「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

欧米人のわからない、日本人の秘密!(俺、日本文化の方が、めっさ上だと思う!)

2011年12月30日 | 日本人の秘密
外国人が思う日本人の不思議なところー・・・という番組を見ました。


まあ、僕から言わせれば、キリスト教を中心とする欧米文化と、仏教や儒教を伝統とするアジアの文化では、大枠からして違うと思うんだけどね。

で、次のような具体的な論点を挙げていましたねー。


「スーツ着ているひとがたくさんお酒を飲んでいる!仕事が終わったのに、なぜ家族と過ごさないんですか?」

「私達から見ると、家族を大切にしていないように見える!」


「なぜ、とりあえずビール!と皆が頼むんですか?私たちなら、ワインやシャンパンやウォッカなど好きなメニューをそれぞれ頼みます!」


「なぜ、女性が上司の男性にお酌するんですか?我々の文化では、男性が女性に注いであげるのがルールです!」


「なぜ、日本人は、お酒に弱いのに、泥酔して寝込んだりするんですか?女性も街に寝込むなんてありえない!」


まあ、これ、それぞれ考えてみると、おもしろいので、久しぶりに日本人について書くことができそうです。


まあ、日本人って、こういう欧米コンプレックスをつっつくようなネタが好きですね。

というか、多くの日本人が、明治期に文明開化して欧米文化に追いつけ追い越せ!という歴史を持っていることから、

「日本はまだ、欧米文化に追いつけていないのではないか。欧米文化は、先を行っているのではないか」

と考えているんだと思います。心のどこかでね。


でも、それは、おかしい考え方だと僕は思っているんです。


欧米文化の根底にあるのは、もちろん、キリスト教文化です。

キリスト教文化というのは、僕に言わせれば、差別文化・・・まあ、やわらかい言い方で言えば、区別文化なんですね。

神はGODであり、唯一神なんですよ。

たったひとり、GODという存在がある。

そして、それに似せて・・・つまりは似て非なるものとして、人間がGODによって作り出され、GODの下の世界に存在するのが、人間なんですね。

そして、その下の世界に、動物がいる。


だから、人間と動物は、神と人間程に、遠い存在なんです。


そして、キリスト教世界の本質は、上の世界の存在は、下の世界の生殺与奪の権利を持つ、ということなんですよ。


だから、家畜を殺して食べても、問題にならないんです。

僕ら日本人の考えから言えば、なぜ、牛や馬や鶏なんぞは殺して食べてもいいのに、鯨はいけないんだ?という話になりますよね。

彼らから言わせると、鯨やイルカは、人間に近い知能を持っているから、彼らは動物のカテゴリーには、入らない・・・そういう主張なんですよ。

いすれにしろ、生殺与奪の権利は、上の世界の存在が決めることで、鯨やイルカは殺してはいけないもの・・・とこれも勝手に決めることが出来ると、

それが彼らの理屈ということになるんですね。


そして、これが、死刑廃止論の基本理念にもなるわけです。

だって、この理屈で行けば、生殺与奪の権利は、人間の上の世界の存在が、決めるもの・・・つまり、GODのみが、人間の生殺与奪の権利を持つことになるわけです。

ですから、ひとの死を人間が決めていいのか?そういう話になるわけです。


ここを理解していないと、死刑廃止論じ者が言う、

「人間の死を人間が決めていいのか?」

という疑問をおかしく説明してしまう可能性が出てくる。


例えば、日本人的に考えれば、

「社会に害をもたらす者は、死を持って責任をとるべき」

という考え方が一般的でしょう。

「死を持って責任をとる」

ということは、

「彼は立派な仕事をした」

という評価につながり、その人間の供養にもつながるんですね。

よく出来た日本的システムなんです。


この日本の文化歴史を尊重することもなく、考えもしない欧米かぶれの馬鹿者共が、提唱するのが、日本の死刑廃止論、ということになって、

「人間の死を人間が決めていいのか?」

と浅い主張をするから、皆の賛同を得られないんですよ。

