昨夜は11;30からNHKの夜ドラ「ここ倫」のスペシャル・バージョン「今日はぺこぱと倫理です」が放映される予定だった。でも、これじゃあ無理だな、放映は延期になるのかな、と私は思いをめぐらせた。というのも、夕方6時過ぎに東北地方で大きな地震があり、それからというもの、延々と(同じような)地震情報がリピートされ始めたからである。たしか以前にも、地震の影響で「ここ倫」が放映中止になったことがあったような気がする。「ここ倫」は地震に祟られているのだろうか。
震源は宮城県沖、マグニチュードは6.9、最大震度が5強というもので、津波注意報も出されるほどだったから、地震情報の延々リピートも仕方ないのだろう。わが茨城県T市の震度は4だったが、地震や台風があると「ここぞ」とばかりに災害情報オンリーになるのは、NHKの常である。これもまあ国営放送ならではの使命感なのだろう。
これでは「ぺこぱ」バージョンの放映延期も仕方ないか、と思いながらテレビの番組表を確かめたら、11;48から開始、となっていた。ほとんど予定と変わらない開始時間である。津波注意報がすぐ(7時30分頃)に解除されたためらしい。私は「ぺこぱ」バージョンの録画をセットし直した。
一夜が開けたきょう、その録画を見終えて、私は今、タブレットの画面に向かい合っている。それまでの地震がらみの経緯についてあれこれ長々と書きつらねたのは、ほかでもない。「ぺこぱ」バージョンの録画を見ても、これについて書きたいという気が起こらなかったからである。
番組ではまず、(「プレーバックと称して」)これまでの高柳先生による「問いかけ」がとりあげられた。なかでも反響が大きかったものとして、「あなたは見かけで人を判断したり、判断されたりしたことがありますか」という問いかけに焦点が当てられた。番組HPに寄せられた意見には、「自分は容姿を理由にいじめを受けている」とか、「いまだにハゲを笑う風潮が強い」といったコメントがあったという。
お笑いコンビ「ぺこぱ」の司会で、この番組に出演した若手俳優たちが討論をするというのが、このスペシャル・バージョンの目論見だったようだが、上記の「見かけ」のテーマをめぐる討論では、「自分は見かけがこんなだから、戦争孤児の役を割り当てられることが多く、役が限られてしまう。大人になってからも俳優を続けていけるかどうか不安だ」とか、「自分はその場・その場に応じて髪をアップにしたり、下ろしたりして、その場にふさわしい見た目を作っている」という意見が出されただけだった。
司会の「ぺこぱ」がこの発言を受けて、これを倫理的な議論へつなげようと骨を折っていたが、たしかに、こうした意見を倫理的な議論へと発展させるのは難しい。
要するにこのスペシャル・バージョンは、シリアスな倫理的問いに「お笑い」芸人をからませて、どういう化学反応が起こるか、また、シリアスな倫理的問いにフレッシュな若手俳優たちをからませて、どういう化学反応が起こるか、その意外性をを見せるという「受け」狙いの番組構成であり、ここには倫理問題に切り込む「倫理的」な姿勢は微塵も見られなかった。
番組の製作者が狙っていたらしい「化学反応」の意外性も、ピント外れのイマイチなもので、私には到底おもしろいとは思えなかった。
震源は宮城県沖、マグニチュードは6.9、最大震度が5強というもので、津波注意報も出されるほどだったから、地震情報の延々リピートも仕方ないのだろう。わが茨城県T市の震度は4だったが、地震や台風があると「ここぞ」とばかりに災害情報オンリーになるのは、NHKの常である。これもまあ国営放送ならではの使命感なのだろう。
これでは「ぺこぱ」バージョンの放映延期も仕方ないか、と思いながらテレビの番組表を確かめたら、11;48から開始、となっていた。ほとんど予定と変わらない開始時間である。津波注意報がすぐ(7時30分頃)に解除されたためらしい。私は「ぺこぱ」バージョンの録画をセットし直した。
一夜が開けたきょう、その録画を見終えて、私は今、タブレットの画面に向かい合っている。それまでの地震がらみの経緯についてあれこれ長々と書きつらねたのは、ほかでもない。「ぺこぱ」バージョンの録画を見ても、これについて書きたいという気が起こらなかったからである。
番組ではまず、(「プレーバックと称して」)これまでの高柳先生による「問いかけ」がとりあげられた。なかでも反響が大きかったものとして、「あなたは見かけで人を判断したり、判断されたりしたことがありますか」という問いかけに焦点が当てられた。番組HPに寄せられた意見には、「自分は容姿を理由にいじめを受けている」とか、「いまだにハゲを笑う風潮が強い」といったコメントがあったという。
お笑いコンビ「ぺこぱ」の司会で、この番組に出演した若手俳優たちが討論をするというのが、このスペシャル・バージョンの目論見だったようだが、上記の「見かけ」のテーマをめぐる討論では、「自分は見かけがこんなだから、戦争孤児の役を割り当てられることが多く、役が限られてしまう。大人になってからも俳優を続けていけるかどうか不安だ」とか、「自分はその場・その場に応じて髪をアップにしたり、下ろしたりして、その場にふさわしい見た目を作っている」という意見が出されただけだった。
司会の「ぺこぱ」がこの発言を受けて、これを倫理的な議論へつなげようと骨を折っていたが、たしかに、こうした意見を倫理的な議論へと発展させるのは難しい。
要するにこのスペシャル・バージョンは、シリアスな倫理的問いに「お笑い」芸人をからませて、どういう化学反応が起こるか、また、シリアスな倫理的問いにフレッシュな若手俳優たちをからませて、どういう化学反応が起こるか、その意外性をを見せるという「受け」狙いの番組構成であり、ここには倫理問題に切り込む「倫理的」な姿勢は微塵も見られなかった。
番組の製作者が狙っていたらしい「化学反応」の意外性も、ピント外れのイマイチなもので、私には到底おもしろいとは思えなかった。