ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争と国際法(その2)

2023-11-17 14:46:35 | 日記
きのうは「イスラエル軍のシファ病院突入」について、朝日新聞の記事を長々と引用した。イスラエル軍のこの行いはなぜ非難されるべきなのか。
それは、この行いが「国際法違反」だからだ、というのが、この記事の趣旨である。ーー引用は、このことを分かっていただくためだった。


な〜んだ、たったそれだけのこと?と思っていただけたら、私の狙いは半分以上叶えられたことになる。イスラエル軍のこうした行いが非難されるべき理由は、「国際法違反」というだけでは充分ではない。それ以外にもっと重要なことがある。私はそう思っている。では、それは一体、何なのかーー。


これを明らかにするのがきょうの本ブログの目的だが、出発点になるのは、「適法性( legality )と道徳性( morality )とは違う」という認識である。


哲学者であり、倫理学者であるカントがかつて述べたことだが、べつに難しい話ではない。法の抜け道を通るのが得意な永田町のセンセ方には身近な話である。
センセ方は、違法ではないが違法すれすれの「合法的」な手続きを踏んで、私腹を肥やそうとする。それは一応、法に適った行い( legai conduct )であり、違法ではないから、ブタ箱行きにはならないが、道徳に適った行い( moral conduct )の対極にあり、道義的な責任を免れない。違法ではなくても、人道上から厳しく糾弾されねばならないのである。


このカントの見解に即して考えるなら、シファ病院に突入したイスラエル軍の行いは、「国際法に違反する/違反しない」の議論以前に、道義に悖(もと)る行いとして、厳しく糾弾されねばならないことになる。


かつて私は次のように書いた。


「(ネタニヤフ・イスラエル首相がバイデン米大統領の説得に応じた)最大の要因として、〈人道〉の理念をあげることができる。バイデン大統領は、〈人道〉の理念を声高に叫ぶ国際世論を無視することができず、これを無視すれば国際社会で孤立しかねないと懸念したのだろう。孤立への懸念を執拗に説くバイデン大統領の熱意に、ネタニヤフも抗しきれなくなったものと思われる。」
(11月11日《明るいニュース》)


ネタニヤフ首相は〈人道〉の理念を気にとめていた時点では、道義心を持っていたと言えるが、「シファ病院に突入せよ」と命令を下した時点では、彼は道義心を投げ捨て、「国際法に違反しない外見さえつくろえば、それでよい」と考えた。言い換えれば、彼は合法性( legality )しか気にとめなかった。軍事行動を命じるとき、道義心を投げ捨てたという理由で、この指揮官・ネタニヤフは厳しく糾弾されねばならないのである。


法よりも〈人道〉の理念のほうが数段重要であることは、国際法の根幹部分にこの理念が組み込まれていることからもわかる。この部分を「国際人道法」と称する。
この「国際人道法」について、朝日新聞の社説は次のように述べている。


国際人道法の中心であるジュネーブ諸条約が、戦時においても医療のための要員や施設などを保護するよう定めていることを、改めて強調しておきたい。
病院内には家を失った避難者も合わせて数千人の市民が身を寄せている。軍事作戦で戦闘員だけを掃討するのは不可能に近い。医療行為も続けられない。国際人道法に違反する可能性が高い。

(朝日新聞11月16日)


朝日社説のこの意見こそ、国際世論そのものである。イスラエルのネタニヤフ首相もアメリカのバイデン大統領も、こうした国際世論に耳を傾けるべきだろう。〈人道〉の理念に基づく国際世論を無視するとどうなるかは、最近のバイデンの「支持急落」(朝日新聞)ぶりによく示されている。

コメント
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