「人間の死こそ、人間が決めるべきであって、社会を構成し、運用する責任は、人間にこそあり」

これが日本での伝統的な考え方であって、日本文化の真髄ですからね。


そして、もうひとつ欧米文化のキモとなるのは、女性蔑視から来た、レディファーストの文化です。

まあ、よく勘違いしている女性を散見しますけど、例えば、食事の時に、女性の椅子を引いてあげたり、女性を守るように男が道を歩いたり、重い荷物を持ってあげたり・・・、

まあ、レディファーストの具体例ですけど、あれは元々、

「女性は弱いから、守るもんだ」

という女性蔑視の思想から来ているんですよね。

まあ、そういう行為自体は、女性が喜ぶんだから、僕は率先してしますけど、文化的に言うと、日本では、男女棲み分けなんですよ。

基本男子も女子も平等であり、それぞれの得意分野を活かすことで、平等を守っていた・・・そういう文化なんですね。


だから、日本には看護婦がいたし、スッチーもいた。

女性がその得意分野を生かして仕事をしていた・・・そこに、国際通を名乗るバカなオヤジ達が入り込んできて、

やれ、男女雇用機会均等法だ、スッチーはだめ、CAだ、看護婦もだめ、看護師だ・・・はっきり言って、欧米化は、日本においては文化の劣化です。


日本は巧緻な社会を持っている。

それを破壊して、なんとも思わない人間が、そういう文化の違いを理解出来ないカス野郎共ですよ。

センスのない官僚野郎共ですよ。


だいたい、男女が上手く棲み分けして、お互いの得意分野をうまく伸ばしてきたからこそ、長生きのいい夫婦がたくさん日本にはいるんじゃありませんか?


例えば看護師だなんて、言うけど、女性が多い職場であることに、変わりはないでしょう?

名前を変えたところで、実態は変わらないんだから、日本は文化的に職業の棲み分けをしているんですよ。未だに。


対して欧米は、女性蔑視が根底にあったからこそ、古くはウーマンリブ闘争・・・今ではジェンダーフリーだなんだかんだ、

男女平等を目的にした運動が未だに続いている。

それは、今だに、女性蔑視が続いているからでしょう。欧米人の頭の中に。


日本においては、平等なんですよ。男性も女性も。

ただ、住み分けているに過ぎない。


例えば、このブログで何度も指摘してきましたが、男性と女性は明らかに異なる種の動物です。

大人の男性は、

「見たものに最大限説得されるが、疑問を持ち、理性を持って、合理的に思考し、そのモノゴトを見極める。感情はできるだけ抑える動物」

です。しかし、女性と子供は、

「見たものに最大限説得され、そこから感情を発生させ、行動してしまう動物」

です。


だから、僕は、男性は、理性性の動物、女性と子供は、感情性の動物と言うんです。


つまり、これらを平等として扱うなら、その得意分野を伸ばしてあげる棲み分けしか、あり得ないんです。


まあ、もちろん、女性だって、大人の女性になれば、感情を抑えることだって出来るでしょう。


でも、ここからは、考え方なんです。得意な分野を伸ばすのと、不得意な分野を成長させるのと、人生でどちらをあなたは選びますか?とう問いに答えることと同じなんです。


日本では、得意な分野を伸ばすやりかたを取っている。

欧米では、不得意な分野を成長させるやり方を取っている。


この違いに過ぎないんです。


さらに言えば、日本は欧米に遅れてなどいない。

欧米が物質文明を発達させている間、日本は徳川幕府に、

「物質文明は発達させちゃだめ!」

と厳命されていました。

じゃあ、当時の日本人の膨大なエネルギーはどこにいったか?

精神文明の発達に使用されたんです。

そして、それの清雅が、武士道ですよ。


「間違いがあれば、死を持って責任をとる」


そこまで、発達した精神文化こそが、日本人の成果であり、欧米人は、ここに追いついていない。


僕はエネルギーがあれば、それは、外部記憶に残されると考えていますから、

欧米が物質文明を発達させたのと同時に、日本は同程度の精神文化を発達させた、と見ているんです。


だから、欧米の物質文化が日本に入ってきたら、すぐに追いつき、最早追い越しているじゃないですか?


