おはようございます!
いやあ、初夏なんですけど、天気が良かったり、悪かったりしますね。
まあ、自転車乗るときだけ、天気が良ければいい!ってところもあるから、
まあ、あんまり気にしてはいませんけどね!
さて、僕は4月から、フランス語、イタリア語を新たに習っていて、英語の強化策をとっているわけですけど、
もう5月ですからね。で、進捗的には、どうか、というと、これが、まだ、4月のカリキュラムをやっている、
というわけで、まあ、なかなか、進めていないなあ、というところです。
やはり、10代の頃と違って、覚えるそばから忘れて行く!(笑)という感じなので、
もう、何度もスキットを聞く必要がある、ということで、なかなか、進みがゆるやか、というわけなんです。
まあ、それでも、今は音声情報の扱いが、楽ですからね。
僕が大学受験のときは、ちょっと大変でしたね。
当時、大学受験用の「ラジオ講座」という番組がありまして、そこから出ていた受験用の英単語テープを友達同士でお金を出しあって
1セットだけ購入し、友達が秋葉原で、安いカセットテープ!(笑)を大量購入してきて、皆でダビングする!
なんてことをしていましたからね。それで、まあ、予備校!(笑)の行き帰りに電車の中で、聴きまくっていました。
「ハリスの英単語」という名前でしたけど、懐かしいなあ(笑)。
今は、パソコンで、MP3データとして、取り扱えますから、楽なもんです。まあ、そういう意味では、今の語学学習も、
NHKさんにお世話になっているわけですから、あんまり変わっていないような気がしています。
でも、フランス語っておもしろいですよ。だって、英語でいう、THIS IS は、C'est なんですけど、これ、発音的には
「セ」、一言ですからね。
例えば、
「ここは公園です」
というのは、
C'est un parc.
と書くわけですけど、これ、発音的には、
「セ タン パルク」
ですからね。まあ、ほかにも、「サ」とか、「モア」とか、「ウィ」とか、こう一言!という感じの単語が多くて、
なんか、おもしろいすねー。だから、文字的には、ずらずらーっと長く書いてある感じだけど、読むとすぐ終わっちゃう感じで、
音声の省略が非常に多い言語という感じがしますね。だから、長い文章も早く伝達ができる。いろいろな意味を、短い言葉で伝えられる、
という利点があることがわかるんですね。非常によくできた言語という感じがしますね。まあ、早く熟達して、パリジャンと直に話せるように
なりたいなあ、とそこは、男性的な夢を持って、勉強しているわけですね。はい。
いいじゃない、それくらいの夢持ったって(笑)。だって、それが一番モチベーションアップするんだもん。ねえ(笑)。
と、アホな話は、これくらいにして、さて、今日も、Vittelなぞ、ぐびびと飲んで、
ゆるゆると論考に入っていきましょうか!
さて、昨日は、論考者としての西郷の凄みと、西南戦争に影響を与えた神風連の乱について話しました。
結局、神風連の乱が、大久保達にはいい意味で、薩軍に影響を与えたということになるんですね。
薩軍は、熊本鎮台を馬鹿にして見たし、大久保達は熊本鎮台の弱点を確認でき、補強策をとることができたわけですからね。
そして、補強策が終わったからこそ、大久保は私学校を挑発し、それを知った西郷は、薩軍を熊本鎮台に向け、
そして、熊本鎮台には、薩軍に加わらないように、工作する。西郷のすごさが改めてわかる話でした。
さて、熊本鎮台の谷司令長官は、まず、薩軍に備えて、二月十四日、次のように山県に電信しています。
「小倉と福岡の兵力を臨機の処分でもって、熊本鎮台に集めるべく処置した」
まあ、このときは、薩軍の先鋒である別府晋介の隊が、加治木を発した日だそうですから、熊本鎮台は、着々と事態に備えていたことがわかります。
さて、薩軍が来るとなれば、熊本鎮台は、その戦い方を決めねばなりません。これについて、熊本鎮台参謀長の樺山中佐は、次のように書いています。
「谷将軍が籠城に方針を決定されたのは、かえすがえすも卓見であったと思う」
