「キューポラのある街」 1962年 日本
監督 浦山桐郎
出演 東野英治郎 杉山徳子 吉永小百合 市川好郎
鈴木光子 森坂秀樹 浜村純 菅井きん
浜田光夫 北林谷栄 殿山泰司 加藤武
岡田可愛 小林昭二 小沢昭一 吉行和子
ストーリー
鋳物の町として銑鉄溶解炉キューポラやこしきが林立する埼玉県川口市は鋳物職人の町である。
石黒辰五郎も、昔怪我をした足をひきずりながらも、職人気質一途にこしきを守って来た炭たきである。
この辰五郎のつとめている松永工場は今年二十歳の塚本克巳を除いては中老の職工ばかりで、工場が丸三という大工場に買収されるためクビになった辰五郎ほかの職工は翌日から路頭に迷うより仕方なかった。
辰五郎の家は妻トミ、長女ジュン、長男タカユキ、次男テツハルの五人家族で路地裏の長屋に住んでいた。
辰五郎がクビになった夜、トミはとある小病院の一室で男児を生んだが辰五郎はやけ酒を飲み歩いて病院へは顔も出ず、その後、退職の涙金も出ず辰五郎の家は苦しくなった。
ささいなことでタカユキが家をとびだすような大さわぎがおこり、タカユキはサンキチのところへ逃げ込んだ。
サンキチの父親が朝鮮人だというので辰五郎はタカユキがサンキチとつきあうのを喜ばなかったし、克巳が退職金のことでかけあって来ると、「職人がアカの世話になっちゃあ」といって皆を唖然とさせた。
ある日、タカユキが鳩のヒナのことで開田組のチンピラにインネンをつけられたことを知ったジュンは、敢然とチンピラの本拠へ乗り込んでタカユキを救った。
貧しいながらこの姉弟の心のなかには暖かい未来の灯があかあかとともっていた。
やっとジュンの親友ノブコの父の会社に仕事がみつかった辰五郎だったが、新しい技術についてゆけずやめてしまいジュンを悲しませた。
街をさまよったジュンは、母のトミが町角の飲み屋で男たちと嬌声をあげるのを見てしまった。
不良の級友リスにバーにつれていかれ睡眠薬をのまされてしまったジュンは、危機一髪のところで克巳が誘導した刑事に助けられた。
学校に行かなくなったジュンを野田先生の温情がつれもどし、克巳の会社が大拡張され、克巳の世話で辰五郎もその工場に行くこととなり、ジュンも昼間働きながら夜間高校に行くようになった。
寸評
浦山桐郎監督のデビュー作でもあるが、初々しい吉永小百合がまぶしい作品だ。
僕が子供の頃、吉永小百合はラジオドラマの「赤胴鈴之助」で主演の鈴之助の声優をやっていたが、声優が誰かには興味がなく、それが吉永小百合だったという記憶はない。
やがて映画デビューを果たすが脇役的な娘役ばかりで、本作で初めて主演女優としての開花を見せた。
その後にも数えきれない作品に主演した吉永小百合だが、僕はやはり本作での吉永小百合が一番だ。
17歳だった吉永小百合が中学生を演じているが等身大で共感できる。
当時の日活ではカップルで売り出していた作品が多く、石原裕次郎には北原三枝、小林旭には浅丘ルリ子、そして吉永小百合には浜田光夫だった。
北原三枝の引退があって、石原裕次郎の相手役は浅丘ルリ子に代わったり、小林旭には松原智恵子が加わったりしたが、吉永小百合の相手役はずっと浜田光夫だったような印象がある。
子供たちはたくましい。
僕の育った村は農村地区で、さすがにこの作品のような雰囲気ではなかったが、それでも周りにはタカユキやサンキチのような子供はいたし、石黒家のような家庭は存在していた。
新聞配達や牛乳配達をしている少年に違和感がなかった時代である。
今見ると僕のような年代の者には、冒頭のテレビ中継で大鵬、柏戸の大相撲が写っているのが懐かしいし、タカユキが名物プロ野球解説者だった小西得郎の物まねを度々やっているのも面白く見ることが出来る。
石黒家は貧しい職人の家庭である。
父親はぐうたらで、タカユキは不良まがいの少年だが、次男のテツハルや在日朝鮮人であるサンキチからは親方と呼ばれて慕われている。
だらしない父親に代わって弟をしつけているのはしっかり者のジュンで、中学生にしてはすごく大人びている。
貧困と差別が混在している社会が描かれているのだが、それにもかかわらず中身は明るい。
演じたジュンの吉永小百合、タカユキの市川好郎によるバイタリティあふれる姿がそう思わせたのだろう。
どん底生活のようにも見えるが希望が見える。
それは父辰五郎の現場復帰であり、ジュンの定時制高校への進学であり、サンキチを見送ったあと駆け出していくジュンとタカユキの姿で、清々しいものを感じさせる。
特筆すべきは在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動を肯定的に描いていることだ。
北朝鮮こそがユートピアだと信じて帰国していった人々が多いと聞くが、はたして当時帰国した人々の幸せはどうだったのかと思わせる昨今の北朝鮮である。
サンキチは再婚してしまった母に会えず、父と姉が待つ北朝鮮に帰っていく。
見送るジュンたちとお互いに「頑張れよ」と声を掛け合うが、はたしてサンキチに幸せは訪れたのだろうか。
日本は高度経済成長を見せ、石黒家に起きたようなことは少なくなったのだろうが、反面弱くなってしまった若者や子供たちを感じ、貧困は人間を強くするのかもしれないなと思ってしまう。
差別は問題だが、帰国を美化する描き方は現在にはなじまない。
それがなければこの映画の存在はないのだが、なければ僕の評価はもっと上がっていただろう。