今後は、アジアの時代になってきます。

だから、我々アジア人は、自国の文化に誇りを持ち、普通に世界に冠する国として輝けばいいんです。


と、ここまで、結論付けてから、最初の問いに戻ってみましょうか?(笑)。


「スーツ着ているひとがたくさんお酒を飲んでいる!仕事が終わったのに、なぜ家族と過ごさないんですか?」


これは、日本人なら、誰でもわかると思いますが、日本人はコミュニティを守ることを第一としますから、

まあ、江戸時代と意識は変わっていないわけです。

大名家に使えることが、武士の掟でしたから、同僚とのコミュニティを守ることも、ひとつの仕事でした。

だから、お酒を飲み、情報交換や、同じ愚痴を言ったり、同じ体験を共有することで、つながりを強化する・・・これは、立派な仕事です。


欧米には、そういう会社内のコミュニティの絆を常に保っておく、という発想がないから、奇異に見えるのでしょう。

欧米は契約社会ですからね。契約がすべてです。日本では、契約の代わりに、コミュニティの絆を常にメンテナンスしているのです。

まあ、気持ちがつながっているわけですから、いざという時に、献身的に行動することが出来るのです。

もちろん、仕事としてのお酒の効能は、家族もわかっていますから、これ自体、オーケーな行動なんですね。


となると、日本のあり方の方が、全然いいと思いますけど、いかがでしょうか?



「なぜ、とりあえずビール!と皆が頼むんですか?私たちなら、ワインやシャンパンやウォッカなど好きなメニューをそれぞれ頼みます!」


日本人は、共通体験を積むことで、横の強い絆が生まれることを知っています。

確かに自分の好きなワインやウォッカを頼んでも、なんら問題はありませんが、

「共通体験を積めば、強い絆が生まれるのだから、それがあとあと、いろいろなにかとやりやすくする」

という現実を知っていて、そっちを取っているんです。

日本において、それがわからないバカは、

「あ、あいつは、だめだ」

と、バカにされ、究極的には、コミュニティから外されることすら、あるんです。


だから、下らない我を通すことより、絆を作ることの方が、日本では上の知恵なのです。


そんな知恵も知らず我を通すバカの方が、余程、馬鹿に見えますけど、いかがでしょうか?



「なぜ、女性が上司の男性にお酌するんですか?我々の文化では、男性が女性に注いであげるのがルールです!」


基本、男性は、お酒を飲むとアホになりますから、そこで、女性がうまくお酌してやって、楽しい気持ちを上司に残せれば、あとあとそのコミュニティで、

楽しくやっていけますから、女性は、コミュニティをうまく泳ぐ知恵として、上司にお酌しているのに、過ぎません。

これもコミュニティを生きる賢い知恵なのです。


それを単なる我を通して、上司にお酌させても、何の得にもならないどころか、迫害されてしまう危険性すら、あるのです。


さて、最後。

「なぜ、日本人は、お酒に弱いのに、泥酔して寝込んだりするんですか?女性も街に寝込むなんてありえない!」

日本は、欧米と違って、治安がよく、不心得者は、いませんでした。

だから、泥酔して眠っても安全な国だったんです。最近は変わってきましたが、日本人は、そういう弱い存在から、お金を盗もうなんて人間は軽蔑の対象になりましたし、

死を持って責任をとらないといけない時代もありましたから、自然、治安がよかったんです。


最近、外国人が増え、治安が悪化するようになりましたが。


こうやって、見てくると、いかに、欧米人の主張が、自分のことしか考えていないか、よくわかってきます。


特に欧米人は、我を通してなんぼ、の世界ですから、

日本的平和の世界には、いられない人たちだということがわかります。


なにしろ、欧米人達は、我々日本人が260年のミラクルピースを達成している間、戦争をずーーーっとやっていたんですからね。

つまり、精神文化は圧倒的に日本に遅れているんです。

社会の成り立ちも・・・日本はすでに治安をよくしていたのに・・・外国人が増えるから、また、治安が悪くなってきたんですよ。


日本の文化と、欧米文化、明らかにどちらが優秀か、お分かり頂けたんじゃないでしょうか。


日本文化の輸出は、世界の治安をよくし、世界平和達成のためにも、急務です!


以上

最新の画像もっと見る