ささやんの週刊X曜日

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「ここ倫」は最終回

2021-03-14 12:26:05 | 日記
きょうは「ここ倫」の最終回。どんなフィナーレが、どんなオチが、どんなサプライズが用意されているのか、期待しながらビデオ録画の画面に臨んだが、肩透かしを食らったような、拍子抜けした感じだった。

いつものようなドラマがなく、いきなり問題が提起され、それについてのディスカッションが始まる。提起される問題も、ある意味陳腐なものだった。

「クラスのグループチャットを抜けたことで、クラスから疎外され孤立した『いち子』は、今後、どうすべきなのか?」

この問題をめぐって生徒たちは各々意見を交わすが、議論は一定の方向へと収束する様子を見せない。
そこで千両役者の「高柳先生」が登場、と相成るのだが、その高柳先生はといえば、「いやあ、素晴らしい。素直に自分の意見を出し合う皆さんの姿は、実に素晴らしい」と感激するばかり。そしていつものように、グサリと胸に突き刺さる決めぜりふを投げつける。

人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。
蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。
だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。
なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。
宇宙は何も知らない。

だからわれわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、
われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。
だから、よく考えることを努めよう。
ここに道徳の原理がある。

決めぜりふというにはずいぶん長ったらしいフレーズだが、これを高柳先生に長々と朗読させるのは、番組の制作者に何らかの思い入れがあってのことだろう。
有名なパスカルのこのフレーズは、「人間は考える葦である。思考するから、人間は偉大なのだ」という、味も素っ気もない言葉では汲み尽くせない含蓄に富んでいる。受験対策用の暗記アイテムに収まらないこうした部分に目を向けることも大事だ、ーー番組制作者はそう言いたかったのかも知れない。

番組制作者が言おうとしていることは、もう一つ、自分の頭で考えることの大切さである。人は生きていく上でさまざまな問題に突き当たるが、その問題には定型も、定まった答えもない。答えが見つからないこともある。そういう問題にそのつど真摯に向き合い、自分の頭でとことん考えることが、大事なのだ。

倫理のメッセージとしては、これもありふれたメッセージではあるが、最終的なメッセージはこれに尽きる。番組制作者のその思いはよく伝わってきた。
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