともいえる生き方によって、せっかくできた友達や女友達との関係もうまくいかなくなってくるのだ。
ラストに近づくにしたがって、再び彼の行き場のないドン詰りの生活がやってくる。
3年後、やっぱりこいつは抜け出れないんだと思わせる。
ここで終わったら、なんだダメ人間はいつまでたってもダメ人間なんだとでも言いたいのかとなってしまうのだが、さすがに映画はそれでは終わらない。
ラストで必死に原稿用紙に向かう貫多の姿が、未来へのかすかな希望を感じさせるのだ。
それでこそ映画だ!
ヘタをすれば只のイヤな奴にしか見えない男に息吹を吹き込んだ森山未來の演技が見事であった。
前田敦子はアイドル出身者らしくなくていい。
監督 山下敦弘
出演 森山未來 高良健吾 前田敦子
マキタスポーツ 田口トモロヲ
高橋努 中村朝佳 伊藤麻実子
ストーリー
1986年。中学校を卒業して以来、孤独な日々を過ごしていた19歳の北町貫多(森山未來)。
中学校を卒業した彼は、港湾での荷役労働に従事することで一人暮らしをしている。
日当の5500円は即座に酒代とソープランド代に消えていく。
将来のために貯金するでもなく、月の家賃のため金を取り置くわけでもなく、部屋の追い立てを食らうことも一度や二度ではない。
稼いだ金もあっという間に酒と風俗に費やすような自堕落の日々を送っている。
ある日、職場に専門学校生の日下部正二(高良健吾)が入ってくる。
スポーツで鍛えた肉体と人懐っこい笑顔を持つ日下部に、貫多は好意を抱き始める。
一緒に過ごすうちに、貫多にとって日下部は初めて友達といえるかもしれない存在になる。
そんな中、古本屋に立ち寄った貫多は店番をしていた桜井康子(前田敦子)に一目惚れをする。
やがて貫多は日下部に協力してもらい、秘かに想いを寄せる康子とも友達になることに成功、思いがけず人並みの青春を謳歌し始める。
しかし友達という存在に慣れていない不器用で屈折した貫多の態度により、3人の間に亀裂が生じる……。
寸評
主人公の北町貫多は自堕落を絵に描いたような生活を送っている。
中卒で日雇い労働者をやっているが、家賃を滞納して稼いだ金は酒と風俗につぎ込む日々を過ごしているダメ男だ。
自分を卑下する一方で、そのくせ職場の同僚を馬鹿にしまくる最低な性格の持ち主でもある。
負け組を代表するような存在で、何なんだこの男はと思わせるのだが、ところが映画とは不思議なもので時間がたつにつれて次第に魅力ある人物に見えてくるのだ。
その原因は、彼はデタラメな生活を過ぎしているのだが、父親が性犯罪者で一家離散した暗い過去を持つ苦しみを初め、彼の苦悩や人間らしさがチラチラ垣間見えてくるからだと思う。
やがて彼が根っからのダメ人間というよりも、生きるの に不器用な人間なのだと感じさせるようになり、本人は自分に忠実に生きているのに周りと軋轢を生んでしまっているのだと見えてくる。
ダメダメ人間だけど、結構いい奴じゃないかと…。
まるっきり同化はできないけれど、でもちょっと理解することはできるかなという気持ちになってくる。
そこには多分に同情めいた気分もあって、かれとは少なからず反対側にいる自分を感じてのことでもある。
それはこの「苦役列車」という原作が内在しているテーマの一つであるのかもしれないなと思ったりした。
職場で初めてできた友達との交友や、その友人である日下部の手引きで親しくなった古本屋でバイトする女性との楽しい時間は、まさに彼らの年齢時にはだれもが経験したであろう青春映画そのものだ。
三人が海辺で戯れるシーンは原作にないらしいが(僕は原作を読んでいない)、ずっと路地裏を歩んできた北町貫多への救いのシーンだったような気がする。
そんなシーンを描いたのは山下監督の優しさなのかもしれない。
現実社会では負け組にはそのようなオアシスをも提供しないほどの格差を生んでいるのかもしれない。
やがて貫多にもそんな厳しさが迫ってくる。
彼の不器用ともいえる生き方によって、せっかくできた友達や女友達との関係もうまくいかなくなってくるのだ。
ラストに近づくにしたがって、再び彼の行き場のないドン詰りの生活がやってくる。
3年後、やっぱりこいつは抜け出れないんだと思わせる。
ここで終わったら、なんだダメ人間はいつまでたってもダメ人間なんだとでも言いたいのかとなってしまうのだが、さすがに映画はそれでは終わらない。
ラストで必死に原稿用紙に向かう貫多の姿が、未来へのかすかな希望を感じさせるのだ。
それでこそ映画だ!
ヘタをすれば只のイヤな奴にしか見えない男に息吹を吹き込んだ森山未來の演技が見事であった。
前田敦子はアイドル出身者らしくなくていい。