F書店から「創業30周年記念の集い」の案内状が届いた。人文・社会系の学術書を出版する「新評論」の編集者だったF氏が、この出版社を立ち上げてからもう30年が経つ。このことからも分かるように、F書店は比較的若い出版社で、人文・社会系の「まじめ」な本を出版してきた。ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン――社会的判断力批判』や、フェルナン・ブローデル『地中海 環境の役割』の翻訳書が話題になった。石牟礼道子『苦海浄土』や、鶴見和子『曼荼羅』なども出版している。
F書店から「創業30周年」記念パーティーの案内状が私に送られてきたのは、かれこれ20年ほど前、私がF書店から単行本を出してもらっているからである。当時「まじめ」な研究者だった私は、(「純文学」ならぬ)「純哲学」分野の「まじめ」な(つまり売れない)本ばかり書いていた。そのためか、どの出版社からもまともに相手にしてもらえなかったが、F書店の対応は違っていた。
指定された通りにF書店へ出向き、F社主との面談を終えると、「分かりました。出しましょう」と、二つ返事で承諾をいただいたのである。このとき私は、F社主の(出版人としての)心意気のようなものを感じ、以来、豪放磊落なこの人に恩義を感じるようになった。F社主と若い担当編集者、それに私の三人で新大久保界隈の小綺麗なバーに入り、夜遅くまで酒を酌み交わしたこともある。
そのような経緯があるから、創業30周年の記念パーティには出来ればぜひ出席したかったが、残念なことに私は目下、脳出血の後遺症で半身不随の身であり、車イスと介助の手が欠かせない。涙を呑んでやむなく欠席の返信をした。F社主には、今後も会社をもり立て、続々と良書を出版していただきたいと願っている。
F書店から「創業30周年」記念パーティーの案内状が私に送られてきたのは、かれこれ20年ほど前、私がF書店から単行本を出してもらっているからである。当時「まじめ」な研究者だった私は、(「純文学」ならぬ)「純哲学」分野の「まじめ」な(つまり売れない)本ばかり書いていた。そのためか、どの出版社からもまともに相手にしてもらえなかったが、F書店の対応は違っていた。
指定された通りにF書店へ出向き、F社主との面談を終えると、「分かりました。出しましょう」と、二つ返事で承諾をいただいたのである。このとき私は、F社主の(出版人としての)心意気のようなものを感じ、以来、豪放磊落なこの人に恩義を感じるようになった。F社主と若い担当編集者、それに私の三人で新大久保界隈の小綺麗なバーに入り、夜遅くまで酒を酌み交わしたこともある。
そのような経緯があるから、創業30周年の記念パーティには出来ればぜひ出席したかったが、残念なことに私は目下、脳出血の後遺症で半身不随の身であり、車イスと介助の手が欠かせない。涙を呑んでやむなく欠席の返信をした。F社主には、今後も会社をもり立て、続々と良書を出版していただきたいと願っている。