訪米した中国の習近平国家主席を出迎えるバイデン米大統領。テレビの画面に映し出されたその笑顔を見て、私は、先のブログで自分が次のように書いたことを思い出した。
「ヤクザの大親分ではないが、アメリカは善良な市民の顔をして、敵国(中国)との協調路線に舵を切りはじめた。」
(11月14日《キシダ内閣の路線転換 もはやチンピラではなく》)
そう、習近平国家主席を出迎えたバイデン米大統領の笑顔は、さながらヤクザの大親分のようだった。この日に行われた米中首脳会談は、「米組」と「中国組」という二つの大組織の、和解の手打ち式だったといってよい。
これもすでに書いたことだが、バイデン親分は鷹揚に構えて、恐喝や小競り合いは手下のチンピラにまかせる。手下のチンピラの一人が悲しいかな、我が日本であり、そのような存在として、我が日本は対中包囲網の一翼を担わされている。
「中国組」という組織はどうか。この組織のトップである習近平親分はどうなのか。
習近平親分は、まだ「大親分」にはなりきれず、恐喝や他の組とのいざこざまで自ら仕切りたがるようだ。こんなニュースを聞いた。
「オーストラリア国防省は、海軍のフリゲート艦に中国の駆逐艦が強力な音波を発し、潜水作業をしていた兵士がけがをしたとして、『危険な行為だ』などと抗議する声明を出しました。
(中略)
今月初めには、オーストラリアのアルバニージー首相が首相としては7年ぶりに中国を訪れて、習近平国家主席と会談を行ったばかりで、友好ムードに水を差す形になりそうです。」
(NHK NEWS WEB 11月18日配信)
こういうニュースを聞くと、「中国組」という組織は一匹のハリネズミか、若い暴走族のアンチャンを思わせる。「米組」の大親分からすれば、威勢のいい暴走族のアンチャンが相手では、暴走を押さえつける「包囲網」がまだまだ必要だ、という認識になるのだろう。我が日本はまだまだ「お役御免」になりそうにない。
まあ、まだ若い「中国組」、老獪な「米組」と肩を並べるには、もう一皮も二皮も剥ける必要がありそうだ。
「ヤクザの大親分ではないが、アメリカは善良な市民の顔をして、敵国(中国)との協調路線に舵を切りはじめた。」
(11月14日《キシダ内閣の路線転換 もはやチンピラではなく》)
そう、習近平国家主席を出迎えたバイデン米大統領の笑顔は、さながらヤクザの大親分のようだった。この日に行われた米中首脳会談は、「米組」と「中国組」という二つの大組織の、和解の手打ち式だったといってよい。
これもすでに書いたことだが、バイデン親分は鷹揚に構えて、恐喝や小競り合いは手下のチンピラにまかせる。手下のチンピラの一人が悲しいかな、我が日本であり、そのような存在として、我が日本は対中包囲網の一翼を担わされている。
「中国組」という組織はどうか。この組織のトップである習近平親分はどうなのか。
習近平親分は、まだ「大親分」にはなりきれず、恐喝や他の組とのいざこざまで自ら仕切りたがるようだ。こんなニュースを聞いた。
「オーストラリア国防省は、海軍のフリゲート艦に中国の駆逐艦が強力な音波を発し、潜水作業をしていた兵士がけがをしたとして、『危険な行為だ』などと抗議する声明を出しました。
(中略)
今月初めには、オーストラリアのアルバニージー首相が首相としては7年ぶりに中国を訪れて、習近平国家主席と会談を行ったばかりで、友好ムードに水を差す形になりそうです。」
(NHK NEWS WEB 11月18日配信)
こういうニュースを聞くと、「中国組」という組織は一匹のハリネズミか、若い暴走族のアンチャンを思わせる。「米組」の大親分からすれば、威勢のいい暴走族のアンチャンが相手では、暴走を押さえつける「包囲網」がまだまだ必要だ、という認識になるのだろう。我が日本はまだまだ「お役御免」になりそうにない。
まあ、まだ若い「中国組」、老獪な「米組」と肩を並べるには、もう一皮も二皮も剥ける必要がありそうだ。