ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

忖度を考える

2017-03-27 15:53:01 | 日記
忖度(そんたく)。この言葉の意味を電子辞書で調べると、「他人の心
中をおしはかること」とある。今、この言葉が日本国民の関心の的に
なっている。森友学園問題で、(不当廉売の疑いがある)国有地の売買
に関わった官庁側に、「忖度」が働いたのかどうか。その「忖度」の有
無の問題が国会審議のメインテーマになっている。こんなことを審議す
ることにいったい何の意味があるのか。どうにも腑に落ちない思いがす
る。

今は昔、煙草を口にくわえて、部下の前に差し出す癖(へき)のあるオ
ジサンがいた。名前をDとしよう。Dは、上司が煙草を口にくわえて目
の前に差し出すと、キャバレーのホステスよろしく、さっとライターを
取り出して、その煙草に火を点けるような男だった。ある程度の地位に
たどり着いた今、今度は自分がその上司の役を演じてみたくなり、かつ
ての自分の(ゴマすり男の)代役をつとめてくれる部下を物色中だった
のである。

上司が煙草を差し出すと、差し出された部下は、「ああ、この人は煙草
に火を点けてもらいたいのだな」と、上司の心中をおしはかる。彼は上
司の思いに応えようとして、上司の煙草に火を点ける。

たしかに、ここには「忖度」が働いている。「忖度」を働かせたのは、
紛れもなく部下の側である。

この例が森友学園問題を考える例として適切でないとすれば、それは、
「煙草に火を点ける」という行為が、なんら非難されるべき行為ではな
いからだろう。「煙草に火を点ける」という行為に、「喫煙が法的に禁
止された禁煙ゾーンで」という限定を加えれば、この例は多少とも森友
学園のケースに似つかわしいものになるかも知れない。

さてこの場合、何が問題なのか。「禁煙ゾーンでタバコに火を点ける」
という行為は、いうまでもなく問題のある行為である。非難されるべき
この行為の責任は、では、一体だれに帰すべきなのか。上司は言うだろ
う。「私は悪くない。私は煙草を差し出しただけで、それに火を点けろ
とは命じていない。口が寂しかったから、煙草を口にくわえただけだ。
禁煙ゾーンだったので、そのままそれをポケットに戻すつもりだったの
だ」。
この場合、非は明らかに「忖度」を働かせて、煙草に火を点けた部下の
側にある。上司の側に非はない。

それと同じことではないか。森友学園のケースでも、「忖度」が働いた
とすれば、その非は上司(安倍首相をはじめとする政治家)の側にはな
く、非はあくまでも部下(官庁職員)の側にある。安倍政権を攻撃する
目的で「忖度」の有無を追及するのなら、野党側の姿勢は完全にお門違
いだと言わなければならない。国会審議一つをとっても、この体たらく
である。残念なことだが、このところの野党の劣化には激しいものがあ
る。

ところで、キャバレーのホステスもどきのゴマすり点火男だったD氏と
はだれか。キャバレー通いの部長さんも呆れるタバコ差し出し男のD氏
とは、一体だれなのか。彼の名誉を傷つけたくないから、――彼を「侮
辱」したくないから、氏名を公表するのは控えておこう。

昔々、レンズ磨きをしながら超俗的な生活を送り、超俗的な哲学体系を
構築したことで知られる西洋の哲学者がいる。D氏は、この17世紀の哲
学者を専門に研究する哲学学者だった。レンズを磨くように、コツコツ
と研鑽を重ねた彼の業績は、アカデミズムではそれなりの評価を得たが、
彼はのちに小さな私立大学で起きた、陰謀がらみの学長追い落とし事件
に関わり、後任の学長の座に就いたらしい。ずいぶん前に死亡したよう
だが、葬儀には後輩の研究者の姿も、同僚の姿もまったく見られなかっ
たと聞いている。

夏草や 忖度物乞い 夢の跡 南無阿弥陀仏
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