ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

若者はすぐ辞める

2024-08-10 11:26:22 | 日記
プルーストの小説『失われた時を求めて』の主人公は、マドレーヌを紅茶に浸した時、その香りで幼少時代を思い出す。けさ私はスマホで新聞記事を読んで青年時代を思い出した。

「石の上にも三年」と言うけれど 「すぐ辞める若者」昔と何が違う?

きょう(8月10日)の朝日新聞に、上のような見出しの記事がのっていた。

最近は「今の若者は就職後すぐ辞める」とよく言われるが、今も昔もそれほど変わらない。最近は若年労働者が減り、雇用する側に「辞められては困る」という意識が強まっていること、また、若者がハラスメントなどへの人権意識を持つようになったことなどが、「すぐ辞める若者の増加」なる言説の背景にあるのだろう、という分析だった。
今も昔もとかく若者は仕事をすぐに辞めたがる。だから「石の上にも三年」(「どんな仕事もとりあえず3年は続けるべきだ」)という格言が生まれたのではないか。そんな話だった。

この記事を読んで、私が青年時代を思い出したのには、理由(わけ)がある。若い頃の私も「すぐ辞める若者」の一人だった。今から半世紀ほども昔のことである。大学を1年遅れで卒業した私は、地元I県の県庁に就職した。

その頃、私は五木寛之のような小説家になりたいと考えていた。とりあえず就職をと考えたのは、自分に小説家の才能がないと薄々判っていたからだろう。県庁を選んだのは、お役人なら一般の大企業のようにモーレツ・バリバリ働かなくて済むだろうと踏んでのことだった。

私は福祉関係の仕事を希望した。希望通り、片田舎の福祉事務所勤務を命じられたが、もとよりグータラの私にあまりやる気はなく、上司から文句を言われない程度にそつなく仕事(福祉家庭の巡回)をこなしていた。にもかかわらず、やる気のなさを見抜かれたのか、私は事務所の所長から毎週のように呼び出され、「君は覇気がない!」と怒鳴られ続けた。4月に就職して、5ヶ月後の8月一杯で私は福祉事務所を辞めた。

県庁を辞めたからといって、本来の希望である作家修行に精を出すわけもなく、当然、小説家の芽が出るわけはなかった。
それから私は、仕方がなく付近の大学の大学院に入り込み、「でもしか先生」をめざす方向に舵を切った。そのあたりのことは以前、本ブログに書いた(気がする)ので、今はこれを省略し、若造の私が福祉事務所を「すぐに辞めた」話に的を絞ることにしよう。

この話にはオチがある。私が大学をリタイアしてリハビリのデイサに通いはじめた60歳の頃、私はスタッフの若い女の子に、自分が若い頃ケースワーカーの仕事を「すぐに辞めた」話をした。
毎週のように福祉事務所の所長に呼び出され、「君は覇気がない!」と怒鳴られ続けた話をしたら、その女の子は「そんなの、パワハラじゃん!」と答えたのである。
そうか!あれはパワハラだったのだ、と私は了解した。私は、自分がなぜ福祉事務所を「すぐに辞めた」のか、それまで深い理由を考えずに来たが、デイサの女の子の言葉を聞いて、そうか、自分はパワハラに抗議して辞めたのだ、と妙に納得したのである。私は50年も昔に、今時の若者の先端を行っていたことになる。なんちゃって。

コメント
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