私の映画玉手箱(番外編)なんということは無い日常日記

なんということは無い日常の備忘録とあわせ、好きな映画、韓国ドラマ、そして
ソン・スンホンの事等を暢気に書いていく予定。

思い出したもの

2011-04-21 21:30:13 | なんということはない日常
「昔の通信簿なんて人に見せるものでもないし・・・」と思い、先日とうとう学生時代全部の通信簿を捨ていることにした。
小学校1年生から短大卒業まで・・・・
せっかくだからと捨てる前に黄ばんだそれらの中身を一応チェックしてみる。

高校2年、3年と無遅刻無欠席だったのを思い出し「そんなに高校が楽しかったのだろうか」と改めて考えてみたり、跳び箱のテストが嫌だったことを思い出したりしていたのだが、一番びっくりしたのは小学校1年生の通信簿だった。

「どうしても先生が足りなくて、定年になった先生が一年残って担任になるんですって」母からそんな話を聞いたことを覚えているが、小学校1年の担任の先生は、小さい子供にとってはおじいちゃんといった雰囲気の男性の先生だった。

一学期「性格が男です。作業が雑でこまります。」
二学期「作業が雑なのは相変わらずです。ずけずけ物をいう性格で困ります」
三学期「1年経っても作業が雑なのは治りませんでした。」

それぞれの学期のコメントに一つも前向きな言葉がないのだ。
女の子なのに、優しいところもなく、がさがさとうるさい生徒だったことを先生が快く思っていなかったことがよく伝わってくる。
私も子供心に先生が自分に好印象を持っていないことを知っていたので、あまりそばに寄りつこうとしなかった。子供らしく先生に好かれようとするしぐさや態度を見せなかったのも、先生の低評価につながったのかもしれない。
しかし、小さい子供なのだ。もっと大目に見てくれてもよかったのにと思う。

でも、この通信簿を見ながら母が言っていたことを思い出した。
「先生はゆみこのことをあんまり好きじゃないみたいだけれど、あんまり気にしないで学校に行きなさい」そんな風に言っていたことを思い出したのだ。
もちろん普段の生活態度が雑なことは始終「なんでそんなに大雑把なの!!ちゃんと丁寧にやりなさい!!」と注意はされていたが、先生にあまりよく思われていなかったことについては、私のせいじゃないからと言ってくれたのだ。
それは子供の私にはありがたいことだったと思う。
学校は楽しくなかったが、それでも毎日なんとか学校には行けていたのだから・・・・


通信簿を捨てるために見返さなければ、母の言葉も思い出さなかっただろう。
2年生になると担任の先生は若い女の先生に変わったと思う。一人ホットしたことを覚えている。

*****
定年を過ぎたその男性の先生は桃太郎の歌を5番ぐらいまで教えてくれたと思う。
(5番だったかどうかはややうろ覚えだが、とにかく桃太郎の話全部が歌になっていたような気がする)
もっと洒落た歌を教えてくれればいいのに・・・・そんな風に思う子供だったから、なんとなく先生に煙たがれていたのかもしれない。



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同文館出版