若い頃、この人に出会っていたら、自分の人生は変わっていただろう。この人に出会っていなかったら、自分の人生は変わっていたに違いない。ーーそう思わせる人がいるものだ。
私の場合、それは私の出身大学のA助教授だった。私の大学では、2年次から3年次に進学する際、成績に応じて「進学振り分け」が行われる。理系で入学した私は、文系(文学部哲学科)への進学を希望したが、学業成績が悪かったので、意に染まない理系の**学科に進学せざるを得なかった。**学科は、私のような出来の悪い学生が集まる、いわば吹き溜まりのような学科だった。
私はすっかりやる気をなくして、授業もサボりがちだったが、ある日、A助教授とトイレで隣り合わせた。いわゆる「連れション」である。
A助教授が私に言った。「きみ、だいぶ腐っているみたいだけど、哲学科に行きたかったんだって?」私は「はい」と答えた。
するとA助教授はこう言ったのである。
「もしよかったら、僕が手続きをしてあげようか?哲学科に転科できるように、手続きをしてあげようか?」
私が「よろしくお願いします」と答えたのは、言うまでもない。
その後は、A助教授の尽力のお陰か、話はとんとん拍子で進み、私は無事哲学科に進学することができた。
「もしA助教授に出会っていなかったら・・・」そう思うと、今でも冷や汗が出る。私は意に染まない暗い人生を歩むことになったのではないか。
同様、「あの本に出会っていたら・・・」と思ったことがある。その本は、城山三郎の小説『官僚たちの夏』である。そう思ったのはごく最近のことで、次の新聞記事を読んだからだった。
「昨秋まで人事院で採用の広報を担当していたA氏は『官僚になる学生のタイプが明らかに変わってきた』と言う。城山三郎の小説『官僚たちの夏』は、国家像を描いて政策を動かす高度成長期の官僚の姿を活写した。『こうした『国士型』の人材は少数派となり、地道に社会の役に立ちたいと考える『優等生型』が多数派になった』とみる。」
(朝日新聞10月30日)
もし若い頃、城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んでいたら・・・。この記事を読んで、私は思ったのだった。私は官僚への道を歩んでいたかもしれない、と。
小説『官僚たちの夏』が出版されたのは1975年のことだが、その頃、私は五木寛之の小説に熱をあげていた。自分もこういう小説を書きたい、こういう作家になりたい、と思うほどだった。五木寛之が作家になるまでに辿ったマスコミの裏街道が、なにやら素晴らしいものに思え、実際私は、地元の小さな新聞社の人事担当者に会いに行ったりもしたのだった。
その人事担当者は、私が出身大学名を言うと、「ああ、ウチなんかじゃとても、とても」と取り合ってくれなかった。「官庁に行ったほうがいいんじゃないですか」とも。
たしかに、城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んでいれば、私はこういう短絡的な行動はとらず、この小説に描かれたような「国士型」の官僚をめざしていたことだろう。
もっとも、「国士型」の官僚をめざしても、「国士型」の初志を貫徹できたかどうかは分からない。案外、(霞が関の官僚にありがちなように)政治家への転身をはかり、落選続きの人生裏街道を歩いていたりして・・・。
私の場合、それは私の出身大学のA助教授だった。私の大学では、2年次から3年次に進学する際、成績に応じて「進学振り分け」が行われる。理系で入学した私は、文系(文学部哲学科)への進学を希望したが、学業成績が悪かったので、意に染まない理系の**学科に進学せざるを得なかった。**学科は、私のような出来の悪い学生が集まる、いわば吹き溜まりのような学科だった。
私はすっかりやる気をなくして、授業もサボりがちだったが、ある日、A助教授とトイレで隣り合わせた。いわゆる「連れション」である。
A助教授が私に言った。「きみ、だいぶ腐っているみたいだけど、哲学科に行きたかったんだって?」私は「はい」と答えた。
するとA助教授はこう言ったのである。
「もしよかったら、僕が手続きをしてあげようか?哲学科に転科できるように、手続きをしてあげようか?」
私が「よろしくお願いします」と答えたのは、言うまでもない。
その後は、A助教授の尽力のお陰か、話はとんとん拍子で進み、私は無事哲学科に進学することができた。
「もしA助教授に出会っていなかったら・・・」そう思うと、今でも冷や汗が出る。私は意に染まない暗い人生を歩むことになったのではないか。
同様、「あの本に出会っていたら・・・」と思ったことがある。その本は、城山三郎の小説『官僚たちの夏』である。そう思ったのはごく最近のことで、次の新聞記事を読んだからだった。
「昨秋まで人事院で採用の広報を担当していたA氏は『官僚になる学生のタイプが明らかに変わってきた』と言う。城山三郎の小説『官僚たちの夏』は、国家像を描いて政策を動かす高度成長期の官僚の姿を活写した。『こうした『国士型』の人材は少数派となり、地道に社会の役に立ちたいと考える『優等生型』が多数派になった』とみる。」
(朝日新聞10月30日)
もし若い頃、城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んでいたら・・・。この記事を読んで、私は思ったのだった。私は官僚への道を歩んでいたかもしれない、と。
小説『官僚たちの夏』が出版されたのは1975年のことだが、その頃、私は五木寛之の小説に熱をあげていた。自分もこういう小説を書きたい、こういう作家になりたい、と思うほどだった。五木寛之が作家になるまでに辿ったマスコミの裏街道が、なにやら素晴らしいものに思え、実際私は、地元の小さな新聞社の人事担当者に会いに行ったりもしたのだった。
その人事担当者は、私が出身大学名を言うと、「ああ、ウチなんかじゃとても、とても」と取り合ってくれなかった。「官庁に行ったほうがいいんじゃないですか」とも。
たしかに、城山三郎の小説『官僚たちの夏』を読んでいれば、私はこういう短絡的な行動はとらず、この小説に描かれたような「国士型」の官僚をめざしていたことだろう。
もっとも、「国士型」の官僚をめざしても、「国士型」の初志を貫徹できたかどうかは分からない。案外、(霞が関の官僚にありがちなように)政治家への転身をはかり、落選続きの人生裏街道を歩いていたりして・・・。