監督 浦山桐郎
出演 東野英治郎 杉山徳子 吉永小百合 市川好郎
鈴木光子 森坂秀樹 浜村純 菅井きん
浜田光夫 北林谷栄 殿山泰司 加藤武
岡田可愛 小林昭二 小沢昭一 吉行和子
ストーリー
鋳物の町として銑鉄溶解炉キューポラやこしきが林立する埼玉県川口市は鋳物職人の町である。
石黒辰五郎も、昔怪我をした足をひきずりながらも、職人気質一途にこしきを守って来た炭たきである。
この辰五郎のつとめている松永工場は今年二十歳の塚本克巳を除いては中老の職工ばかりで、工場が丸三という大工場に買収されるためクビになった辰五郎ほかの職工は翌日から路頭に迷うより仕方なかった。
辰五郎の家は妻トミ、長女ジュン、長男タカユキ、次男テツハルの五人家族で路地裏の長屋に住んでいた。
辰五郎がクビになった夜、トミはとある小病院の一室で男児を生んだが辰五郎はやけ酒を飲み歩いて病院へは顔も出ず、その後、退職の涙金も出ず辰五郎の家は苦しくなった。
ささいなことでタカユキが家をとびだすような大さわぎがおこり、タカユキはサンキチのところへ逃げ込んだ。
サンキチの父親が朝鮮人だというので辰五郎はタカユキがサンキチとつきあうのを喜ばなかったし、克巳が退職金のことでかけあって来ると、「職人がアカの世話になっちゃあ」といって皆を唖然とさせた。
ある日、タカユキが鳩のヒナのことで開田組のチンピラにインネンをつけられたことを知ったジュンは、敢然とチンピラの本拠へ乗り込んでタカユキを救った。
貧しいながらこの姉弟の心のなかには暖かい未来の灯があかあかとともっていた。
やっとジュンの親友ノブコの父の会社に仕事がみつかった辰五郎だったが、新しい技術についてゆけずやめてしまいジュンを悲しませた。
街をさまよったジュンは、母のトミが町角の飲み屋で男たちと嬌声をあげるのを見てしまった。
不良の級友リスにバーにつれていかれ睡眠薬をのまされてしまったジュンは、危機一髪のところで克巳が誘導した刑事に助けられた。
学校に行かなくなったジュンを野田先生の温情がつれもどし、克巳の会社が大拡張され、克巳の世話で辰五郎もその工場に行くこととなり、ジュンも昼間働きながら夜間高校に行くようになった。
寸評
浦山桐郎監督のデビュー作でもあるが、初々しい吉永小百合がまぶしい作品だ。
僕が子供の頃、吉永小百合はラジオドラマの「赤胴鈴之助」で主演の鈴之助の声優をやっていたが、声優が誰かには興味がなく、それが吉永小百合だったという記憶はない。
やがて映画デビューを果たすが脇役的な娘役ばかりで、本作で初めて主演女優としての開花を見せた。
その後にも数えきれない作品に主演した吉永小百合だが、僕はやはり本作での吉永小百合が一番だ。
17歳だった吉永小百合が中学生を演じているが等身大で共感できる。
当時の日活ではカップルで売り出していた作品が多く、石原裕次郎には北原三枝、小林旭には浅丘ルリ子、そして吉永小百合には浜田光夫だった。
北原三枝の引退があって、石原裕次郎の相手役は浅丘ルリ子に代わったり、小林旭には松原智恵子が加わったりしたが、吉永小百合の相手役はずっと浜田光夫だったような印象がある。
子供たちはたくましい。
僕の育った村は農村地区で、さすがにこの作品のような雰囲気ではなかったが、それでも周りにはタカユキやサンキチのような子供はいたし、石黒家のような家庭は存在していた。
新聞配達や牛乳配達をしている少年に違和感がなかった時代である。
今見ると僕のような年代の者には、冒頭のテレビ中継で大鵬、柏戸の大相撲が写っているのが懐かしいし、タカユキが名物プロ野球解説者だった小西得郎の物まねを度々やっているのも面白く見ることが出来る。
石黒家は貧しい職人の家庭である。
父親はぐうたらで、タカユキは不良まがいの少年だが、次男のテツハルや在日朝鮮人であるサンキチからは親方と呼ばれて慕われている。
だらしない父親に代わって弟をしつけているのはしっかり者のジュンで、中学生にしてはすごく大人びている。
貧困と差別が混在している社会が描かれているのだが、それにもかかわらず中身は明るい。
演じたジュンの吉永小百合、タカユキの市川好郎によるバイタリティあふれる姿がそう思わせたのだろう。
どん底生活のようにも見えるが希望が見える。
それは父辰五郎の現場復帰であり、ジュンの定時制高校への進学であり、サンキチを見送ったあと駆け出していくジュンとタカユキの姿で、清々しいものを感じさせる。
特筆すべきは在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動を肯定的に描いていることだ。
北朝鮮こそがユートピアだと信じて帰国していった人々が多いと聞くが、はたして当時帰国した人々の幸せはどうだったのかと思わせる昨今の北朝鮮である。
サンキチは再婚してしまった母に会えず、父と姉が待つ北朝鮮に帰っていく。
見送るジュンたちとお互いに「頑張れよ」と声を掛け合うが、はたしてサンキチに幸せは訪れたのだろうか。
日本は高度経済成長を見せ、石黒家に起きたようなことは少なくなったのだろうが、反面弱くなってしまった若者や子供たちを感じ、貧困は人間を強くするのかもしれないなと思ってしまう。
差別は問題だが、帰国を美化する描き方は現在にはなじまない。
それがなければこの映画の存在はないのだが、なければ僕の評価はもっと上がっていただろう。