このとき、鎮台の兵力は三千、薩軍は一万数千ですから、まあ、自然、籠城策しかなくなってくると考えます。まあ、この樺山中佐の文章というのは、
どうも軍人の癖か、上司をおだてる物言いが多いですから、まあ、卓見と言う表現になるのでしょうけど、まあ、当然といえる処置でしょうね。
なにしろ、昨日書いたように、この樺山中佐は、薩人ですから、鎮台兵の弱さがわかっているし、薩軍の強さもよくわかっていたので、
もう籠城策しかない、ということなわけです。いやあ、大変だったろうなあ、谷さんも、この樺山中佐も。
それに、この熊本鎮台には、後に日露戦争で、活躍する若き日の児玉源太郎がいたんですね。彼は長州人ですから、谷ともよく話したろうと思いますし、
その優秀さから、谷から意見も求められたでしょう。だから、籠城策を献策したかもしれませんね。まあ、でも、誰が見ても籠城策しかありませんよね。
なんか、司馬氏は、「山県から命令を受けたのでは」みたいな書き方をしていますが、こんな当然とも言える策、山県は谷の優秀さを知って人選しているんですから、
別に山県にお伺いを立てなくても、
「奴なら、当然籠城策をとるだろう」
くらいのことは、わかっているはずです。
どうも、司馬というひとは、当人の立場に立ってモノを考える事をしない人間ですね。当然のことを仰々しく書いたり、何も考えずに書いているのがだだわかりで、
不快になります。
さて、先程、谷司令長官が、山県に電信した旨を書きましたが、このとき、山県が次のような文章を返信しているそうです。
「攻守共に、その宜しきに従うべきも、ただ万死を期して、熊本城を保たざるべからず」
つまり、
「攻めるも守るも、谷の判断に任せるが、熊本城だけは、どのようなことがあっても、死守せよ」
ということです。これは当然でしょうね。政府側の一大拠点ですし、ここを薩軍に取られ、逆に籠城でもされると、
政府軍としては攻め倦むなんてことになりかねないですからね。それに、弾薬や食料なども城には用意されているわけですから、
それが薩軍にわたらないようにすることは、基本中の基本です。政府軍としては、薩軍に弾薬や兵糧を使い尽くさせ、エネルギーを減らしてくいくことが、
まず、基本作戦になりますから、そこから考えれば、熊本城死守は、当然の基本中の基本の命令ということになります。
この命令の意味について、司馬氏は、説明を避けています。
それより、その方針を籠城に決定する日がいつだったかに心を砕いています。
あのー、熊本城を死守せよ、と山県に言われたのだから、もう、籠城に決まっているじゃん。
出戦して、勝ち目がある?
兵はへっぽこだって、樺山中佐も書いているんだよ?
それに、三千VS一万数千だよ。
奇襲かけたって逆襲されるのが、オチじゃん。
普通に考えれば、わかる話じゃん!
どうも、このあたりを読んでいると、この司馬というひとは、自分を誇りたいために、当時の政府を断罪したいらしいんですね。
つまり、当時の政府が、薩軍を罠にかけた。大久保が挑発して、薩軍をおびき出し、それに対しても熊本鎮台が用意周到に準備していたことが、
一般の人間に知られないようにしていたようだ、悪いヤツだ!みたいなことを言っているわけです。
だから、籠城に決めるということが、一般のひとに知られないように、資料にさえ、残さなかったのだ、という主張をしているわけです。
なんつーか、これ、いわゆる「ためにする行為」という奴なんですよね。
司馬氏が自分を誇るために、当時の政府を悪者にし、そのために、「籠城を決した日を資料に残さなかった」ことを指摘し、それを主張するために、
「籠城と決めた日は、いつだろうと考えることを始める」という、くだらないことをしているわけです。
だから、素直に見る僕からすれば、「なぜ、籠城を決した日などを重要視するのか?」という素直な疑問になるわけですよ。
これを見れば、司馬という人間が、どういう人間か、わかるでしょう。
馬鹿のくせに、自分を誇る。
最低のうんこ人間ですよね!
まったく、読めば読むほど不快になるなあ。このうんこ馬鹿の作品は!
