ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

ある夏の記憶に(再掲)

2024-08-13 09:52:28 | 日記
あれからそんなに経ったのか・・・。NHKの「ニュース7」を聞きながら、私は妙な感慨にとらわれた。

520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から、8月12日で39年です。墜落現場の群馬県上野村では、遺族や関係者が慰霊の登山を行いました。午後6時からはふもとで、遺族などが参列して追悼慰霊式が行われました。
(NHK NEWS WEB 8月12日配信)

あれからもう39年ーー。当時、私は35歳で、大学の助手をしていた。今では「助教」というらしいが、大学という閉鎖社会の最下層の地位で、きわめて不安定な身分だった。大学助手として暮らす鬱屈した日々の中で、突如ふってわいたその日のことは強く印象に残っている。よく憶えている、というのではない。強く印象に残っているのに、その日の記憶は茫として半ば以上、忘却の闇に沈みつつあるのだ。

う〜む。あれはいつのことだったかな。たしかあの日のことをブログに書いたことがあったはずだ。「あの日」の記憶を呼び起こそうと、私は自分が書いたブログの過去ログを探しはじめた。

以下が、やっと見つけた過去ログである。2020年8月20日に書いたものだ。4年前にははっきり思い起こせた記憶が、今はもうよみがえらない。記憶がどんどん剥げ落ちていく。それもきっと老化のなせる業なのだろう。侘しさをかみしめ、失われつつある記憶を懐かしみながら、その過去ログを以下に再掲する。

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夏が来ると思い出す。お盆が来ると思い出す・・・はずだった。このところすっかりそのことを忘れていたのは、ここ数年来、お盆になると孫たちがわが家に帰省してきたからである。孫たちが来ると、わが家はとたんにさんざめき、とてもニュースなど見ていられる雰囲気ではなくなる。

今年のお盆にそのニュースを聞くことができたのは、コロナ禍の影響で娘と孫たちの一家4人がわが家に帰省しなかったからである。

昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。
事故から35年の12日、村では墜落現場の『御巣鷹の尾根』を目指す遺族などが慰霊の登山に訪れましたが、ことしは新型コロナウイルスの影響で日程が5日間に分散されるなどしたため、12日に登山に訪れた人は50家族141人と、これまでで最も少なくなりました。

(NHK NEWS WEB 2020年8月12日配信)

そうか、あれからもう35年が経ったのかーー。その日のことはよく憶えている。私はテレビのニュースでその墜落事故のことを知り、画面に延々と流される犠牲者の名前を、帰省の準備をしながらぼんやりと眺めていた。そして、そこに見つけたのである。私の上司だったN教授の名前を。

N教授の姓はかなり独特な名前だった。Hというファースト・ネームもあまり見かけない名前だったから、N・Hという組み合わせの同一人物がいるとは考えられなかった。私は当然のように、あのN教授が死亡したと思ったのである。

親しかった同僚と電話で雑談した折、「いや、あれはNさんじゃないよ。俺はきょう、あの人と顔を合わせたから、よくわかる。あの人はまだ生きているよ」。

生か死か、どちらかはっきり分からないまま、私はちょっぴり開放感をおぼえていた。開放感をおぼえながら、「自分はなんて恩知らずなんだ」と疚しく思ったことも事実である。N教授は(当時珍しかった)哲学専門の商業雑誌に、助手だった私の論文を掲載するよう仲介の労をとるなど、いろいろな場面で私を引き立ててくれたのだ。その点での恩は計り知れないが、ただ、その代わりにN教授が私に対して要求する見返りも並大抵ではなく、そのプレッシャーに助手の私は圧しつぶされそうになっていた。N教授の死亡の可能性に直面して、不覚にも私がおぼえた開放感は、たぶんそのあたりから来ている。

結果はといえば、死亡したN・H氏はN教授ではなく、同姓同名の他の人物だった。この人は阪神タイガースの社長をつとめていた。

数日後、職場で教授と顔を合わせたとき、教授が開口一番、「きみはぼくが死んだと思って、喜んでいたのだろう」と言って大笑いしたことを、ついきのうのことのように思い出す。

そのN教授も今はいない。彼はあれから12年間生き、1997年に胃がんで75歳で亡くなった。事故当時35歳だった私も、今は70歳になった。

あらたな出会いがあらたな出来事をうみだし、あらたに記憶を更新する。今年はコロナ禍の影響で孫たちが来ず、私の記憶は更新されなかった。代わりに思わぬ記憶がよみがえり、妙な形の「更新」となった。外はきびしい猛暑。甲子園での熱戦もない。稀に見る奇妙な夏の一コマである。
(2020/8/20《ある夏の記憶に》)


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