きのうはデイサに行き、リハビリを行った日である。リハビリの最後のメニューは「スクエア・ステップ」。マス目が書かれたマットの上で、トレーナーの指示通りに脚を動かす。脚の運びに気を取られていると、トレーナーが質問をすることがある。「きのうの晩御飯は何を食べましたか?」とか、「ここ(このデイサ)で一番の美人はだれでしょう?」とか。きのうは歩行の上手なお婆さんが「きょうは何月何日でしょうか?」と尋ねられたが、そのお婆さんは答えられなかった。このお婆さんは身体面は支障がないが、認知症を患い、頭の面で多少、支障があるようなのである。
「きょうはですね、3月11日です。10年前の3月11日は、東北地方で大きな地震があって大変でした。皆さんも、すばやく避難できるように、しっかり足腰を鍛えておきましょう。」
トレーナーの朗らかな声を聞きながら、私はここ数日、テレビで流された10年前の大津波の映像を思い起こした。このお婆さんはテレビを見ないのだろうか。見ても忘れてしまうのだろうか。頭はボケても、自由に歩き回れるほうが、私には羨ましかった。
10年前の3月11日。それは忘れもしない、私にとっての大きな記念日、私が脳出血に見舞われた日である。私は救急病院のICUで、「**地区は水が出なくて、大変らしいよ」という看護師さんたちの雑談を聞いたことを覚えている。
ここ数日のテレビ映像は、その日がいかに大変な日だったかを教えてくれた。私が覚えているのは、福島の原発が大事故を起こし、枝野官房長官(当時)が記者会見をする、病院のロビーで見たテレビの映像だが、そんな映像は10年後のきのう・きょうには流されず、流されたのは、津波のような大津波被災の映像だった。
そうだ。10年前の3.11は、福島原発が大事故を起こした「フクシマ記念日」でもあるのだ。それがテレビ・メディアでは、「大津波・被災記念日」に置き換わり、明らかに「記憶の変造」が行われている。
きょうの朝日新聞の社説は「フクシマの事故から10年 いま再び脱原発の決意を」というタイトルだった。この社説を読み、私はきのうが「フクシマ記念日」だったことに思い至り、同時に、数日前、自分が書いたブログ記事の文面を思い起こしたのだった。私は次のように書いたのである。
「つくづく思い知らされたのは、電気というものの有難さである。電気がないと、暖をとることもできず、ネットを利用することもできない。これでは私は完全にお手上げである。
(中略)停電の暗黒の中では、『電力の恩恵を受けるためなら、原発の再稼働も仕方ないか』と思えてくる。」
そうは言っても、である。原発が再稼働されれば、10年前と同じような悲惨な事故がいつ起こらないとも限らない。原発は一度事故を起こせば、人的・物的に甚大な被害を広範囲に及ぼす、という紛れもない事実。ここ数日のテレビ・メディアは、大津波被災の映像を垂れ流すことによって、この重大な事実を覆い隠そうとしているのではないか。私にはそんなふうに思えて仕方がなかった。
そうだよなあ。10年前の教訓をしっかりと記憶にとどめ、私は「原発の再稼働を」などと妄言を吐かないよう、心しなければならない。我々は「再エネ」の活用に向けて、支援の輪をもり立てていかねばならないのだ。
「きょうはですね、3月11日です。10年前の3月11日は、東北地方で大きな地震があって大変でした。皆さんも、すばやく避難できるように、しっかり足腰を鍛えておきましょう。」
トレーナーの朗らかな声を聞きながら、私はここ数日、テレビで流された10年前の大津波の映像を思い起こした。このお婆さんはテレビを見ないのだろうか。見ても忘れてしまうのだろうか。頭はボケても、自由に歩き回れるほうが、私には羨ましかった。
10年前の3月11日。それは忘れもしない、私にとっての大きな記念日、私が脳出血に見舞われた日である。私は救急病院のICUで、「**地区は水が出なくて、大変らしいよ」という看護師さんたちの雑談を聞いたことを覚えている。
ここ数日のテレビ映像は、その日がいかに大変な日だったかを教えてくれた。私が覚えているのは、福島の原発が大事故を起こし、枝野官房長官(当時)が記者会見をする、病院のロビーで見たテレビの映像だが、そんな映像は10年後のきのう・きょうには流されず、流されたのは、津波のような大津波被災の映像だった。
そうだ。10年前の3.11は、福島原発が大事故を起こした「フクシマ記念日」でもあるのだ。それがテレビ・メディアでは、「大津波・被災記念日」に置き換わり、明らかに「記憶の変造」が行われている。
きょうの朝日新聞の社説は「フクシマの事故から10年 いま再び脱原発の決意を」というタイトルだった。この社説を読み、私はきのうが「フクシマ記念日」だったことに思い至り、同時に、数日前、自分が書いたブログ記事の文面を思い起こしたのだった。私は次のように書いたのである。
「つくづく思い知らされたのは、電気というものの有難さである。電気がないと、暖をとることもできず、ネットを利用することもできない。これでは私は完全にお手上げである。
(中略)停電の暗黒の中では、『電力の恩恵を受けるためなら、原発の再稼働も仕方ないか』と思えてくる。」
そうは言っても、である。原発が再稼働されれば、10年前と同じような悲惨な事故がいつ起こらないとも限らない。原発は一度事故を起こせば、人的・物的に甚大な被害を広範囲に及ぼす、という紛れもない事実。ここ数日のテレビ・メディアは、大津波被災の映像を垂れ流すことによって、この重大な事実を覆い隠そうとしているのではないか。私にはそんなふうに思えて仕方がなかった。
そうだよなあ。10年前の教訓をしっかりと記憶にとどめ、私は「原発の再稼働を」などと妄言を吐かないよう、心しなければならない。我々は「再エネ」の活用に向けて、支援の輪をもり立てていかねばならないのだ。