そして、こいつは、こういうことを書いているわけです。
**
「谷干城は、某日に籠城に決定すると」
**は、まあ、某日に振られた点々です。こういういやみな書き方に、彼の臭みが出ていますよね。ほんと、思い切り大嫌いな性格野郎です。
使えない人間が、しゃべるな、バーカ!
さて、谷将軍は、二月十二日、十三日の両日、城内で、盛大な招魂祭というのを実施したそうです。
神風連の乱で、倒れた兵の霊を招いて、大いに祭り、大いに讃え、大いに慰めようという祭りだそうです。なるほど、この時代は、そういう考えの祭りが
あったんだね。まあ、祭り自体、霊を祀るから来ているわけですから、まあ、納得な話です。
これ、当時のひとには、素直な話だったんでしょうね。それに、まあ、戦の前だから、城内の兵の気持ちをひとつにしようということだったんでしょう。
酒を飲んで和すれば、ひとつになれますからね。
それについて、司馬氏は、こう書いています。
「谷の思惑では、これによって薩軍の襲来に怯えている兵士のこころに使命意識をうえつけ、戦闘で倒れることの崇高さを祭儀という芝居がかったものを」
「演出することによって、植えつけようとした」
あのさ。
なんで、こうえらそうに書くんだろうね。それでいて、何もわかっちゃいない。
ほんと、バカだな。
だいたい、「芝居がかったもの」って、何?
結局、このひと、谷を馬鹿にしているのが、だだわかりでしょう。
要は、
「招魂祭なんて、くだらない芝居ががったもので、兵の気持ちを変えようなんて、あさはかな行為だ」
と言外に言っていますよね。
要は、戦争に関連する全てのひとびとを馬鹿にした目で見ているから、こういう言い方になるんです。
ったく、何もわかっていないくせに、文章をつづり、適当な思いつきで書き散らす馬鹿のくせに、何言ってんだ!って感じです。
谷将軍にすれば、祭りに事寄せて、兵たちと飲み、語らうことで、城内の結束を固め、来るべき薩軍への腹を決めさせる、ということだったと思います。
それをあげつらうように書きやがって。てめえ、こういう先人達のおかげで、飯を食えているのだろうが!
俺が地獄に行ったら、てめえなんざ、徹底的に斬り刻んで、異世界へ飛ばしてやるからな!
まったく、いちいち、気に障る文章です。
まあ、こころを落ち着けて書きましょう。
さて、この招魂祭では、祭儀だけでなく、しきりに余興をさせたのだそうです。将校も兵隊もなく、二日間は無礼講で、飲み放題に酒を飲んだそうです。
ほら、やっぱりそうでしょう。城内の結束固めじゃないですか!何が崇高さだ、バカが!
そして余興として競馬、相撲大会、撃剣試合をやらせたそうです。そして、旧城下のために、城内を解放し、市民も祭りに参加させたのだそうです。
「旧正月まえというのに、春が一歩先に来たようじゃ」
と言い囃す市民が多かったそうで、薩軍との戦いの前に、市民との融和も図った谷将軍の思惑は、正しかったでしょうね。
ま、これについての司馬氏の表現を書きましょうか。
「谷の人心収攬術は、失敗ではなかった」
この書き方ですよ。
「浅はかなやり方だが、まあ、失敗じゃなかったみたいだね」
こう言っているんですよ。
もう、笑っちゃいますよ、バカすぎて。あんたは、谷将軍の一億分の一ほども役に立たねえ、うんこバカだよ。
はあ。まったく、頭にくる野郎ですね、ほんとに。
これほど、ひどいとは、まったく思っていませんでした。
もういちいち、怒っていたんでは、前に進まないと思っているんですけどね。
まあ、それでも、谷将軍の有能さは、よくわかりました。
そして、腹のすわり方もね。そりゃ、薩軍相手に、へっぽこ兵だけで、戦えって言われているんですから、
ちょっと地獄な感じですよね。いやあ、谷将軍、すごいひとだったんだろうね。
これこそ、本物のサムライです。男ですよ。
これから、そういうひとが、たくさん出てきますから、楽しみにしていてくださいね。
さて、今日はこれくらいにしましょうか。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会しましょう。
ではでは。
いやあ、初夏なんですけど、天気が良かったり、悪かったりしますね。
まあ、自転車乗るときだけ、天気が良ければいい!ってところもあるから、
まあ、あんまり気にしてはいませんけどね!
さて、僕は4月から、フランス語、イタリア語を新たに習っていて、英語の強化策をとっているわけですけど、
もう5月ですからね。で、進捗的には、どうか、というと、これが、まだ、4月のカリキュラムをやっている、
というわけで、まあ、なかなか、進めていないなあ、というところです。
やはり、10代の頃と違って、覚えるそばから忘れて行く!(笑)という感じなので、
もう、何度もスキットを聞く必要がある、ということで、なかなか、進みがゆるやか、というわけなんです。
まあ、それでも、今は音声情報の扱いが、楽ですからね。
僕が大学受験のときは、ちょっと大変でしたね。
当時、大学受験用の「ラジオ講座」という番組がありまして、そこから出ていた受験用の英単語テープを友達同士でお金を出しあって
1セットだけ購入し、友達が秋葉原で、安いカセットテープ!(笑)を大量購入してきて、皆でダビングする!
なんてことをしていましたからね。それで、まあ、予備校!(笑)の行き帰りに電車の中で、聴きまくっていました。
「ハリスの英単語」という名前でしたけど、懐かしいなあ(笑)。
今は、パソコンで、MP3データとして、取り扱えますから、楽なもんです。まあ、そういう意味では、今の語学学習も、
NHKさんにお世話になっているわけですから、あんまり変わっていないような気がしています。
でも、フランス語っておもしろいですよ。だって、英語でいう、THIS IS は、C'est なんですけど、これ、発音的には
「セ」、一言ですからね。
例えば、
「ここは公園です」
というのは、
C'est un parc.
と書くわけですけど、これ、発音的には、
「セ タン パルク」
ですからね。まあ、ほかにも、「サ」とか、「モア」とか、「ウィ」とか、こう一言!という感じの単語が多くて、
なんか、おもしろいすねー。だから、文字的には、ずらずらーっと長く書いてある感じだけど、読むとすぐ終わっちゃう感じで、
音声の省略が非常に多い言語という感じがしますね。だから、長い文章も早く伝達ができる。いろいろな意味を、短い言葉で伝えられる、
という利点があることがわかるんですね。非常によくできた言語という感じがしますね。まあ、早く熟達して、パリジャンと直に話せるように
なりたいなあ、とそこは、男性的な夢を持って、勉強しているわけですね。はい。
いいじゃない、それくらいの夢持ったって(笑)。だって、それが一番モチベーションアップするんだもん。ねえ(笑)。
と、アホな話は、これくらいにして、さて、今日も、Vittelなぞ、ぐびびと飲んで、
ゆるゆると論考に入っていきましょうか!
さて、昨日は、論考者としての西郷の凄みと、西南戦争に影響を与えた神風連の乱について話しました。
結局、神風連の乱が、大久保達にはいい意味で、薩軍に影響を与えたということになるんですね。
薩軍は、熊本鎮台を馬鹿にして見たし、大久保達は熊本鎮台の弱点を確認でき、補強策をとることができたわけですからね。
そして、補強策が終わったからこそ、大久保は私学校を挑発し、それを知った西郷は、薩軍を熊本鎮台に向け、
そして、熊本鎮台には、薩軍に加わらないように、工作する。西郷のすごさが改めてわかる話でした。
さて、熊本鎮台の谷司令長官は、まず、薩軍に備えて、二月十四日、次のように山県に電信しています。
「小倉と福岡の兵力を臨機の処分でもって、熊本鎮台に集めるべく処置した」
まあ、このときは、薩軍の先鋒である別府晋介の隊が、加治木を発した日だそうですから、熊本鎮台は、着々と事態に備えていたことがわかります。
さて、薩軍が来るとなれば、熊本鎮台は、その戦い方を決めねばなりません。これについて、熊本鎮台参謀長の樺山中佐は、次のように書いています。
「谷将軍が籠城に方針を決定されたのは、かえすがえすも卓見であったと思う」
このとき、鎮台の兵力は三千、薩軍は一万数千ですから、まあ、自然、籠城策しかなくなってくると考えます。まあ、この樺山中佐の文章というのは、
どうも軍人の癖か、上司をおだてる物言いが多いですから、まあ、卓見と言う表現になるのでしょうけど、まあ、当然といえる処置でしょうね。
なにしろ、昨日書いたように、この樺山中佐は、薩人ですから、鎮台兵の弱さがわかっているし、薩軍の強さもよくわかっていたので、
もう籠城策しかない、ということなわけです。いやあ、大変だったろうなあ、谷さんも、この樺山中佐も。
それに、この熊本鎮台には、後に日露戦争で、活躍する若き日の児玉源太郎がいたんですね。彼は長州人ですから、谷ともよく話したろうと思いますし、
その優秀さから、谷から意見も求められたでしょう。だから、籠城策を献策したかもしれませんね。まあ、でも、誰が見ても籠城策しかありませんよね。
なんか、司馬氏は、「山県から命令を受けたのでは」みたいな書き方をしていますが、こんな当然とも言える策、山県は谷の優秀さを知って人選しているんですから、
別に山県にお伺いを立てなくても、
「奴なら、当然籠城策をとるだろう」
くらいのことは、わかっているはずです。
どうも、司馬というひとは、当人の立場に立ってモノを考える事をしない人間ですね。当然のことを仰々しく書いたり、何も考えずに書いているのがだだわかりで、
不快になります。
さて、先程、谷司令長官が、山県に電信した旨を書きましたが、このとき、山県が次のような文章を返信しているそうです。
「攻守共に、その宜しきに従うべきも、ただ万死を期して、熊本城を保たざるべからず」
つまり、
「攻めるも守るも、谷の判断に任せるが、熊本城だけは、どのようなことがあっても、死守せよ」
ということです。これは当然でしょうね。政府側の一大拠点ですし、ここを薩軍に取られ、逆に籠城でもされると、
政府軍としては攻め倦むなんてことになりかねないですからね。それに、弾薬や食料なども城には用意されているわけですから、
それが薩軍にわたらないようにすることは、基本中の基本です。政府軍としては、薩軍に弾薬や兵糧を使い尽くさせ、エネルギーを減らしてくいくことが、
まず、基本作戦になりますから、そこから考えれば、熊本城死守は、当然の基本中の基本の命令ということになります。
この命令の意味について、司馬氏は、説明を避けています。
それより、その方針を籠城に決定する日がいつだったかに心を砕いています。
あのー、熊本城を死守せよ、と山県に言われたのだから、もう、籠城に決まっているじゃん。
出戦して、勝ち目がある?
兵はへっぽこだって、樺山中佐も書いているんだよ?
それに、三千VS一万数千だよ。
奇襲かけたって逆襲されるのが、オチじゃん。
普通に考えれば、わかる話じゃん!
どうも、このあたりを読んでいると、この司馬というひとは、自分を誇りたいために、当時の政府を断罪したいらしいんですね。
つまり、当時の政府が、薩軍を罠にかけた。大久保が挑発して、薩軍をおびき出し、それに対しても熊本鎮台が用意周到に準備していたことが、
一般の人間に知られないようにしていたようだ、悪いヤツだ!みたいなことを言っているわけです。
だから、籠城に決めるということが、一般のひとに知られないように、資料にさえ、残さなかったのだ、という主張をしているわけです。
なんつーか、これ、いわゆる「ためにする行為」という奴なんですよね。
司馬氏が自分を誇るために、当時の政府を悪者にし、そのために、「籠城を決した日を資料に残さなかった」ことを指摘し、それを主張するために、
「籠城と決めた日は、いつだろうと考えることを始める」という、くだらないことをしているわけです。
だから、素直に見る僕からすれば、「なぜ、籠城を決した日などを重要視するのか?」という素直な疑問になるわけですよ。
これを見れば、司馬という人間が、どういう人間か、わかるでしょう。
馬鹿のくせに、自分を誇る。
最低のうんこ人間ですよね!
まったく、読めば読むほど不快になるなあ。このうんこ馬鹿の作品は!
そして、こいつは、こういうことを書いているわけです。
**
「谷干城は、某日に籠城に決定すると」
**は、まあ、某日に振られた点々です。こういういやみな書き方に、彼の臭みが出ていますよね。ほんと、思い切り大嫌いな性格野郎です。
使えない人間が、しゃべるな、バーカ!
さて、谷将軍は、二月十二日、十三日の両日、城内で、盛大な招魂祭というのを実施したそうです。
神風連の乱で、倒れた兵の霊を招いて、大いに祭り、大いに讃え、大いに慰めようという祭りだそうです。なるほど、この時代は、そういう考えの祭りが
あったんだね。まあ、祭り自体、霊を祀るから来ているわけですから、まあ、納得な話です。
これ、当時のひとには、素直な話だったんでしょうね。それに、まあ、戦の前だから、城内の兵の気持ちをひとつにしようということだったんでしょう。
酒を飲んで和すれば、ひとつになれますからね。
それについて、司馬氏は、こう書いています。
「谷の思惑では、これによって薩軍の襲来に怯えている兵士のこころに使命意識をうえつけ、戦闘で倒れることの崇高さを祭儀という芝居がかったものを」
「演出することによって、植えつけようとした」
あのさ。
なんで、こうえらそうに書くんだろうね。それでいて、何もわかっちゃいない。
ほんと、バカだな。
だいたい、「芝居がかったもの」って、何?
結局、このひと、谷を馬鹿にしているのが、だだわかりでしょう。
要は、
「招魂祭なんて、くだらない芝居ががったもので、兵の気持ちを変えようなんて、あさはかな行為だ」
と言外に言っていますよね。
要は、戦争に関連する全てのひとびとを馬鹿にした目で見ているから、こういう言い方になるんです。
ったく、何もわかっていないくせに、文章をつづり、適当な思いつきで書き散らす馬鹿のくせに、何言ってんだ!って感じです。
谷将軍にすれば、祭りに事寄せて、兵たちと飲み、語らうことで、城内の結束を固め、来るべき薩軍への腹を決めさせる、ということだったと思います。
それをあげつらうように書きやがって。てめえ、こういう先人達のおかげで、飯を食えているのだろうが!
俺が地獄に行ったら、てめえなんざ、徹底的に斬り刻んで、異世界へ飛ばしてやるからな!
まったく、いちいち、気に障る文章です。
まあ、こころを落ち着けて書きましょう。
さて、この招魂祭では、祭儀だけでなく、しきりに余興をさせたのだそうです。将校も兵隊もなく、二日間は無礼講で、飲み放題に酒を飲んだそうです。
ほら、やっぱりそうでしょう。城内の結束固めじゃないですか!何が崇高さだ、バカが!
そして余興として競馬、相撲大会、撃剣試合をやらせたそうです。そして、旧城下のために、城内を解放し、市民も祭りに参加させたのだそうです。
「旧正月まえというのに、春が一歩先に来たようじゃ」
と言い囃す市民が多かったそうで、薩軍との戦いの前に、市民との融和も図った谷将軍の思惑は、正しかったでしょうね。
ま、これについての司馬氏の表現を書きましょうか。
「谷の人心収攬術は、失敗ではなかった」
この書き方ですよ。
「浅はかなやり方だが、まあ、失敗じゃなかったみたいだね」
こう言っているんですよ。
もう、笑っちゃいますよ、バカすぎて。あんたは、谷将軍の一億分の一ほども役に立たねえ、うんこバカだよ。
はあ。まったく、頭にくる野郎ですね、ほんとに。
これほど、ひどいとは、まったく思っていませんでした。
もういちいち、怒っていたんでは、前に進まないと思っているんですけどね。
まあ、それでも、谷将軍の有能さは、よくわかりました。
そして、腹のすわり方もね。そりゃ、薩軍相手に、へっぽこ兵だけで、戦えって言われているんですから、
ちょっと地獄な感じですよね。いやあ、谷将軍、すごいひとだったんだろうね。
これこそ、本物のサムライです。男ですよ。
これから、そういうひとが、たくさん出てきますから、楽しみにしていてくださいね。
さて、今日はこれくらいにしましょうか。
ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。
また、次回、お会しましょう。
ではでは。
パリジェンヌと話さないと、
女性と話すことになりませんね(笑)。
ま、それが、夢です。はい。